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自宅での生活が始まる

NICUを退院してから、自宅での生活に慣れるまでを書いていきます。

退院当日

2か月近くお世話になったNICUともお別れ。一緒に暮らせるのが嬉しいような、自宅でのケアが不安なような複雑な気持ちのまま、息子を保育園に預けてから夫と病院に向かいました。
退院当日の朝も、まずは沐浴と処置を済ませてから。いつもと違うのは、肌着だけじゃなく洋服を着せること。慣れない服で水泡ができるのも嫌だったので、初めての一着はボタンの少ない服を選びました。
最後までかわいいかわいいと褒めてくれる看護師さんたちにお礼を言って、まだ慣れないスリングに娘を入れてNICUを出ました。

はじめてのチャイルドシート

帰りには大量の被覆材と処方薬を受け取ります。この管理も全部自分かぁ~なんて思いながら車に乗り込み、娘をそっとスリングから出してチャイルドシートに座らせました。顔周りのベルトは抱っこ紐のよだれカバーで巻いて、メッシュ地のシートはガサガサなのでガーゼケットで覆って、ふわふわのマットは熱がこもりそうなのでタオルで巻いた保冷剤を頭部におき、ベルトもかなり緩めに締める・・・・果たしてチャイルドシートの意味があるのだろうか。
自宅までは1時間半。きょとんとした顔で乗っていた娘は、途中からギャン泣きし始めて焦ったけど、無事に帰宅。車の揺れで水疱になったらと、帰ってすぐに見える範囲をチェックしたけど大丈夫そうでした。翌日の処置の時も、チャイルドシートでできたような水疱はなくて一安心。

きょうだい初対面

息子はNの中には入れなかったので、この日が兄妹初対面。3歳になったばかりの息子は、初めはちょっと興味をもって話しかけたりしていたけど、すぐに自分のペースで遊び始めました。娘はうるさい兄にびっくりしつつも、動き回る姿をじっと見ていました。おなかの中にいるときも、息子の声を聴いて反応していたので、お兄ちゃんの声が好きなんだろうな。息子の声とプラレールの音が鳴り響く部屋で、すやすや寝ている姿にはびっくりでした。

娘の帰宅を喜ぶのも束の間、娘のお世話と息子の相手でも手一杯なのに、掃除洗濯と料理と、10日間ほどはあたまがパンクしそうな日々でした。二人目とはいえ難病を抱えた赤ちゃんのお世話は、簡単なことでも意外と時間がかかってしまうことに気付きました。皮膚処置はスムーズだったんだけどね。

授乳とミルク

二人目なので授乳については心配していなかったのに、3時間おきの授乳と追いミルクが地味に大変でした。擦れないようにふわふわの抱っこ布団で抱っこしながら授乳するのが思いのほか難しくて、娘もまだ直母に不慣れで上手に吸えないときもあり、毎回試行錯誤。授乳だけでも30分以上かかるのに、そのころは母乳の量が少なくミルクも足していたので、作って飲ませてトータル1時間くらいでしょうか。哺乳瓶の乳首にアズノール軟膏をぬって飲ませていたので、直母の時は自分の乳首にアズノール塗っていたら、湿疹ができてしまったり・・・綿棒で娘の口腔内に塗布して授乳をする方法に変えてからマシになったものの、その方法を思いつくまではかゆくて不快で泣きそうでした。アズノールがべったりついた哺乳瓶は洗ってもなかなか落ちなくて時間とられるし・・・1つ1つは小さなことですが、慣れるまでは授乳すらとても大変に感じました。
それに加えて、ミルクの合間には1日3回の服薬と、週2回はサプリメントもあげていて、産後のポンコツ頭にはその管理だけでも頭がパンクしそうでした。

おむつ替え

おむつ替えも一仕事でした。ギャザーで擦れやすく、かつ排泄で汚れやすいので、おむつ替えは薬を塗り直して新しい被覆材を貼るのとセットです。娘が便がゆるめで回数が多かったので(今思えば、消化器官が弱いことに起因していたのかも)、生後3か月になろうとしている時期でも新生児並みのおむつ替えの回数でした。とにかく感染が怖かったので、おむつ替えの時は特に注意して手洗いをしていました。加えて塗り薬(ピオクタニンブルー)がものすごい色なうえに、洋服などに付くと洗濯しても取れなかったので、排泄物の処理をして手を洗い、薬を塗って手を洗い、被覆材を貼るときに手に薬が付くのでまた手を洗い・・・と、コロナ禍のいまより洗っていたと思います。最終的には手に付いた薬はおしりふきで拭くようにしましたが、おむつ替えの頻度×数回の手洗いも時間がかかる要因だったろうなと思います。あとは、稀にびらんにぺったりくっついてしまうタイプの便がでたときもやっかいでした。おしりふきでゴシゴシ擦ることもできないけど、汚れが残ると感染が心配だし、おしりふきの代わりの方法も模索していました。おむつそのものも、布おむつや、布おむつカバーを試してみたり、おむつまわりは亡くなるまでずっと試行錯誤だったので、また別でまとめたいなと思います。

スケジュール管理

平日3日は訪問看護師さんとヘルパーさんに皮膚処置の介助を、週2回の通院時にヘルパーさんの通院介助をお願いしていました。それ以外にも、保育園が休みの日に処置中の息子の相手をお願いする、夫が仕事の休日に処置の手伝いをお願いする、息子の保育園の送り迎えをお願いする・・・などなど、ほかにもたくさんの手を借りながらの生活でした。退院してすぐがお盆休みだったこともあり、夫が仕事でいない日が続いたため(サービス業)、いつ誰になにをお願いするのか、管理するのが本当に本当に本当に大変でした。炎天下で娘を抱っこして連れ出すのも怖くて(汗かくと悪化しそう)、最初は保育園のお迎えをファミサポさんに頼んだりもしていました。おそらく平常時ならこんなスケジュール管理もなんてないことですが、産後のポンコツ頭にはとても負担だったようです。

温度管理

娘はとても体温が高く、平熱だったのか不明ですが常時37.5℃前後で、38℃を超えることも多かったです。入院中は高熱が出ると感染を疑がっていましたが、どうやら炎症からきている熱のようだったので、寝ているときに熱がこもらないように、常にマットレスの下に硬くならない保冷剤を入れていました。また、長時間の抱っこでも熱くなってくるので、ガーゼでくるんだ小さめの保冷剤を娘の頭の下に敷いて抱っこするなど、涼しくなるまでは保冷剤が欠かせませんでした。ちょうどいい厚みのやわらかい保冷材はなかなか売っていなくて、少ない枚数をあらゆる場所で使いまわしていました。やわらかい保冷材はすぐ溶けてしまうので、頻繁に交換します。マットレスも濡れてしまってカビが怖いので、保冷剤をまくバスタオルの交換も欠かせませんでした。

大量の洗濯物

出産前に、乾燥機付きのドラム型洗濯機を購入していました。これがなかったらと思うとゾッとするくらい、毎日大量の洗濯物が出ていました。処置ではたくさんタオルやガーゼを使います。そのすべてがほぼ血液や薬で汚れるので、洗濯機に入れる前に予洗いが必要です。アルカリウォッシュやオキシクリーンでつけおき洗いをしてから洗濯機で洗っていました。処置のほかにも、ベッド周りに敷いているタオルも排泄やら吐き戻しで汚れることがあるので、毎日たらいいっぱいのタオルたちを洗って絞っての繰り返しは、なかなかの重労働でした。


こうして、親は慣れない生活に追われる日々でしたが、娘は自宅での生活にすぐ順応してくれたようでした。この頃から娘は、あやすとニコっと笑顔を見せてくれたり、メリーやお兄ちゃんを興味津々で見ていたり、とてもかわいい姿に夫と癒されていました。帰宅できてよかったなと思いました。

次は娘の皮膚の絶頂期と通院について書いていきます。

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