九十ン歳の全力疾走

※そもそもMTGとは関係ない話で、乱文な上、気分を害する可能性があるため、読む読まないは自由です。

数か月前

身体の調子がよろしくないという話があり、コケて足の骨を折ったとの報がある。
詳細はよくわからないが、どうも養護施設へ入ったらしい。
ピンしゃんとしていて、なかなかに張りのある性格だった時分が記憶にしっかり残っていた自分としては、腰が曲がって耳が遠くなり、小さく見えてしまうその姿が少し寂しくもあり、それが養護施設――老人ホームへ入るなどという報せが来たことが更に信じられない。
ただ、もう御年九十を超えている。そんなこともあるものなのか、と少しばかり考えてしまう自分もいた。

数週間前

どうも病院へ入っていたらしい。
そこまで悪かったのか、というのが第一の感想だった。
点滴の管を入れようとすると、本能的に痛がる素振りがあったらしい。
らしいらしい、と伝聞調で続けるのは、蚊帳の外にいるような、まるで第三者のような感覚がまだどこかにあったからだ。
まあ、例え小さく見えてもあの人のことだ、すこし弱弱しくなったとしても気丈なもんなんだろう、という楽観がどこかにあった。

約1週間前

いよいよヤバい、と聞く。
自分にしてみれば「は?」以外の感想が無かった。
あのピンしゃんしていた人が、しわがれても張った声を出せた人のどこにヤバい要素があったのだろうか。

家族とともに、入院しているという病院へ行く。
感染症対策のために、最大2人ずつ。
息が、詰まる。

酸素マスクが脇に置かれ、全身で呼吸を繰り返し、もう目も自力では開けづらい状態。
髪は少しずつ抜け落ち、頬は痩せこけ、手を握り返しては来るものの、喋ることもままならず。
瞼を指で押し開け、自分たちが来たぞ、と耳元で話しかけ、きっと微笑んだんだろう、と脳内で置換をせざるを得ない、それほどまでに必死で。

不謹慎にも、「九十ン歳の全力疾走」という題文が脳内に過った。

3日前

ここ数日、と予想をされて、1週間が過ぎた。
さすがはあの人だ、と褒めるべきなのか。
週末、自分は会社の上司に「最低、有給で」と願い申し出た。
全力疾走を目の当たりにした直後には事情を報告している。すぐに受け入れてもらえた。
最低、とつけたのは、最悪のパターンが想定されること、そして、そんな状態を目の当たりにしたまま仕事が出来ないからだ。


前々日

約1週間、親はずっと病院から呼び出しを受けていた。
血圧がどうの、脈拍がどうのと聞いては車で飛び出していく日々だった。
マシだったのは、それが夜間でなかったことくらいだ。
その日も、血圧が下がり始めているという報せを受けた。
自分も家にいたので、ついでに病院へ向かう。

変わり果てた姿がそこにはあった。

生きるために必死だった呼吸は浅くなり、母が手を握ると顔をしかめ、握り返すこともしない。
顔面はいよいよ赤さを失い、瞼を押し開けても見返す力はなく虚ろ。

声を、掛けられなかった。

前日

正直なところ、いつ呼び出されてもいいように動くつもりはなかったのだが、親から「クサってしまうから、適度に外には出ておけ」と言われたために遊びに出た。
いや、気晴らしになったのかどうか。気紛れにしかならなかったのではないか。
心の底から笑えていたのか。馴染みの店員さんには事情を知ってもらっていたので、もしかするとそういった点で迷惑や心配をかけてしまっていたかもしれない。

夜遅く。

「いよいよ危篤」との話。
すぐさま支度をして飛び出る。
数時間前に面会をした母や妹たちの話では、顔は更に白くなり、脈の打ち方もそれまでと違っていたとのことだった。
覚悟をしなければならなかった。

病院へ着く。

見ていられなかった。

数分前に脈は止まっていたらしい。脈拍計が赤いランプを灯していた。

右目が開いたまま病室の天井を見つめていた。

口が半開きのまま、胸も肩も呼吸のために動こうとはしなかった。

身体に触れると、ほんの僅かずつ、熱が失われていくのが判った。


覚悟が、足りなかった。

同席した妹が嗚咽の声を上げた。
自分と言えば、「よく頑張ったな……」と声を掛けることしかできなかった。
否、それは掛けてやる声ではなかった。
自分に言い聞かせるための台詞だった。「もうこの人はここには居ないんだ」と。


そうして、1週間ほど前にふと考えた題文を思い出した。

九十ン歳の全力疾走。

その人は、最期まで走り抜いたんだ、と。


当日

日付が変わってすぐ。

医師による最期の診断が下った。

悲しいという感情はすぐに湧き出ないもんだな、と考えてしまう自分がいた。

そして今。少しずつ滲み出てきたこの感情に整理をつけるべく、乱文を書き綴っている。
ゴールテープを切った日を忘れないために。
この日の感情を思い出せるように。

後日談は書くかもしれないし、書かないかもしれない。
いずれこの感情に整理がついたらになるかもしれないし、また灰へ返った時に感情が湧き出て乱文を書きなぐるかもしれない。

ただ、今は。
最後の最後まで全力疾走をした、その記憶を忘れないように。

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