自分を信じられなければ人は信じられない

この「地球」という世界では、人は一人で生きて行くことが出来ない。

必ず誰かと関わって生きて行く。

だから、人を信じられなければ、
とても生きづらくなる。


私には愛する家族がいて、家族のことは本当に信頼している。


愛情も持って育ててもらったし、
結婚した今、
自分の作った家族もとても愛しているし、信頼している。


だけど、私は家族以外の人に、
本当の意味で心を許せることは、正直あまりなかった。


でも決して人嫌いではないし、人と話すことが嫌いな訳でもない。


友達とお茶したり、出掛けたり、

それはそれで普通に楽しい。


だけど、心の中で、
どこか一定の距離感を持って関わっている自分がいつもいて、

関わり過ぎるととても疲れてしまって、
逃げ出したくなっていた。


そうなると、とりあえず
「自分の家族だけと関わる」
という安全地帯で一定期間休養して、

そして心がリセットできたらまた誰かと会う、
という方法を自然と取っていた。



そんな私ってワガママで社交性も無くて、
全然ダメだなぁとずっと思ってきた。


ただただ、自分がダメ人間だから上手く出来ないんだと
自己否定が加速することもよくあった。



でも最近、色んな人の発信を見たり話を聞く中で、ふと

「なんで人嫌いな訳じゃないのに、
こんなに人に対して苦手意識があるんだろう」

という疑問が頭に浮かんだ。



幼少期からの影響って人間性の形成においてすごく影響がある。


私は、まだ周りの目を気にしないくらいの幼少期、
とにかく人よりのんびりで、いつもマイワールドにいるような子だった。


親からも「少し変わった子」と言われていたけれど、
それも個性として家族みんなは面白がってくれたし、

姉とは歳の離れた末っ子だったこともあり、
いい意味で特に期待もされず、
なんなら「ペットのように可愛がって育てた」と言われた。


だから、小さい頃は自分らしさ全開で、毎日楽しく生活していた。


ところが、
幼稚園、小学校と、家族という「内側の世界」から
社会という「外側の世界」に出るようになると、
それは一転して「ダメな子」「出来ない子」という評価に変わっていった。


そんな壁にぶち当たった私は、いつしか
「一般社会での正解」
を常に考えるような性質を持つようになった。



だから、例え誰かと話をしていても、
「この場での正解は何か?」という思考が、
無意識的に頭のピラミッド頂上に置かれている状態だった。


そりゃ、疲れるわな〜。笑


そんなだから、誰かと関わっても

そもそも、その人自身を見れていない
= 信用するかしないかのレベルにすら達していない

という、
関われているようで、実は全く関われていない状態だった。


そして
本当の自分を出すことは愚か、
それ以前に、
本当の自分を見ようともしていなかったことにも気付いた。


私はもっと人を信じて生きて行きたい。

人と一緒に「豊かさ」や「幸せ」を紡いでいけるようになりたい。


世の中に同じ人なんて一人としていない。

だから、関われば意見の食い違いや衝突も絶対に起こる。


だけど、だからこそ、
関わった人の分だけ
たくさんの、
色んな形の、
色んな色の、
豊かさ、幸せを作っていけるんだと思う。


世の中には、自分と合いやすい人もいれば、
どうしても上手く交われない人もいる。

当たり前だよね。
みんな違うんだもん。


だからまずは、
自分の好きなところも、好きじゃないところも、
全てに目を向けて、
「どんな自分も自分という人間としては完璧!」
と自分を受け入れ、愛し、信頼することから始めるべきなんだと思う。


誰かの「正しい」に振り回される必要はない。

自分にとっての正解は自分の中にしか無いし、
自分という世界の中では、
それ以外の正解はどこにも無いから。


それがわかってこそ、初めて、
自分にとっての「豊かさ」や「幸せ」を
共に作っていける人と出会えるんだと思う。


そしてその時に、本当の意味で
「人を信じる」
ということを実感できるんじゃないかな。








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