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NY留学記#3:生きるために、自分を好きになる

私が住んでいたHarlemについて

一昔前は、地元民でさえ立ち入らなかった危険な場所だったそう。1994年以降、当時の市長がニューヨークの治安改善対策を粘り強く続けてくれたおかげでかなり安全になったようです。Manhattanにおける黒人(アフリカ系アメリカ人)文化の中心地として有名。

それでも、安全に観光するならアポロシアターがある125th Street(数字が大きい通りが北)が最北地点とよく言われます。

さて、私が住んでいたのは132th Street、しっかり最北地点を超えていました。調べると、アジア人比率が3%(大半がドミニカorヒスパニック系)。

そりゃ私が浮くのも納得だわ。


外出中、Google Mapを見たくて立ち止まったら声を掛けられたこともよくありました。ほぼ100%物乞いかドラッグ中毒者か新参者いびり。夜だったら当たり屋の可能性も高くなりそう。

日没後、急に声をかけられて、スルーしたら通りすがりにFワードを浴びせられたことも。歯がなくて、目もなんかおかしかった(多分シンナー中毒)のが印象的で「あぁ、Harlemってこういうところか」って思った。

今から考えたらよく冷静に生きてたなぁ…


研究留学も初めから戦いでした。
1週目に早速、書類絡みで事務員さんと軽く揉めるという。

事務員さん「この欄が空白なのはおかしいから、受け取れないよ。」
私「え、うちのラボマネージャーに書いてもらったんよ。(事務の)Managerはどこ?」
事務員さん「そもそもManagerも受け取らないよ。」
私「いや、あなたのManagerと喋らせて、どこ?」

(Manager登場)

私「Manager、これどうぞ」
Manager「ありがとう(内容チェック)」「うん、これでOK!」

普通に受け取ってもらえたやん、粘ってよかった…!


今から思い出しても、一つ一つの作業が揉め事になりやすい環境でした。内容が正しくても、強く何回も言わないと通らないことがザラにある。

1日を無事に生き抜くのに必要な精神的エネルギーが圧倒的に高い。


留学、一人で来てるから周りに友人も家族もいない訳です。電話しようにも14時間の時差は大きい。

この土地に私のことを知っている人はいない。しかも圧倒的マイノリティの立場で、10週間ではきっと何かのコミュニティにも属せない。

「本当に自分独りだわ、しかもNYで」と気付いた。

ここにいる人は誰も、私のことを知らないし、好きでもない。でもこの街で私は生きていこうとしている。


じゃあせめて、自分くらいは自分のことを好きじゃないとあかんやろ。
今がんばって生きてる自分が好き、でいいやん。


こうして、周りからの承認でも自分の功績由来でもない、100%自己発生型のself-esteemが誕生しました。


ここ5年くらいで「自尊心」「自己肯定感」を上げよう!みたいな流れが日本でも強くなったように感じます。私が小学生の時は自己評価が高いと「ナルシスト」と言われる風潮が強かったから、大分と変わってきたのかなと思う。

でも、「他者からの承認」から自尊心が高くなるパターンが多く発信されているように感じて、留学前はそれに苦しんだ節がありました。
※承認スタートの自尊心を否定する意図は全くないです。「自分自身から生まれる」肯定感が私にとっては一番揺るぎのないものに感じられただけ。

NYは、生きるために自分を好きでいることの大切さを教えてくれた街です。
誰かに褒められた、怒られた、こんな賞をもらった、じゃなくて今日を自分色で生き抜こうとする私自身を肯定する最高な術を身につけさせてくれた。

今日一日、大変でも自分らしく生き抜いた全ての方に、心からのリスペクトを。

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