見出し画像

振り返るかなしみ

ときどき、たびたび
悲しくなる、切なくなる、

“私の中の自然” に従うと
“大きな自然の中の自然” に
逆らっている気がして。

生物としての動物、
動物としてのヒト。

食べるというかたちで、他者の命を引き継ぎ、
子孫を残すというかたちで、自分の命を引き継ぐように営まれる。


食べ物を手に入れるために、動物たちは命をかける。
食うものも食われるものも。
満たされない=死を意味する。

自分の遺伝子を残そうと、動物たちは必死だ。
その結果として、美しい自然が途切れずある。

繁殖期は決まっている生物は多い。
ペアを持てない個体もいるし、オスはメス争奪戦で命を落とすこともある。

それでも、自然界の根本は、
引き継ぐようにできている。

―――

自然に生きたいと願いながら、
私自身が不自然の塊であることを、
どう捉えたらいいのだろう。
この大きな矛盾を消化できない。

今は受け止めるほかない。

摂食障害は、大人になることへの恐怖、拒む心が根底にある場合が多い。

中学生のとき、大人の女性らしくなっていくことに、
たしかに複雑な何かは感じた。
その感覚は、どちらかといえば、嫌なものではあった。
でもそれは、みんな抱く感情ではないのだろうか。

なぜ摂食障害になったのかは分からない。

生物としてのヒトを捨てていくかのように、
多くの人が本能として持つ、さまざな欲を感じなくなったのだとしたら…。


折り合いがつけられなかった。
生きることを、私は拒んだのではないか。


陽射しが強くなり、つらい。

自然と眠くなって寝ることはないし、
お腹が空いた感覚も、気持ちよく満たされる感覚もない。
エネルギーが足りない、疲れた、休みたい、
という感覚に従っている。

だれかの素肌が恋しくなることもない。

―――

一桁の子どもの私と、二桁の子どもの私と、大人の私が混ざる。
私の心は、どこにいるのだろう。

年齢が低いときほど、ただ苦しくて壊れそうだった。
悲しみは、勢いもエネルギーもあったから、私を内側から破壊しようとした。

14歳で死んでしまいたかった、
何で死ななかったのだろう。
そう幾度思っただろうか。


静かな切なさが溢れる夜。

事実は変わらないのに、
今の方がゆっくり涙が流れる。

わけの分からない苦しみから、
分かるけれど、どうにもできないさびしさに変わった。

人が好きでない少女は
人に助けられ
今も人として生きているよ。

今夜、中2の私が泣いていた。

2024.6.28 / 29

人はそれぞれ感覚が違う。
どう感じるか。感じているか。
そのこと自体に、良い悪いはない。決して。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?