言葉にするということ
小学生のとき、総合の学習という授業が始まった。自由にテーマを決めて、自分で研究する時間。
私は、人のために働いてくれる犬について調べた。盲導犬、聴導犬、介助犬、警察犬、麻薬探知犬…。
中学生のときには、犬猫の殺処分の現実と、捨てられ、引き出された犬たちが、セラピー犬として活躍してくれていることをまとめた。
傷ついた経験のある犬は、人の痛みが分かるのだという。
人を信じるところからやり直して、セラピー犬になっていく。
大学のパソコンの授業で、パワーポイントを使ってプレゼンテーションするという課題があった。
その授業(スクーリング)を受けた当時、私は20代前半で、一番歳下だった。
動物実験についてプレゼンした。練習通りに発表できたし、時間内にまとめられた。
授業後、声をかけてきてくださった男性がいた。
以前に、動物実験に使う(ここではこの言葉を当てます)動物の飼育のお仕事をされていたという。
「いいプレゼンだったよ」とおっしゃるお顔は、とても悲しそうだった。
私にとっては確実に正しいこと、誰かのため、社会のためにそうあるべきと信じていることでも、
目の前の人でさえ傷つけてしまう場合もある。愚かにも、そのときまで気が付けなかった。
第1回目のnote「はじめに」を書いたときから、また、考えや想いを外に出す度に、忘れないようにと思う。
何回読み直して言葉を選んでも、傷つく人、嫌な思いをする人が必ずいる。
言葉にすることは怖いことだと思う。恥ずかしくもあり、罪悪感もあり、書きながら涙が出ることもある。
それでも…
私は言葉を通して、人の持つやさしさを知った。手のぬくもりや、まなざしとはまた違う、やさしさを。
まごころを込めて、これからも言葉を当てていきたい。
2023.8.30
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