見出し画像

人として

「はたらく」というフレーズを目にした時、一般的な日本人は、「仕事」「労働」のイメージが頭に湧くのではないか。
それは、言い換えると、「経済活動」であり、賃金を稼ぐ事に直結する行為を指す。
勤労は日本に生きる国民の権利であり、義務でもあるから、それを一番に頭に思い浮かべる日本人は、国民の鑑であると私は思う。

とはいえ、「はたらく」と、ひらがなで書かれた文字を見て、それらとは少し違う印象を持つ人が居てもおかしくない。
私もその1人だ。



「はたらく」というのは、「機能する」「作用する」「活動する」という意味の言葉である。

人が「はたらく」のは、経済活動に限ったものではないと、私は思う。
何らかの目的を持ち、活動すれば、それすなわち「はたらく」という事なのだ。

例えば、トイレに行ってうんこをしたとする。
これも、「うんこをした」という活動をしたわけであり、うんこをするという行為を「はたらいた」事になる。
あなたは、あなたのうんこを世の中に放ったわけだ。

このうんこが、何かの作用を持つ可能性がある。
微生物の増殖に貢献したりとか、色々と考えられる。
つまり、あなたが放ったうんこも、何らかの「はたらき」を世の中に与えている。
「はたらき」は、世の中において、連鎖しているわけだ。

そう考えると、人は死んでも「はたらいている」と言える。
死体が地球に還るために、他の生物の「はたらき」を生む。
また、そうした物理的作用だけでなく、その人物の「死」という事実が、この世に生きる人々や、取り巻く環境に何らかの影響を与えるだろう。
それも作用であり、「はたらき」だ。

我々は、生きようとも、死のうとも、この世界の連鎖の中に存在している。
こうしてこの文章を書いている私も、これをを読んでいるあなたも、今は生きている。

ならば、死ぬまで生きてみようではないか。
死後は、自分以外の存在に、「はたらき」を委ねる事になる。
「はたらき」の連鎖の先を想像したり、そこに目的を見出したりできるのは、生きているからこそなのだ。


私にとって「はたらく」とは、生きて、そして死ぬ事だ。



#私にとってはたらくとは

昔から投げ銭機能に興味がありました。サポート(投げ銭)いただくと、モチベーションが高揚し、ノリノリで執筆できます。