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【第7心】依存と眠りの始まり【一生片想い】

本物の恋愛感情に目覚めたユウは、それから勉強や部活動、家の手伝いなど全ての事に対して全力で努力するようになった。
それでも、マキに対してはまともに話す事ができないままだった。
そうした努力の先に、自分がマキと肩を並べる時が来ると信じた。

頑張ればいつかは自信を持ってマキと話せるようになるはずだ。
そして、正面から堂々と愛の告白をしよう。
たとえフラれてもいい、本当の気持ちを伝え、答えを出してもらって結果を受け入れよう。
そうでなければ、この強い気持ちは行き場を失ってしまう。



花言葉は「絆」「友達のよしみ」だそうです。皮肉に感じますね。


【ヒルガオ】


悲しい事に、恋愛感情が強くなればなるほどマキと会話する事自体が難しくなっていった
ただの連絡事項とかならなんとか話せるけれど、雑談みたいな形となると、いろんな思いが同時に溢れ出しそうで言葉が出なくなってしまうのだ。
そして最終的に口から出て来るものは本音と逆ばかり

本当は褒めたいのに、親しくなりたいのに、あわよくば愛を伝えたいのに、逆にけなしてしまう悪く言ってしまう嫌いだと言ってしまう
典型的な、「好きな子をいじめるクソガキ」に、ユウは成ってしまった。

それを誤魔化すために、他の女子に辛く当たったりもした。
そうした行為がちぢれキノコ担任に知れると、差別・いじめとして、学級会で槍玉に挙げられた。

ユウの記憶の中にある、マキとの比較的まともな会話は、小学3年生の頃の遠足にまで遡る。
マラソン大会等、体育の成績に関係ある競走ではパッとしない成績のユウだったが、遠足はやたらと強かった。
長距離を歩いてもへばらないため、遠足の後半で誰かがへばると、最後尾まで行って励ましたり、自分のペースを上げて最前列に「最後尾がこれぐらい遅れている」と伝達するなどの行動を自主的に行っていた。

そうした行動の途中で、マキの横を通った時、マキが手に花を持っているのに気が付いた。


ユウ:「それどうしたの?」

マキ:「綺麗だったから、採って来ちゃった。なんて花かわからんけど。」

ユウ:「ヒルガオだね。ヒルガオの花だよ。」


これが、ユウが素直にマキと話せた、最後の会話の記憶である。



「依存」にも色々あると思うんです。


【依存の始まり】


小学4年生時のユウは、クラス内で良い事も悪い事も両方やりまくった。
担任のちぢれキノコは、悪い事は悪い、良い事は良いと、男女の偏りも個人の贔屓も無く、平等に扱った。
それ故、ユウにとっては努力のし甲斐があった。

加えて、マキに対する恋愛感情の高まりと共にユウの脳は活性化した。
世界がよりクッキリハッキリ見えるようになり、1つ1つの事物を、細かく深く明確に認識できるようになった。
この感覚を、ユウは、「世界とピントが合った」「世界を把握できた」と表現している。
一種の覚醒状態と言えるかもしれない。

しかしそれは、自分自身の精神を蝕む諸刃の剣でもあった。
元々、ユウは1つの物事を深く考え、追究するタイプであった。
追究し過ぎて、宇宙の果てや成り立ち、人間の生死の意味や、その瞬間の感覚までも、深く考えてリアルな答えを得ようとしてしまう傾向があった。
そこにまで至ると、人智を超える領域だからなのか、根源的な恐怖に襲われる。
脳の深い部分から、言いようのない恐怖と禁忌的な感覚が脳に広がるのだ。

これに襲われるようになったのはもっと以前からで...小学校に入るより前だったかもしれない。
それはずっとユウが悩まされてきた苦しみだった。

一種の覚醒状態になったユウの脳は、この領域まで思考が飛ぶスピードをさらに上げた。
感覚も鋭くなり、自分の中の何かが壊れ、発狂しそうな苦しみがあった。
...発狂「しそう」ではなく、「実際に発狂した方が楽だろう」と、本人は思い続けていた...それ程の苦痛だった。
努力すればする程、能力を使えば使う程、この苦痛が押し寄せて来る頻度も増えた。

この苦しみから逃れる唯一の手段は、マキについて考える事だった。
マキの存在が頭にある間は、脳内に恋愛成分が出て来てくれ、こうした根源的な苦痛から解放される。
ユウは、時間と共にこの恋愛に依存するようになっていった



最悪期は眠りながら起きているような感覚になりました。


【眠りの始まり】


激しい恋愛感情と、根源的な恐怖の苦しみの間で波打ちながら、ユウは学校生活を送っていた。
学業にも部活動にも全力で、手抜きをしなかった。
それでも、マキを完全に上回ったと思える瞬間は訪れない。

そんなある日、地域の子供会でのキャンプの翌日、疲れ果てたユウは、人生で初めて15時間の睡眠を経験した。
その翌日から、頭がボーッとするような症状が出始めた。
ただの寝過ぎだろうと、その時は思っていたけれど、そのさらに翌日以降も、時々そういう感覚が脳に表れるようになった。
まるで、脳の一部が眠りに入ろうとしているかのような、そんな気になる現象だった。
この症状は、少しずつではあるが、だんだんと頻度を増し、悪化していった。


さらに、この年の2月末、ユウは帯状疱疹で入院する事となる。
何事も全力でやり続けた事により、慢性的に疲労が抜けなくなり、体が弱った結果だった。

帯状疱疹自体は収まって退院し、学校に戻れるようになったまでは良かったが、今度はその後遺症にも悩まされた。
当時「電撃痛」と呼ばれていたその後遺症は、何かしら急激な動きをした時に、首筋に電気が走るという強烈なものだった。
野球の際、遠投をした瞬間や、バットを振った瞬間、さらには誰かに呼ばれて振り向いた瞬間にさえ、容赦なくこれは襲ってきた。


ユウは後に、小学4年生の1年間を、「全盛期だった」と振り返ったが、その時期でさえも、暗い影や苦しみはつきまとっていた。



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