【第6心】恋が恋愛に育つ【一生片想い】
目標としていたオールAに、ユウは届かなかった。
しかも、他の誰かが達成しているという、屈辱的な状況だ。
おそらくそれはマキであろう、とユウは思った。
多少聞き込みしたが、該当者が誰なのかは結局わからなかった。
もしマキだったとして、マキは自分の実力をひけらかすような事はしない。
オールAであっても、他人にその通知表を見せる事無く、静かに帰宅して親に渡すタイプだ。
力をひけらかして目立つ行為は、他人の嫉妬を買い、攻撃の的になるという事を、マキはよく知っているのだろう。
3年時の担任教師は、男性だった。
これはユウの勝手な思い込みに過ぎないが、この男性教師は、マキのように、「授業の後でわからない部分を聞きに来る」というタイプの評価が高いのではないか?
ユウのように積極的に前に出て、その場で力をアピールするタイプは、粗も目立ってしまう。
こうした成績評価の傾向は、担任によって違うはずで、ユウは自身の印象操作に失敗した、と感じた。
【ちぢれキノコ】
4年生に進級すると、女性の担任教師に代わった。
この担任もかなり個性の強い人だった。
「正しくない」と思った事については、学校の教育方針であっても逆らい、教頭や校長に物申していたそうだ。
児童が授業で興味を持った事については、授業で教えるべき範囲を超えていても、空き時間で自ら調べてくれ、行き着いた答えを提供してくれた。
一方で、児童に対しても悪い事は悪いと強い口調で叱る、甘くない教師であった。
いじめや差別をテーマにした授業参観で、普段悪事を働いていたユウを、保護者環視の中でやり玉に挙げて晒し上げるなど、目的のために極端な手法を用いた事もあった。
良く言えばメリハリの利いた人、悪く言えば不穏で危険な人。
この個性的な担任教師を、ユウは「ちぢれキノコ」と陰で呼んでいた。
クラスで最も極端な対応をされた恨みもあり、髪型と顔の形から連想したそれを、悪意を込めて使っていた。
【ちぢれキノコが暴いたマキの弱点】
ある日、教室内で問題が起こった。
誰かの物がなくなったとかで、学級会の時間を使ってその追及が行われた。
問題が起きたと思われる時間帯(主に昼休憩の時間)に、それぞれが何をしていたのかを、証言する必要があった。
1人1人順番に、椅子から立ち上がり、「校庭でゴムボール野球をしていました」「サムくんと一緒に砂場で幅跳びをしていました」「図書室で本を読んでいました」などとアリバイを口にする。
マキの順番が回って来た。
マキ:「〇〇さんと...一緒に...遊んでいたんですけど...」
マキ:「一緒じゃなくなって...グスッ...グスッ...」
喋り始めてすぐ、下を向くようになり、何故か泣き始めた。
そうなると、次の言葉が出て来ない。
この状況を見守っていた担任のちぢれキノコ、女の子に対しても容赦は無かった。
担任:「泣けば済むって話じゃないよ。ちゃんと言うべき事を言いなさい。」
担任:「時間は限られているんだよ。あなたが何も言わなければ、先に進まないんだよ。みんなが迷惑するんだよ。」
こんなにマキが悪い意味で注目され、しかも泣いている状況なんて、これが初めてだった。
ユウはマキに助け舟を出したかったが、状況がわからなかったので...
ユウ:「〇〇さんと、どうしていたの?何があったか話せるだけ話して」
と促すぐらいしかできなかった。
ユウの中には、マキを助けて仲良くなりたい気持ちと、初めて見るマキの惨めな姿に対する戸惑い、さらには、こんな場面で泣いてしまう情けない様を見られた優越感があった。
担任:「ハイ!早くして!時間が惜しい!」
マキ:「〇〇さんの、仲間に...入れてもらえ...ませんでした」
要するに、マキは途中から仲間外れにされたわけだ。
その〇〇さんが、その時間帯は一緒に居た事実を認めたため、マキは元々の問題についての当事者ではない事が明らかとなった。
マキがこのような扱いを受け、心が傷付いた件については、別の問題として「ごめんね」「うん、私の方こそごめん」で解決した。
この学級会が、どのような形で決着したかは、ユウの記憶には残っていない。
そんな事よりも、1年以上も気付かなかった、マキの弱点が暴かれた衝撃の方がはるかに大きかった。
ユウは、この弱点を利用して、女友達の輪からマキを外れさせ、自分と関わる以外に無い状況に追い詰めるやり方をすぐに思い付いた。
成功するかどうかはわからないけれど、せっかく見付けた弱点だ、利用しない手はない...と、昨年までのユウだったら実行に移したかもしれない。
【恋と愛の違い】
「恋と愛の違い、わかりますか?」
小学4年生の時点で、ユウの中では、この2つの違いが明確となっていた。
「恋は自分のためにするもの、愛は相手のために尽くすもの」。
この考えは、年月を経て、より正確な表現に磨かれていった。
マキと出会う前、つまり保育園時代から2年生までの期間、ユウは学年最高...いや、学校内最高と言ってもいい美女子と同じクラスだった。
当然、ユウもその存在は気になっていて、「手を繋いで一緒に下校してみたい」「キスとかしてみたい」ぐらいの事は思っていた。
それは「恋」と呼ぶには弱く、「欲望」と言うには純粋過ぎるものだった。
3年生の頃から抱いていたマキに対する想いは、紛れもなく「恋」だった。
マキと一緒に居られたたらどんなに幸せか、この先の自分の未来がどんなに明るいか、そんな気持ちで胸がいっぱいだった。
小学4年生のある日、ある瞬間、ユウはそれまでのマキへの気持ちが、「自分」を中心に発されたものだと気が付いた。
「自分が」「自分が」「自分が」。
自分という存在が、この世の中で最も重要なのは、生命として当然だと思う。
しかし、愛というものは、それを超える、超えてしまう。
ユウの、マキに対する様々な感情を内包した強い恋心は、ずっとマキを見続けて、憧れ続け、同じ時間を学校内で過ごした事により、愛を伴うようになった。
「自分」を愛する強い気持ちが自分自身にあると気が付いた瞬間、同時にそれよりも優れた存在であるマキへの恋心は、それを上回る愛を獲得した。
自分がどれだけ傷付いても、マキのために何かをしたい。
そういう気持ちが、この頃特に強くなっていった。
学級会で見たマキの意外な脆さは、ユウの心の中にある「恋愛」という感情を、さらに確固たるものするキッカケになった。
ユウはマキの事を考えると、頭の前側が熱くなる感じがするようになった。
そういえば性教育で、恋愛をすると前頭葉が活発に働く、とか言われていた記憶がある。
マキを女子仲間から孤立させ、自分としか関われないようにするなどという邪悪なやり方は、思い付いたけれどすぐに捨てた。
誰よりも強く、熱く、真っ直ぐにマキを愛したい、ユウの心はそれほどまでに傾いた。
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