人格否定と洗脳について

他人に対する交渉や説得のときに、相手の人格を否定する場合というのは一定のやり方があって、たとえばセミナーとか就職の面接とか新人研修などで、初対面の誰かから「お前はだめなやつだ。クズだ」なんていきなり面罵されてもフツーは腹が立つだけで、その人を信頼しようとか、その人の言うことに耳を貸そうという気分にはならない。

否定の感情をぶつけるためには根拠が必要で、たいていは、その根拠を相手の過去から見つけ出す。
否定の対象となる誰かの話をまずはしっかりと聞いた上で、貴重であり、なおかつそれを活かすことができていない、取り返しのつかない過去の経験や資産を見出してみせ、「それを生かしていないあなたはだめな人間だ。努力が足りない。もったいない」と断じて見せるのが効果的だ。

誰かから面と向かって自分を否定されることに耐性を持っている人はそんなに多くない。
否定の感情は相手に刺さる。相手の否定に根拠があるように感じたり、そこを立ち去るとか、相手を殴ってみせるとか、自分自身にそうした選択枝がない、または無いと思い込んでいる場合には特に。
大学に入ったばかりの学生や、就職活動に右往左往する卒業生の人たちは、だからこそ説得に対して立場が脆弱になりがちだったりする。

そして、その否定の言葉のあとは、否定を回避するための方法論とペアにして使うことで、説得の効果的な道具になる。

「君はすばらしい何かを持っているのに全くそれを活かしていない。努力が足りない。残念だ」とか言われたら、たいていの場合、たぶんまだ活かせていないすばらしい何かを取り戻したくなる。

回避の手段は、相手の選択枝を排除することで、より説得力を増す。
「あなたはだめな人間だ」という言葉に続けて、「もうすでに詰んでいる。取り返しがつかない状況だ」と現状を分析してみせることで、後に続く「こうすれば状況はきっと良くなる」という提案は、対象にとってより切実なものになる。

立場のある人ならば、今の立場にしがみつけばやり果せるし、友人がたくさんいる場合も、誰かにすがれば回避手段は探索できたりするけれど、両方とも失った人は、否定されると何にでも頼るようになる。

相手の信念の書き換えるときは、まずは対象を物理的/心理的に仲間から隔離する。
そして、選択肢をころしたあとに人格の否定を行い、否定回避の代替手段として、自分たちの側に好ましい考えかたを提示すれば、信念の上書きが行われる。
上書きされた信念に基づいて一定期間生活時間を共有してもらい、今度はそうした体験を確かなものにするために、信念の宣誓を行なってもらうと、上書きされた信念はより強化される。

隔離と否定、宣誓の組み合わせは基本技術だけれど、こうした技術を有効に行使するのはけっこう難しい。

隔離の品質を高めようと思ったら、その人の記憶から検証不能な体験の間隙を見出すことが大切になるし、有効な否定を行おうと思ったら、まずは対象の過去からかけがえのない価値を持った何かを見出すことが欠かせない。宣誓は、隔離と否定を通じて引きずり込まれた誰かが実際に過ごした時間と経験に基づいていなければ、単なる掛け声と変わらない。 

いわゆるマインドコントロールというものは、話す技術よりも聞く技術が大切になってくる。
技術を聞きかじった程度の人が、相手を「からかってやろう」なんて名人に挑み、居心地よく「聞かれた」結果として、気がついたら後戻りできなくなった事例などもきっと多いのだろうと思う。

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