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30年前、男性で育児休職してました

今日は、昔話を。

今、うちの長女は30歳、長男が26歳。
この子達が生まれた時の話です。

私はこの子達が生まれたとき、育児休職を2回取りました。
その当時は、イクメンなんて言葉もなく、育児休業法に男性も取得できると書いてあっても、誰がそんなこと!という時代でした。

職場でも男性の育児休業第一号です。
で、第二号も私。
その後20年ほどは第3号となる男性が現れませんでしたね。

なぜ、育休を取ることになったかというと、まず、私も妻も実家に頼りたくなかった。だって、うちから自由になるために結婚したんだもん。自分たちだけで生活していきたかったんだもん(笑)。
だから、里帰り出産というのもしていない。
生まれたよ〜、と知らせて、子供の顔を見にきてもらっただけで終わり。
今考えれば、とても親不孝でしたね。
親らしいことをさせてやらなかったなあ、と、最近気づきました。

そういえば、結婚も二人で決めて、親には「結婚するから」と報告しただけです。
学生結婚で結婚式も挙げていないので、ここでも親の出番がありませんでした。

話がそれましたね。
なぜ、育休を取ったのかです。

その当時、妻は、当時の職場に「嘱託職員」という身分で働いていました。
基本的には、一年契約の繰り返しです。
専任職員ではないので、産休は取れるのですが、育休は取得できなかったのです。育児のために休む=クビですね。
そして、前述の通り、我が家は実家の世話になりたくないし、経済的には共働きでないとやっていけないという状況もありました。と、いうか、仕事を辞めて、専業主婦という発想は微塵もなかったように思います。
二人とも働くことは社会とつながることだと強く信じていました。

それでは、一応、制度上育休を取得できる私が育児休業しましょう!
ということで、長女の時は七ヶ月、長男の時は六ヶ月間、育休を取得しました。
この体験は、私の人生において大きな出来事だったように思います。

周りからは、変わり者・変人・不審者と思われていたかもしれません。
実際、平日の日中に、首も座っていない赤ん坊を抱っこして、その辺の公園などにいても誰も近寄ったり話しかけたりしてはくれませんでした。
それでも、子供のごくごく小さいよわっちい時に一緒に居られたというのはとても良かった。そして、辛く、それ以上に楽しかった、と思います。

長女の育児休業中、私はmacを使ってパソコン通信を始め、niftyの「育児フォーラム」に大変お世話になりました。一時期育児ブルーになっていた時、本当に助けられたなと思います。これなしだったら抜けられなかったかも。
また、生まれた直後からFile Maker というデータベースソフトを使って、育児日誌と家計簿と献立を記録し始めました。

おかげで復職した時も、特にギャップなく戻れました(むしろ同僚よりIT系はスキルアップしていたはず)。
ネットに対する嫌悪感もなく、人と繋がることって面白くありがたいことだ。遠くの親戚よりも、ネットの隣人が助けになる。と、私のネット体験は良い思いから始まっていたのです。

思い起こすと、今の私に繋がる芽がいくつか顔を出してきた、そんな育児休業でした。

ああ、もうあれから30年なのね〜!
30年経っても、世の中のベーシックな仕組みや価値観はいくらも変わっていないんだな〜、と思うこの頃です(とても残念!)。







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