スイス・バーゼル滞在記:時差ぼけの車窓から
金曜日からスイスのバーゼルに来ている。
二ヶ月くらい滞在する予定である。
コロナ禍で来るのはなかなか不安だったけれど、入国は思ったよりも簡単だった。税関では、パスポートとワクチン接種証明書と学生証を見せて終わり。PCR検査の証明も必要ない。さすがは自由を重んじるヨーロッパの国だけある。
何も考えずに来てしまったので、町の人が喋っていること、ほとんど分からない。現地の言語は、スイスドイツ語(ドイツ語の方言)で、「ダンケシェーン」の一単語だけでなんとか乗り切っている毎日だ。
とりあえず、笑顔で童顔のアジア人がダンケダンケ言ってたら、怒る気にはならないだろう。(そのために、ちょっと童顔っぽく見えるような髪色に、日本で染めてきたのだった)
ほんとうにダンケしか喋っていない。
たぶん、これでなんとかなっているのは、バーゼル人が優しいからというのもあるように思う。
AirBnBで見つけた宿泊先が分からず道に迷っていると、デート中の老夫婦が英語で話しかけてきてくれて、一緒に探してくれたのだった。(とはいえ、夫婦もあんまり英語は分からないらしく、Googleマップを見ながら一緒に探してくれた)
ヨーロッパ圏なら英語が通じるものだと思っていたから、全然ドイツ語の勉強とかせずに行ったのだけれど、切符の買い方とかスーパーの食べ物とか、全く分からない。
スーパーでチーズが50種類ぐらい売っていたけれど、何が何だか分からず、結局食べ慣れたバナナを買ってしまった。(バナナも自分で量りに乗せるタイプの量り売りだったらしく、レジ打ちの人に迷惑かけてしまった・・!)
でも、その度に、だいたい優しい誰かがなんとかしてくれていて、なんとか生活できているという感じである。ダンケシェーン・・。
スイスのバーゼルは、今のところ、私にとって住みやすい街だ。
町中に美術館や博物館があって、大きな劇場もある。治安も良くて、夜は日本よりもずっと静かだ。
多言語社会だから、全部が通じなくて当然という前提と、自分達の街に対する市民の自信が、この居心地の良さを生み出しているのだろうと思う。
週末に、ライン川のほとりで若い人たちが集まって日向ぼっこできるような、そういう街である。
とにかく、居心地の良い街なのだ。
わたしは、日本でのあれこれに、きっと疲れてしまっている。
去年は、劇団をやめたり、続けていた仕事をやめたり、とにかく別れの多い年で、わたしは、つかれた。
去年の同じ頃の日記を読み返すと、こんなことが書いてある。
一番最初に、演劇が好きなのか、劇団が好きなのか、そこにいる人たちが好きなのか、作家が好きなのか、何を愛しているのか、いずれ考える時が来る、と言われたことを思い出す。さよならだけが人生だと思う。
この日記は去年の1月くらいに書いていたものだけれど、去年来てしまった様々な別れを、去年の初めから、わたしは鈍感ながらにして、なんとなく予感していたのかもしれない。
愛すべきか愛さぬべきか、それが問題だ。(これはシェイクスピアのマネです)
孤独について考えるためには、言葉の全く通じないスイスは、やっぱり、居心地がいいのかもしれない。
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(おまけ)世界一高いビックマック。1300円くらいする。
マックはたぶん地球にしかないから、宇宙一高い。
味は同じだった。
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