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学校が無くても、学ぶのをやめなかった子たちの七つの要素

休校から2週間が経ち、思うこと

2週間前のエントリーで、衝撃の全国一斉休校宣言直後に感じたことを書いた。

あれから2週間。当初は学校現場は混乱と混沌の渦中であったが、今は徐々に平穏を取り戻し始めている。

さて、この休校期間中で、インターネットを活用したオンラインの学びが大きく台頭した。家庭におけるインターネット環境整備が格差を生むとメディアやネットを騒がせた。

しかしながら、2週間経ち、本当に露呈したのはネット環境整備の格差よりも、自立して学び続ける力の格差だったのではないか。

自立して学び続ける力の格差

学校が休校となり、自宅に缶詰め状態になった子供たちに手を差し伸べるべく、多くの有料学習コンテンツが無償化に踏み切った。それは残念ながらネット環境を整えられない家庭にはリーチできない面もあったが、それでも多くの学習機会を与えるものとしてとても価値ある動きだった。

そんな環境下で、親を含む多くの「教育者」たちが、子供の学びをデザインすべく奔走した。言い換えれば、学校の学びがストップしてしまわないように、空白の時間を埋めようと必死になったわけだ。

家庭にネット環境があり、魅力的な学習コンテンツは山ほどある状態。それでいて、縛り付けないと学ぼうとしない子供たち。そんな姿が露呈し始めたのだ。なぜか。

初めこそ、物珍しさで取り組んでいる子たちもいた。しかし、そんな学習コンテンツのライバルはYouTubeであり漫画でありゲーム。さすがに相手が悪かった。

学習コンテンツ以外のことばかりする子供の姿に豪を煮やした大人たちは、子供たちを「学習」の方に誘導すべく、コントローラーを奪うのだった。

「学び観」の狭さ

この問題の大きな原因は、大人の「学び観」の狭さにあると言っていい。学校で教えていることだけが「学び」であり、それ以外の、学力を測る知識や技能に結び付かないようなものは「遊び」であると見なしてしまう「学び観」。大人は無意識に「これは学校で習う何につながっているのか」ばかりを気にしてしまうし、それが見出せないと「遊んでばっかいないで勉強しなさーい!」となってしまう。

せっかく場から解放され、時間から解放され、評価や強制からも解放されたのに、家庭で「学校のお勉強」をさせ続けよう、させ続けなければ、という考え方。子供たちは2週間経ち、まさしくその考え方から逃走しようとしているんだ。

学びが「止まらない」子たちの七つの理由

私の受けもつ学年の子たちは、手前味噌ではあるが、2週間経った今でも嬉々として学び続けている。土日に至っても、自主的に取り組むほどだ。その違いについて考えてみた。

一つは「完全自主制」であること。やってもやらなくてもよい。やらなきゃいけない課題は存在しない。場所も時間もやり方も、すべて自分でコーディネートする。これはなかなか難しいことではあるが、4月の段階から統一的な宿題を撤廃し、自主学習を進める力を付けてきた成果とも言えよう。

二つ目は「自分でめあてを設定する」ということ。日頃の学習から、自分でめあてを考え、振り返る設計の授業を進めてきた。自分の力を見極め、与えられた30分の時間でどこまでできるを予測しゴールを設定する。重要なのは、めあてを達成できたかどうかではなく、自分の全力が出せたかどうか。「余裕でできた!」なら問題数の設定が甘かったのだろうし、「全問正解!」なら課題レベルが低かったのかもしれない。「ギリギリ達成できないくらい、2,3問間違えるくらいが一番いいめあてだよ。」と、常日頃から声をかけてきた。学びは、人と比べたり、誰かに自慢するためにやったりするものではない。

三つ目は「選んだものを否定しない」こと。人は「好き」なものの中でこそ、最大限に能力を開花させる。工夫したり、内省したり、仮説を立てたり、我慢したり。これらのいわゆる「非認知スキル」と言われるものは、生きていく上でとても大事な力だと思うし、その力を身に付けるためにはコンテンツは選ばない。好きかどうか。ただし、ただ好きなことをダラダラやっていてはなかなか身にならない。だから「昨日より上達したか」を、常に問い返すようにした。

四つ目は「宣言する」ということ。本校では、SchoolTaktを使った学習を学校で行ってきた。使い方はもちろん、デジタルの場で学び合い、お互いに刺激し合いながら学びを進めていく適度な安心感と緊張感。その有用性を感じてきたからこそ、学校が無い日でも積極的に活用しているのだろう。

五つ目は「学びの素材を提供する」こと。子供が自分の興味あるものを探してきたり、新たな分野に関心をもったりするのはなかなか難しい。だから、「こんなコンテンツがあるよー」って紹介はどんどんしている。やってもやらなくてもいい。でも、だからこそ、なんだか面白そう。そうやって、自分の殻を自分で破ってみる。破ってみたら、思いもかけない楽しさがあった、そんな体験。それが、子供の挑戦心を育てるのだと思う。

六つ目は「こまめなリフレクション」があること。一人一人のめあてや振り返りに対して、直接その子にコメントする。称賛ばかりでなく、めあての立て方は実力と合っていたか、振り返りは次に繋がる気付きとなっているか、昨日よりも成長したか、更新するためには具体的にどのようなことをすればよいか。一人一人の性格を見極め、適切な足場をかけていく。メンターとしての関わりである。

そして七つ目「共有する」こと。自分がやったこと、これからやろうと思っていることを、他の友達にもシェアする。子供は、子供の中でこそ育つ。友達から刺激を受け、憧れや嫉妬、「自分にもできるかも」という可能性を感じながら、ファーストペンギンに続いていく。「こんなことでもいいんだ!」「それなら、これもできそう」そんな創造力か広がっていく。その場を設定したくて、毎朝zoomを利用した「朝の会」を行ってきた。みんなの振り返りを元に、必要だと思うことを一つ話して、その後はみんなの学びを紹介する時間。ただ共有するだけでも、大きな成果があることを改めて確認できた。

学校が育まなければならない本当の力

これらの力は、休校期間になってから身に付けさせたものでもなければ、ルールや縛りをつけて無理矢理やらせたものでもない。七つの力のどれもが、4月から学校教育の中で意識して育んできた力だ。

結局、ネット環境やコンテンツがあっても、やらない子はやらない。成否を分けるのは、自立的に学ぶ素地が身についているかどうかであり、今回の休校騒ぎでその力の有無が露呈した結果だ。学校で身に付けさせなければいけない力は、ペーパーテストで満点取る力よりも、むしろこれら七つを代表する「自立的に学ぶ力」だったのではないかと、この渦中にあって考えている。

まだ道半ばではあるが、こんな素敵な成果を見せてくれている目の前の(画面上だけど)子供たちに、改めて感謝するとともに、敬意の念を抱いた次第だ。


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公立小学校の先生。ICT使って個別化したり、プログラミングやったり、デモクラティックな学級経営考えたり、ユニット学習で基礎学力定着させたりしながら、究極フルインクルージョンな教育環境を観てみたいのです。