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遊びの場を奪うな。

すべての生き物には成長欲求があって。
成長すること、そのために学ぶことは、それそのものが「快」と感じるように組み込まれているんだよな。
学びが「苦役」としか感じられないとしたら、それはシステムが歪んでいるわけで。

学びや成長を押し付けるから、それらが「遊び」から切り離され、苦役となる。
楽なことに流されるのは、選択肢の片方が苦役であることによる退避行動で。
結果として、遊びが阻害要因みたいに言われてしまっているのが現状。

学びは、ヴィゴツキーも言うように「発達の最近接領域」でこそ開花される。
「いつも通り」のコンフォートゾーンがあり、「頑張り過ぎ」のパニックゾーンがあって、その間にあるストレッチゾーン。
そこをどれだけ、コンフォートゾーンにできるか。

その領域は人によっても、またタイミングによっても難しくて、いわゆる「指導者の腕の見せ所」みたいに言われたりするけど。
でも実は、生き物は皆、自然状態で遊ぶことによって自ずと発達の最近接領域に置かれるんだよなぁ。
犬の子供が戦いごっこをするように、アヒルの子がバシャバシャ水浴びするように。
成長する場所に行かずにはいられないように、DNAに導かれるんだ。

だから遊びは危険なことをしたがるし、体力的・経済的にリスクを取りたがる。
楽しいからできるし、結果それが成長に繋がるわけだから、よくできてる。

そう思うと、そもそも生きることそのものが「遊び」みたいなもんだよな。
楽しいからリスク取って、それで成長して、結果的に周りの役に立っている。
ホモ・ルーデンス。人とは本来、遊ぶものである。

子供から遊びの場を奪うな。

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