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「シュワリ」と氷の音がする

こんにちは。
氷の音についてエッセイを書きました。


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編集ライター養成講座の同期と渋谷で飲んだ。昭和38年からある老舗の焼き鳥屋。煙にかすみ、昭和感がそこかしこ。

映像を生業とする彼とは初めてのサシ飲みだ。仕事のこと、言葉のこと、話題は尽きない。まだまだ話し足りないと思いつつ、感染症の蔓防の影響で午後9時には店を追い出される。ハチ公前の改札で別れるが何かもの足りない。踵を返し、ネオンの海に再び身体を泳がせた。

渋谷 ハチ公前交差点

まだ夜は浅い。路上に放り出され、酔い足りなくて行き場を失った人たち。干上がったアルコールの池で、ピチピチ跳ねる魚たちの間をすり抜ける。


「あった・・・まだやっている」ショットバーの重い扉をギイと開け、半身を中に滑り込ませた。暗い店内には先客は3人。長いカウンターの奥から4分の1の場所に空席があった。


一番奥の客と、中央に座る客は話し中だった。頭を下げつつ割り込んで座る。頭上を先客達の会話が往復する。彼らの言葉は成層圏を行き交う飛行機だ。

会話に割り入る気はなくて、ひとり黙りこくる。


両肘をつき、手のひらを広げて頰をささえる。さながら、柳宗理のバタフライ・スツールだ。カウンターに肘をつくのはご法度だけど、外飲みをしなくなり、すっかり忘れていた。

柳宗理のバタフライ スツール(天童木工のサイトより引用)


目をつむる。バックボードの琥珀色の瓶達が視界から消えた。先客のもったりした会話とBGMだけが聴こえてくる。不思議と感覚が鋭くなってゆく。


グラスの氷が「シュワリ」とかすかな音をたてた。微細な気泡が一瞬湧き立ち、ガラスの薄い壁を溶け落ちているのだろう。


今まで過ごした長い長い止まり木の時間、氷が溶ける音は「カラリ」だった。静寂の中、ひときわ響く「カラリ」。マスターが声をかける呼び水でもあった。洗ったグラスを白いクロスでふきながら、こちらに半身をかたむける。「お次は何にされますか?」

ひたすら目をつむり続けた。視界がない世界の「シュワリ」。私にとって初めての音。細かな気泡を発しながら、ひとり静かにマリアナ海溝に沈んでいった。