見出し画像

冬の陽だまりに思う

寒い季節の陽だまりが大好きだ。

家にいると寒いので、久々に高台に足を運んでみた。
身体中が衰弱していて、特に足腰の弱り具合は笑えるほどだ。
高台までの緩い坂が、まるで富士登山のように感じた。

運動不足でなまっているのではない。
むしろ同年代より意識的に身体を動かすよう、ひたすら努力してきた。

それでも、全身の衰弱は容赦なく襲って来る。
平均に比較して老化の速度が著しく速いのだ。
親もそうだったので諦めている。

病院の神経内科に行けば、何かしらの病名はつくかも知れない。
多少進行を遅らせられるかも知れないが、根本治療はできない。
病気ではなくて、そういう体質を受け継いだまでだ。
もう病名は要らない。

そんなわけで、いつまでこの高台に来られるか分からない。
いや、日々の全てのことが同じだ。

いつまで〇〇ができるか分からない。
そう考えるからこそ、仕事を失ったのに楽器を買い、レッスンも受けてきた。
貯金は減るが、今の私には大切な投資なのだ。
「消費」ではなく「投資」だ。
この辺は理解されにくいかも知れない。

『やりたいことはやっておきたい。
 やり遂げる必要はない。
 途中で投げ出してもいい。
 やり始めることだけが大切だ。
 少しでもやりたいと思ったことをやらずに人生を終えるのだけは嫌だ。』

今日はウクレレを持って行った。
寒くて誰もいないので、遠慮なく大きな音を出してみた。
ウクレレだからポロンポロンという可愛い音だけど。

空は青かった。
木々は葉っぱを全部落としているけれど、蕾は春を待ちきれないほど元気だ。

今の私は、私の頭で描いた「理想の人生設計」とはほど遠い。
こんなはずではなかったと思う反面、最初からこうなることは薄々わかっていたようにも思う。

人も動物も植物も、この世に生まれて一定の場所を占有し、やがて次の世代に明け渡すように死んでいく。
私もそのシンプルな秩序のどこかで場所を占めているだけだ。

私は、冬の陽だまりが大好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?