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野球の思い出

たまたまテレビで高校野球をやっていると、胸がキューんと締め付けられる。
中学・高校と野球部に入っていた。

「あの試合でエラーさえしなければ…」とか、そんなおセンチなことではない。
6年間キャッチボールしていて、一度も相手の胸に投げられなかったのだ。

どんなに考えて試行錯誤しても、ボールは行きたいところに飛んで行く。
ボールを話すポイントを変えてみたり、腕の軌跡を変えてみたり。

先輩たちは最初、私にやる気が無いのかと勘違いして怒っていたが、しばらくして私がやりたくても出来ないことに気づいたようだ。

「相手の胸に投げれはいいだけだ!簡単だろう!やってみろ!」
何度教えてもらっても、出来ないものは出来なかった。

顧問の先生やOB達も指南役を買って出てくれた。
結果は同じだった。

キャッチボールは野球の基本中の基本。
それが出来ないのだから、他のことが出来るわけがない。

中学高校とも、一度もレギュラーになれなかった。
公立の弱小チームで、最上級生は余程のことがない限りレギュラーになれる。

高校最後の試合は強豪校にコールド負け。
三塁コーチャーズボックスで試合終了のサイレンを聴いた。

試合に出ていないのだから、悔しい気持ちすらない。
「自分は6年間、一体何をしてたんだろう?」

大きな虚無感に襲われた。
いつもは皆と帰るのに、その日は一人で帰路についた。

☆☆☆
毎日帰宅してからもランニングや腕立て、素振りを欠かさなかった。
もちろん、キャッチボールで相手の胸に投げるイメトレも。

「練習は裏切らない」という言葉があるけど、あれは嘘だった。
普通の能力すら無い人間の練習や努力なんて、何の意味もないのだ。

6年間も頑張って続けなければ良かった。
キャッチボールができない時点で、野球から離れれば良かった。

父親が野球好きで野球部を熱心に勧めたけど、そんなの無視するべきだった。
他にしたいこともなかったけど。無気力だったんだね。

私が6年間で得た教訓。
「私は普通の人が普通に出来ることができない。」

仕事でもその教訓は正しくて、ものの見事に職場を追われた😆
楽器でも、上手くならないと「野球と同じでダメかも…」と思ってしまう。

自分の努力が足りなかったからとは思えない。
全ては、あの両親の子に生まれたことが原因だ。

「産んでもらえただけありがたいと感謝しなさい」と言う人がいる。
逆だ。

出来損ないのくせに子供なんか作るんじゃねえ!
子供が不幸になる!

今は一日も早く、この世界から消えて無くなりたい。

☆☆☆
たまたまテレビで高校野球をやっていると、胸がキューんと締め付けられる。
あの思い出すのも嫌な6年間の葛藤と苦しみが蘇るから。

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