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子どもの能力の決め手になるのは、一体なんだろう?

人の持つ能力とは、元々持っている能力や特性 × 環境 = 現状の能力 だと僕は思っている。

どんなに潜在的に能力や特性を生まれ持っていたとしても、環境がマッチしていなければその才能や特性が活かされることはなく、現状の能力に影響することはない。

例えば、どんなに潜在的にサッカーの才能があったとしても、サッカーの練習ができる環境でなければ、その才能が開花する事はない。

この例の場合の環境とは
・近所でサッカークラブがある
・サッカークラブのコーチが本人のタイプを見抜いてポジションを決める事ができる
・保護者がサッカーの道具を買い与える事ができる
など
対象人物を取り巻く人的・物的・社会などの全てのことを指す。

潜在的にどんな才能があったとしても、そもそも保護者を含む人的環境が揃わない限り開花する機会を失うのだ。


では、“元々持っている能力や特性”と“環境の影響力”、それぞれが占める重要度とはどれくらいなのか?

もしも“元々持っている能力や特性”の重要度が9割で、“環境の影響力”の重要度が1割で“現状の能力”が決まるとしたら、どんな教育をしてもその子の将来は大きく変わらないだろう。

逆に、“元々持っている能力や特性”の重要度が1割で、“環境の影響力”の重要度が9割で“現状の能力”が決まるとしたら、教育の仕方によっては、良くも悪くも大きく変わるだろう。

児童支援という仕事を始める前まで僕は、
「元々持っている能力や特性の重要度が少なくても7割だろう。」
と思っていた。
現状の能力の決め手になるのは、その子の元々持っている能力が殆どだと考えていたのだ。


ところが、児童支援を続けていて気付いたことがある。

同じタイプの児童で、同じような問題を抱えていたにも関わらず、伸び方が全く異なる事があるのだ。

もちろん個人差というものはある。本人の性格や興味、好奇心もある。
何がきっかけで、どのタイミングで突然能力が伸び始めるかは分からない。

しかし、大まかには「今この段階にあるなら、数ヶ月後にはこの段階くらいになるだろう。」と予測は立つ。

それでも、同じような能力であったのにも関わらず、年数を重ねると大きく能力に差が生まれる事が不思議とあるのだ。


予後を決める要因の1つに、“持っている能力や特性”は大きく関係しているのは確かだ。

知的障害、ASD、LDの有無や傾向から
語彙量の多さや、他者の話や表情から感情を読み取るコミュニケーション能力
粗大な運動(走る、ジャンプなど)から細かい手先の運動(図画工作など)、単純な筋力
注意力(集中力)の得意不得意、記憶力 など…


注意力や運動の得意不得意、記憶力、感情を読み取る、などは、元々持っている“特性”である為、予後を決める要因となるのは仕方のない事と言える。
一生涯向き合って付き合っていくものだ。

“特性”の理解を深めて、対策を講じていくしかない。

そもそも、“特性とは?”と思う人も多くいるであろう。

分かりやすく例を挙げるなら、目が悪い、耳が悪い、足が速い、力が強いなど。
上記の例は他者から見てすぐに分かりやすい“特性”だろう。

目が悪いなら眼鏡をつけるだろうし、耳が悪いなら補聴器を付けているだろう。
足が速いならリレー選手になるだろうし、力が強いなら腕や足が太いだろう。

もしも眼鏡をつけている学生がいたとしたら、「一番後ろの席は黒板が見づらいだろう。」と席の位置を考えるだろうし、足が早いなら「リレーのアンカーは彼/彼女に任せよう。」と彼等彼女等の特性を、周囲は自然と理解していると思われる。



しかし、脳の“特性”とは目で見えるモノではなく、特性自体を把握する事が難しい。
言動から、目で見えない水面下の「恐らく、こういう事が苦手なのではないか?あるいは得意なのではないか?」と想像する力が必要となる。

「忘れ物が多いのは、本人のやる気の問題ではなく、指示を覚える為の記憶力や、指示を聞く為の注意力の問題ではないか?あるいは指示の言葉の理解ができなかった(語彙量)のでは?」
と想像し、他の場面でもそれを意識し続けて関わる事が、“特性を理解する”という事だ。

目で見て分かりづらい為、周囲の理解が得られ難いのが脳の“特性”なのだ。


話を戻そう。

何故同じタイプの児童、同じような悩みを持っていたのにも関わらず、能力の伸び方に差が出たのか?
予後を決める最も大きい影響力とは何なのか?


能力を決める最も大きい影響力とは、「“特性”を理解している“保護者や大人がいる”」という人的環境だ。

個人的に、“元々持っている能力や特性”と“環境の影響力”の重要度の比率は、環境の影響力が9割だと思っている。


同じタイプの児童で同じような悩みを抱えていたとしても、伸び方が全く違うのは、“理解のある保護者や教員、保育士がいる”という要因が多い。

しかし、前述の通り特性の理解、というものは難しい。

対象人物の言動から、水面下にある“考えている事や感じている事”を想像しないといけない。
想像する為には、“水面下にある能力とはどんなものがあるのか?”を理解していないといけない。

ただ、対象人物が周囲からこれらの理解を得られたとき、未来は大きく変わる。


まず対象人物との基本的信頼、という関係性が得られる。
「自身のことを理解してくれる人間がいる。」という経験はとても大きい。

そして、他者との基本的信頼という土台が作られる。
そこから自信が生まれ、“挑戦する”という行為に繋がり、積極的に自発的に新しいステージへと進んでいく。


挑戦する回数自体が多いと、それだけ成功体験は多く積み重なり、能力を獲得していく。
一方、自信がないと挑戦する回数自体が減り、それだけ成功体験は少なく、能力の獲得はどんどん遅くなる。


結果、同じような能力だった子たちなのに差が生まれている、という事が多いように僕は感じている。

自分に置き換えた時、何より嬉しかったり、大きな存在となりえるのは、やはり理解のある大人だったのではないか、と思う。

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