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「聞こえる」or「意味がわかる」?+おまけ

今日、仕事帰りにコンビニに寄って、見慣れない緑色のビールが売っていたので物珍しさに手に取って、レジに持っていったんです。そこで、

「レジ袋はお使いになりますか?」

と、聞かれたんですが、一瞬どう答えていいか分からなくてフリーズする、そんな体験をしました。具体的には、「レジ袋」と「お使いになる」という単語の意味はわかるんだけれど、文章全体としてどういう意味なのか、理解できない、そんな状態です。

2~3秒かかって、いいえ、って答えられたんですが、すごい不思議な感覚だったので、少し考えてみることにしました。

全部聞こえているけど聞き返す

振り返ってみると、こういう「単語は理解できても文章が理解できない」経験は初めてじゃなかったみたいです。決して脳が退化しているとか、そういうことじゃなくてよかった。

家にいるときでも、例えば妻がなにか少し長めのセンテンスを話しかけたときとか、よく同じ感覚になります。話しかけられてはいるし単語は聞こえるけれど、文章として何を意味するのか構成するのに時間がかかる、みたいな。特に、選択肢のある問い(朝ごはんを温めるか温めないか、みたいな二択だったとしても)だと、理解するのに頭が一瞬フリーズしてしまいがちなんですよね。

また、さらに昔のことを思い出すと、実家にいたとき、小学校5年生くらいから、親に何か言われて聞き返すことが増えたような気がします。「え?」とか「何だって?」とか。当時ヘッドホンをかけながら音楽を聴いてばかりいたものですから、両親からはヘッドホン難聴を疑われました。あるいは、耳垢が詰まってるのかとか。耳鼻科にも行かされました。でも、今考えるとこれも同じことで、聞こえてても理解できなかったのかもしれません。

この特性は仕事、特にインタビューの時に大変厄介だったような気がします。特に職歴を重ねれば重ねるほど(ひょっとして病めば病むほど?)聞こえても理解し、そして質問を深化させるのが遅くなっていきました。「おうむ返しをするな」、そう言われてばかりだったのを思い出します。

内面世界が強いのか、聴覚認識が弱いのか

さて、これまでエピソードを挙げてきたわけなんですが、これって一体なぜなんでしょうね。いや「発達特性だから仕方ない」だけならいいんですけれど、もうちょっと具体的に原因を考えようと思います。そうすれば、解決策も少しは見つかるはずなので。とりあえず思い浮かぶのは

  1. 内面世界で何かを強く考えていて、それと関係ない問いかけをされると混乱する(要はいつも上の空)

  2. 音で言語情報を認識する、特に会話の意味を認識するのがすごく苦手(その代わり視覚ではすぐ理解できる)

  3. (コロナ以降特有の問題として)マスク、パーテションで何を言っているのかより聞き取りづらい

あたりでしょうか。特に1.については最近強いかもしれません。常に何か漠然とした概念を考えたり(特にnoteのネタとか。今考えてるのは「人と違う読書習慣のあり方」と「新しい仕事上のスローガンの提案」。これはネタ帳です)、過去のことを思い出したり(主に悪いことばっかりですが)。

2.に関しては、「言語情報」が苦手なのに加えてさらに「会話文」が苦手なのがあるかもしれません。実際、SNSのリプのやりとりも苦手です。

ですから対応策として

  1. 何かに答えなければならない、とわかっている時にはあるべき回答を用意し、それに集中して強く念じて唱える(二郎のコールみたいなもんですね)。よくかかわる周囲の人には聞き返すことが多いのでワンステップ置くように、とお願いする

  2. 可能なら聴覚→視覚に一旦変換する。不可能であっても、頭の中で会話文→地の文に変換すれば少しは理解しやすくなるかもしれない。

あたりを考えましたので、少し実践してみようと思います。3.については、今の所どうしようもないですね。でもそのうち、パーテションがなくなったりしたら、いづれなくなるんでしょうか?

おまけ:みんな「おばけ」になろう

「コミュ障」って言葉があります。多分、「コミュニケーション障害」の略です。当然これは俗語ですから、精神科でそのように診断されることはありませんしそれで自立支援治療が適応されるわけはないでしょう。

その対義語はもっと非科学的で、「コミュ力おばけ」って言います。誰とでも打ち解け、協力関係や信頼関係を結び、フットワークが軽く、会話のやりとりが得意で饒舌で、発言に説得力があり、人を動かす力がある。ワタシの解釈ですがね。

だけど誰でも、よく考えたら何かしらの「力」のおばけなんじゃないでしょうかね。

例えば「計算力おばけ」とか。「暗記力おばけ」も居るでしょう。どんな場でも聞き手に徹せる人は「傾聴力おばけ」とか呼んでもいいし、「共感力おばけ」はもっと平たく「やさしさおばけ」って呼んでもいい。

ちょっと調べると、「◯◯力」ってもう無限にありますね。「体力おばけ」は持久力おばけと筋力おばけに分けられそう。「想像力おばけ」も「妄想力おばけ」もうらやましいな。

「文章力おばけ」なんて、全noterの憧れじゃないですか。「画力おばけ」は神絵師よりもつよそう。「財力おばけ」はもう、なりたくないって人を探す方が難しい。

最近何ごともうまくいってないから何のおばけにもなれない?なら「失敗力おばけ」になれるかもしれませんね。失敗の経験はそれだけでも貴重ですからね。

こうしてみんな「◯◯力おばけ」ってお互いに呼ぶようになれば、そのうち絶対「◯◯障」なんて、不正確で不名誉なレッテルはなくなると思うのです。そうすればみんなもっと優しくなれるのかな。

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