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毒々独りよがり

『隣人の愛を知れ』尾形 真理子、幻冬舎 を読んで
最終的な感想は「もうたくさんだ」だった。

著者・尾形真理子さんは輝かしい経歴を持つコピーライターで、彼女の手がけた広告を見れば、誰しもその並外れた才覚は実感できるだろう。
前作『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』では、そんな著者の技量が遺憾なく発揮されていて、一文で心に切り込んでくるような鮮烈さが光っていた。
本作は六人の女性(女性)の視点が入れ替わりながら少しずつ進行する物語で、前作のやり方を踏襲しつつも、一つの時間軸が感じられる、芯のある長編に仕上がっている。
特徴だった切れ味鋭い一文は、本作では少し鳴りを潜めている。しかし、広告ライクな文章で紡がれた今風都会お洒落ポエムも、それが何百ページも続いてしまっては悲惨だ。この長さではむしろ、鳴りを潜めてくれている方が、私は好きだ。とはいえ、この才能はそうやすやすと隠しきれるものではないらしい。まだ少し光りすぎていて、読んでいると疲れを感じることもあった。

タイトル『隣人の愛を知れ』は、読者に投げかけられている言葉だと感じた。「愛」というものはえてして、日常の気付きにくいところに、常に、紡がれているものだ。人との繋がりが減ってしまった昨今でなくたって、失恋でもしないと思い出せないことではあるけれど。六人の時間と思いが少しずつ進む本作は、そんな空気のような愛を浮かび上がらせて、気付かせてくれるように思えた。
また、私たちの認知バイアスが試される小説でもあり、その手腕の巧みさにも驚いた。思い込んでいた自らの思考の狭さがとても恥ずかしい。単なるコピーライターのお遊び小説ではない。

しかし、最も強い感想は「もうたくさんだ」で言い表せる。それは、”男体”の扱いについてである。
大人の女性の恋は、常に苦く、後ろめたい。理由は、男が移り気であるからだ。本作でも例に漏れず、男の身体は脳で制御できるものではなく、規律を破り、築き上げたものをぶち壊す存在として描かれている。時には女性がそれらに加担することもあるものの、根本は男の身体の制御の効かなさが原因だ。女性はいつだってそれに苦悩し、振り回され、嘆き、反発し、飲み込み、それでも強く生きていく。大人の性の交わりを描いた作品は、そんなものばかり。もうたくさんだ。
こんなことを言っては、トキシックマスキュリニティに洗脳された人間だと思われるかもしれない。ただ、この世には、一人の女性を全うに愛しぬく男性はいないのだろうか。仕事に社会に押しつぶされ、それでもパートナーや家族を思い続ける男性は、それほどまでに存在しないのだろうか。少なくとも、主要なメディアには登場しない。彼らの人生が物語になることは滅多にない。同時に、純情無垢な善意の少年を弄ぶ魅惑たっぷりの悪妻も登場しない。なぜなら、これほど多様な恋愛が語られる時代になっても、「ステキな物語」というのは常に男の逸脱行為からはじまり、多くの女性がそれを"運命"と呼んで待ち焦がれているからだ。もうたくさんではないか?
男が女を裏切るのも一つの愛なのかもしれない。それなら、女が主体となって男を裏切るのも、また愛だろう。

『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』では、女が服を通じてアクションを起こしていた。そういった意味では、本作では少し衰退を感じた。もっと、女も動け!と思った。

#読書の秋2021
#隣人の愛を知れ

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