とりはくー台東区 書道博物館『敦煌写本の世界 ―蔵経洞のたからもの―』
※この記事は『博物館紹介サイト とりはく』のコンテンツです。
博物館にご興味のあるかたは、ぜひ『とりはく』も見てみてくださいね(^^)
小学校の習字の時間の想い出といえば、筆と墨汁を渡されて、お手本の字をそっくりそのまま薄い紙へ模写する。
先生からは、筆は一度紙へ下ろしたら一画を書ききれだ、そこで手首をぐるっと回して斜め上へ跳ねさせろだのと小うるさいことを言われ、できあがった代物はよれよれの半紙とあちこち墨が掠れたり滲んだりした不格好な文字。しかも見せしめとばかりにそれを教室後ろの壁へ貼り出されるという、楽しくもなんともないものでした。
なのでずっと興味なかったのですが、『アート書道』なるものを知り、そういった作品が見られるといいなぁくらいの気持ちで訪れた『台東区立書道博物館』。
まさかそこで、今までの私の狭い書道観が見事なまでに粉砕されるとは、予想だにしませんでした。
台東区立 書道博物館とは
JR鶯谷駅からほど近いこの館は、書家で洋画家でもあった中村不折氏がみずから集めたコレクションをもとに昭和11年に開館しました。
私は不勉強で不折さん初めて知りましたが、新宿中村屋さんのロゴなどを手掛けた方だそうです。
館は平成7年に台東区へ寄贈され、もとからあった本館に加えて中村不折記念館を新設。今に至るのだとか。
収蔵品は経巻文書や石碑、青銅器など。
……ん? このへんからすでに想像していたものと違っているような……。
私が訪れた時は、企画展『敦煌写本の世界 ―蔵経洞のたからもの―』が開催中でした。
書体の成立
敦煌写本とは、敦煌莫高窟の壁の中から発見された文書類のこと。主に4~11世紀頃に書かれた経典、詩歌、教育用教材など、雑多な内容を含んでいるのだとか。
初唐の名書家と名高い(らしい)虞世南(ぐせいなん)や褚遂良(ちょすいりょう)の書も展示されています。
つまり……古文書? あれ、アート書道どこ?(^^;)
とはいえ、歴史博物館もちょいちょい行くので、別に古文書に興味がないわけではないですよ! と解説文を読んでみれば……、
「文字の垂直線の太さが揃っているのが特徴」
「門構えの右側をやや外側に膨らませることで優美さを出している」
……これが『書道博物館』Σ(゚Д゚)
歴博の展示解説なんかだと、書の内容やそれが書かれた時代についての説明に終始しがちですが、古文書の筆致や字形に文章の多くを割いているのは斬新でした。
正直、素養のない私には一見するとどれも一緒なのですが、その解説を読んでから改めて見直すと、なるほど同じ字でも書くひとによって随分趣の違うことが判ります。
後で知ったのですが、楷書という書体は篆書、隷書、草書などより後に成立したもので、その成熟に貢献したのが褚遂良などの書家だったとされているそうです。
……そ、そうか。
当たり前と言えば当たり前なのですが、今こうして使っているフォントの素って、肉筆なんだな(; ・`д・´)
新たなフォントが制作される際の凸版担当者とデザイナーの熱いやりとりについては『印刷博物館』探訪レポートで紹介したことがありますが、標準書体となっている楷書もまた、こうした先人たちが基礎フォームをつくりあげたからこそ今普通に使えているんですよね。
ん? 漢字は前述の書家たちが確立させたとして、じゃあ、ひらがなの楷書って誰がつくったんでしょうね?
きっと日本人の誰かが50音分つくったんですよね。しかもそれを広く大衆に浸透させるって、これ、すげくね!(。◕ˇдˇ◕。)/
なんてことを考えて、少しぞわぞわいたしました(笑)
字を描く
資料につけられた解説文で、ひとつとても印象に残ったものがあります。
資料中に書かれた「月」という文字の、中に入っている横軸2本の左に少し空間があるのを指し、「月光を感じさせる」と評していて。言われて見返せば、確かに閉じた「月」より明るく見えるかな、と。
同じ字でも書くひとによってだいぶ違うと先述しましたが、なにを伝えたいかによって字の書き方を変える、工夫する。それによって、ただの記号である「文字」が呼吸をしだすような、不思議な感慨を覚えました。
もはや字は「書く」ものではなく「打つ」ものになってしまっている私などには、到底できない芸当です(^^;)
象形から進化した「字」って、実は「描く」ものなのかもしれません。
アート書道ほどアートに寄せなくても、1字1字になにかを語らせることはできる。
では「なにを」語らせるのか? 今その字を選ぶのは何故なのか?
「書」の「道」を学ぶ「書道」って、そういうことを考えるのが本来なのかもな、と少し思いました。
「習字」は正しく美しい文字を習い覚えるのが目的なので、お手本の模写を強要されるのもしかたないかもしれませんが、誰かの「書」を見てなにを思うか、とか、そういう時間をもっと増やしてくれたら、書道好きの子供も増えるのではないかと思ったり。
そもそも自発的な目的なくすることって、おもしろくないしうまくもいかないんですよね。( ー̀ωー́)⁾⁾
考古学の好きなかたも楽しめる!
いろいろ考えさせられた企画展を後にして、本館展示室へ。
第一展示室には石碑や仏像が置かれています。
歴史的なできごとや個人の業績が刻まれた石碑、台座に建立経緯の銘文が入った阿弥陀仏坐像など、考古学や歴史に興味のあるかたなら楽しく見学できると思います。
この館、おもしろいのが、資料の傍に置かれた注意書き。基本的には「撮影禁止」「展示品に手を触れるな」ということが書かれているのですが、その文面が……(*´▽`*)
「たいしてインスタ映えもしないので撮影禁止」
「触れてもご利益はありません」
とか、
「監視カメラ しれっと作動中」
とかね!
過去になんかあったんかなと思うほど大量の注意書きがそこここに置かれているのですが、ぶっちゃけおもしろくて展示よりも先に注意書きを見てしまうという(笑)
ちなみに1枚だけ、注意書きではないものが紛れ込んでいます。本館のどこかに置いてあるので、ぜひ探してみてください。
(私は1枚しか見つけられなかったのですが、もしかしたらほかにもあるかも? 発見したかた、ぜひ教えてくださいね!)
でもって、何故か第二が存在しない本館の、第三から第五展示室には瓦当や青銅器、甲骨文などが展示されています。
いや、もう、これ、書道関係なくね?(;´∀`)
と思ったのですが、紙に書きつけるだけが書道ではないのです。
ひとびとは鉄や骨を削ってまで、そこになにかを記し遺す。祈りであったり、自分の生きた証であったり。
目的はさまざまですが、いずれも明確な意志を持って刻みつけているから、後世まで遺っているんですよね。
書くということ
イマイチ判読できない文字の書かれた紙がずらっと並び、あとはせいぜい筆と硯あたりが展示されているのだろう、くらいに考えてやってきた『書道博物館』。
でも、書道と言ったら半紙と墨汁という刷り込みみたいな先入観を、この館は見事に覆してくれました。
ひとは何故文字を書くのか。
そういうこともひっくるめて書道というものを考える、なんとも深みのある博物館でした!
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