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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】ヴィラ・ローレルへようこそ(7)

第7話 メーワクなお客さま

「じゃあ行ってきます」
「うん。まだあんまり顔色よくないから、ムリしちゃダメだよ?」
 玄関口で、あたしは仕事へ行くゆきちゃんを送り出した。
 昨日は1日部屋でおとなしくしてたけど、仕事が大詰めというのは本当みたいで、今日はもう朝から出かけなきゃならないらしい。
(昨日も途中、何度もスマホに着信してたしなぁ……)
 リビングのソファへ座って、あたしはテーブルへマニキュアの壜を並べる。
(榊は……今でもゆきちゃんのこと好きじゃないのかな?)
 昨日まで榊はなにかとゆきちゃんを気遣い、世話を焼いていた。でもそれが「心配」からなのか「仕事だから」なのか、あたしにはよく判らない。
(ユフィルは心配して何度もお見舞いに来てたけど。立場的にはユフィルだって、榊と同じようなものなのに……)
 小さい頃から多紀さんの家で育ったユフィル。
 同じ家で暮らしていた榊。
(なのに多紀さんはどうして、ふたりではなく、ゆきちゃんを養子に選んだんだろう……?)
 その時、玄関のほうから言い争う声が聞こえてきた。
「外泊されるのでしたら一言連絡を入れてください」
「え~、そしたら電話口でモンク言うんでしょー?」
 榊とアーシュだ。そう言えば昨日の夕食にアーシュはいなかったけど、無断外泊してたのか。不良め!
「私には保護責任がありますので」
「そんなの鷹弥が勝手に言ってるだけじゃない」
 口答えしながらアーシュがリビングへ入ってくる。
「あ、みーあ! なにしてるのー?」
 あたしを見つけてすり寄ってきた。
「ネイル」
「爪? わー、かわいい絵が描いてある」
「うん、前に友達に教えてもらって、やってみたら面白くて。サロンだとお金かかるし」
「へ~。いつもキレイな爪してると思ってたけど、自分でやってたんだ」
 感心したみたいにあたしのネイルアートを覗き込むアーシュ。
(うーん、とてもなついてくれたのは嬉しいんだけど……)
 リビングの戸口からこちらを見ている榊の、恨めしそうな視線がイタイ。
「昨夜どこ行ってたの?」
「ん-、いつものクラブ」
「タバコの臭いする」
「ボクは吸ってない」
 あたりまえだ。
「アスラン、あまりこういうことが続くようなら、クラブのほうへあなたを入店させないよう指示しますが?」
 ついに榊が口を出した。
「うーわ、横暴! どう思う、みーあ?」
 あたしを巻き込むな!
「んー……、ジュドウキツエンとかっていうのもあるからねー。とりあえず、マスクして行ったら?」
 メッチャ榊に睨まれた。
「ダッサ」
 アーシュがあたしから離れて、リビングを出ていく。
「どちらへ?」
「いちいちうっさいなぁ。親でもないくせに」
 肩越しに吐き捨てて、アーシュは2階へ上がっていった。
「自分の部屋帰ったんじゃない? たぶん寝てないだろうし」
「………」
 榊が深い溜息を吐く。こいつもなんだかんだで気苦労が絶えないんだね。
 ちょっと可哀想になって、肩をぽん、と叩く。
「ガンバレ、おとーさん」
「私の子供ではありません」
 即答して、くるりと背を向けると廊下の奥へ消えていく。
「………」
 あんたもこういう冗談受け流せるくらい広い心を持ったほうがいいよ?

 落下する夢を見た。
「――!」
 冷や汗と共に飛び起きる。窓の外は暗い。時計の針は10時半を指している。夕食の後、ゲームしながら寝落ちしたみたい。
「………」
 まだゆきちゃんとママと、3人で暮らしていた頃。
 あたしはマンション3階のベランダから落ちた。
 下に植え込みがあったせいで助かっちゃったんだけど。
 あの時。
 あたしはベランダの手すりに腰かけ、洗濯物を干しているママへ、なにか一所懸命話しかけていて。
 突然、洗濯物の間から手を伸ばしたママは、無言であたしの肩を押した。
 だってママは、ゆきちゃんのことは愛してたけど――あたしのことは嫌いだったから。
「……喉渇いた」
 寝巻き代わりのタンクトップと短パン姿で、あたしは厨房へ向かう。
(まだ誰か厨房にいるかな? いなかったら勝手に飲み物貰っちゃって平気かなぁ。ってゆーか、近所にコンビニも自販機もないって、メッチャ不便だっつの!)
 ちょっとクサクサした気持ちで常夜灯に切り替わった暗い廊下を進むと、厨房から灯りが洩れているのに気づく。
「で、その難攻不落の美女を、おまえさんはどうやって落としたんや?」
 小卓を挟んでユフィルと漣が酒盛り中だった。
「別に。興味を示さなかったら、向こうから寄ってきたんだよ」
「やるねぇ~、プライドをくすぐってやったわけか。そんで?」
「据え膳喰わぬはなんとかって言うだろ?」
 悪い笑みを浮かべる漣。奥で朝食の仕込み中らしい桂くんの顔が、真っ赤に染まっている。
「わっ、み、未亜ちゃん!?」
 あ、見つかっちゃった。
「おお、嬢ちゃんか。どないしたん?」
「喉渇いて。あんた達はなにしてんの?」
「今、漣の数々の武勇伝を聞き出しとるところや。後から後からぎょうさん出てきよるで~」
「武勇伝?」
「みっ、未亜ちゃん! 喉渇いたんだよねっ? ジュースでいい? すぐ出すから!」
 桂くんが話を遮る。耳まで真っ赤なんだけど、大丈夫?
「えっ、いいよ、自分でやるよ?」
「そんなの未亜ちゃんにさせられないよ。ちょっとだけ待ってて」
 奥の冷蔵庫のほうへ足早に去っていく桂くん。
「ありがと。ごめんね桂くん」
 後ろ姿に声をかけ、あたしはユフィル達のいる小卓へと近づく。
「で、あんた達はお仕事してる桂くんの脇でお酒飲んでるわけね」
「飲んでるのはこいつだけだがな」
 確かに、漣の前へ置かれているのは炭酸水の壜だ。
「へえ? 漣ってお酒飲めないんだ。意外~」
「ちゃうちゃう、飲まないだけや。ああ、今は飲めないで合うとるんか」
 言いながらユフィルがあたしのために椅子を引き出してくれる。
「どういう意味?」
「小休憩なだけで、もう少ししたらセンターへ戻る」
 そう言えば漣って、このお屋敷のセキュリティ部門のトップでもあるんだっけ。
「ねぇ、あんたも体大丈夫? 朝からゆきちゃんのボディガードして、まだこの後仕事するの? 何時間勤務よ?」
 腰かけて、漣の顔を間近に覗き込む。
「大きなお世話。ちゃんとシフトは組んでる」
 炭酸水の壜の底をあたしの額へあてて押し戻した。冷たいな!(いろんな意味で。)
「はい、未亜ちゃん」
 戻ってきた桂くんが、ジュースのグラスをあたしの前へ置いてくれる。わー、これもしかして、搾りたて生ジュース??
「ありがとう。ごめんね、忙しいのに」
「別にたいしたことないよ。仕込みはほとんど終わってるし」
「そうなの?」
 ふたりの会話にまざってなかったから忙しいのかと思ったんだけど。
 ついユフィルの顔を見てしまうあたし。
「まあ、童貞くんには刺激の強い話しとったからね」
「ちょっ、若月さんっ」
「ああ、武勇伝って、そーゆー……」
 男どもはしょーもないな。でもまあ、この時間だしね。
「おっ、嬢ちゃんもいろいろ持ってそうやな。言うてみ、言うてみ、この際白状してまえ~」
 ユフィルがあたしの肩へ腕を回して顔を近づけてくる。
「酔っ払いか!」
「そうですよ、若月さんっ」
「ええやん、ひとつ屋根の下に住む仲やし、嬢ちゃんのこと知りたいねん」
 唇を尖らせるようにして桂くんに反論する。
(そう言われると悪い気はしないってゆーか、ちょっと嬉しいってゆーか……)
「そんで? 嬢ちゃんは今までにいったい何人の男泣かせてきたんや?」
「別に泣かせてないよ。なんでその前提なのよ」
「じゃあ、初恋はいつやねん?」
「いきなりかわいらしい話題を振ったな」
「初体験訊いた方がええか?」
「若月さん、セクハラです!」
(こーゆーノリ、久しぶりだな~)
 学校へ通っていた頃は、クラスの友達やボーイフレンドともこんな話してたっけ。
(そうだ、あの話しちゃお)
 みんなに大ウケだった、とっておきの想い出を話すことにした。
「初体験っていうんじゃないんだけど……10歳の時だったかなぁ、学校のテストで0点取っちゃってさ」
「そりゃ壮絶やな」
「公園でぼんやり答案眺めてたら、知らないおじさんが声かけてきて。『おじさんの家に来れば100点取れるようになるよ』って」
「えっ? それでまさかついてっちゃったのかい?」
「バカだな」
「だって! 頭のよくなる魔法が使えるって言われたんだもん。子供だったし、信じちゃったんだよ」
「そんで?」
 珍しくユフィルの眉間にしわが寄る。あれ……?
「魔法をかける儀式って言われて、服脱がされてさ。まあ……いろいろされて。今思えば、あれが性の目覚めだったのかもしれない」
「なに暢気なこと言ってんねん! 一歩間違えたら大変なことになっとったやろ!」
 なぜかユフィルが怒りだした。ユフィルが怒るの初めて見た!
「すでに大変な気もするが……」
 漣も渋い顔で両腕を組む。
「そうだよっ! それ、ちゃんとお家のひとに話した!?」
「え? いや……」
 思ってもみなかった反応をされて、ちょっと答えに詰まる。
「あー……、そん時もう叔母さんのとこにいたからさぁ。話しても別に……たぶんあたしがぶたれるだけだし」
「えっ?」
「なんで嬢ちゃんがぶたれるんや? 嬢ちゃん悪くないやろ」
「うーん、どうなのかなぁ? あたしがバカなのが悪いんじゃない?」
「………」
 3人とも黙り込んでしまう。
(あ、あれ? なんか変な雰囲気になっちゃった?)
 おかしいな、友達に話した時は「ウケる~!」って好評だったんだけど、この話。
「え、えーと、ホントに子供の頃だし、あたし別にぜんぜん気にしてな……ぃにゃっ!」
 突然漣にデコピンされた。
「救いようのないバカだ、おまえは」
「ちょちょ、枳津さんっ(汗)」
「そうやってへらへらと、相手も自分も許してるから、いつまで経ってもバカなままなんだ」
 言い捨てて、漣は厨房から出ていった。
 その後ろ姿を見送って、あたしはおでこをさする。
 ひとから「バカ」って言われるのなんて慣れてるはずなんだけど、なんでかちょっと……凹む。なんでだろ……?
「あの、さ」
 桂くんが迷うように口を開いた。
「ひとを疑わないっていうのは別に悪いことじゃないし、いやなことされても恨まないっていうのも、誰にでもできることじゃないから、結構ステキなことだと思うよ? まあ、度を超さなければ、だけどね」
「桂くん……」
 今度は横から、ユフィルに頭を抱き寄せられる。
「それに、嬢ちゃんが怒らんなら俺らが代わりに怒ったる。傷ついとる嬢ちゃんぶつような輩は、ひとりもおれへんよ」
(どうしよう……)
 まさかこんな展開になるとは思ってなくて。「バッカだな、おまえ!」って大笑いされて終わりのはずだったのに。
(なんか……泣きそう)
 今まであたしのことを本気で心配してくれるのは、ゆきちゃんだけだった。だけど。
(あたしもしかして、すごくいいひと達と出会えたのかもしれない……)

 今日も外はとびっきりの青空。
 暑くもなく、寒くもなく、寝坊するには快適な陽気なんだけど。
 なぜか今日は碓井さんじゃなく、榊に叩き起こされた。
「よろしいですか? 昼過ぎには社の重役連がヴィラへ到着します。あなたは自室から一歩も外へお出にならないように!」
 榊の話では、今日これから一条グループのお偉いさん達がやってくるらしい。ゆきちゃんと榊で応対する間、あたしは自室カンキンを言い渡された。
「なんで部屋から出ちゃいけないのよ~?」
 忙しなく運ばれてきた朝食のオムレツにフォークを突き刺す。
「都合が悪いからに決まっているでしょう。彼らは物見遊山で来るわけではありません。多紀さんの養子に納まった征斉さまがどんな人物なのか、進行中のプラネタリウム事業をこのまま任せて大丈夫なのかどうかも含めて、品定めに来るんです。征斉さまご本人だけでも判定をパスできるか心許ないところなのに、実の妹が見るからに庶民丸出しの馬鹿娘だと知れたら……」
「あんたマジでそのうちぶっ飛ばすよ?」
「ともかく! 私はこれ以上苦境に立たされるのはごめんです。あなたはくれっぐれも、お客さまの目につかないようになさってください」
 言いたい放題言って、榊は忙しそうにダイニングを出ていった。
 あたし達の食後のコーヒーくらい淹れていけーっ!
「なんか、ごめんね。巻き添えで……」
「えっ、ううん! ゆきちゃんのせいじゃないじゃん。あの眼鏡がひとりでテンパッてるだけでしょ?」
「……そうさせてるのは、僕なんだよね」
 ぽつんと呟く。いつになく表情が暗い。
 なにか言ってあげようと思ったんだけど、なにを言ったらいいのか判らなくて。考えてるうちに、ゆきちゃんも準備しなきゃいけないことがあるからって、自分の部屋へ戻っていった。

 そのひと達がやって来たのは、お昼を過ぎてからだった。
 50代くらいの太ったおじさんがふたりと、それよりもっと年を取ったお爺ちゃんがひとり。もうひとりは、40代くらいの女のひと。
 そのひと達とゆきちゃんは、ダイニングで一緒にお昼ごはんを食べている。今日は榊も給仕じゃなくて、同じテーブルに着いている。
 あたしは自分の部屋へお昼ごはんが運ばれてきて、ともかく1階にはゼッタイ下りちゃダメって言われたんだけど……。
 ダメって言われるとしたくなるのが、人間のサガとかいうやつだよね?
 ってワケで、リビングからこっそりテラスへ出たあたしは、窓の外からダイニングを覗き見しているのだった。
 話の内容まではよく聞こえないし、時々聞こえてきてもなんか難しい単語が飛びかっていて、さっぱり判らない。ただゆきちゃんが始終穏やかに微笑みながら、おじさん達に答えている姿が見える。
 でも、あの笑顔はホンモノじゃない。たぶん、そーとー緊張してる。
 答えに詰まるたんびに榊が代わりに答えてるみたいだけど、それがかえってゆきちゃんを緊張させちゃってることに、榊は気づいてない。
 ……ううん、気づいてても、フォローしようとはしていない。
 そうこうする間に食事が終わって、みんなが席を立つ。ダイニングを出ていったと思ったら……どうやらリビングへ移動したみたい。開けっ放しにしておいたテラス側のガラス戸から、話し声が洩れてきた。
「あんな顔だけの男を後継者に据えて、本当に大丈夫なのかね?」
「トラブルがあったと聞いているがね?」
「はい。それはすでに対処済みですので、ご心配なく」
「きみがいてくれてよかったよ。征斉くんにはせめて事業に余計な口出しをしないよう、しっかり手綱を握っていてくれよ、榊くん」
(ムカーッ!! 顔だけってなによっ、ゆきちゃんは頭もいいんだからねっ!)
「………」
 リビングのガラス戸から顔を出した榊と、しっかりばっちり目が合ってしまう。
(……あ、やば……)
「………」
 戸を閉められた。
(よかった、叱られなかった。でももう中の声も聞こえないや)
 しかたなく、あたしはダイニングのガラス戸を開けて屋敷の中へ戻る。
 部屋へ帰ろうと廊下へ出た時。
「残念だわ。お金であなたを買えないのなら、なにで買えばいいのかしら? わたくしも一条夫人のように養子縁組でもすればいい?」
 お偉いさんの中でただひとりの女性が、階段の上り口でゆきちゃんの腕へ手をかけて……キスをした。
「……っ!」
 ゆきちゃんは振り払わない。でも、目を閉じてもいない。
 長いキスの間に、ふ…と、ゆきちゃんがこっちを見る。
 ボーゼンと見つめているあたしに気づいたはずなのに、キスをやめることはしなかった。
「……っ!!」
 どうしていいか判らなくなって、あたしは慌てて玄関から外へと飛び出した。
 どういうこと?
 その女、誰?
 もしかしてゆきちゃんの――カノジョ?
 ぐるぐるいろんな考えが頭の中で回って。
 気づいたら、家の正面ゲートへ辿り着いていた。ちょうど外出から戻ったところなのか、桂くんが門から中へ入ってこようとしている。
「あれ? 未亜ちゃ……」
 あたしは桂くんの脇をすり抜けるようにして、門の外へ走り出た。

 どこをどう歩いたのか、よく覚えてない。
 ともかく坂をのぼったり、くだったり。あちこち歩き回って、海岸まで来たところで疲れて座り込んだ。
 街まではとても歩いていけないし。だいたい、スマートフォンしか持ってない。
 でも、家には帰りたくない。
 周りになんにもないお屋敷からじゃ、家出しようにも行く場所がないってことを、あたしは今日初めて思い知った。
 もうすっかり陽は落ちていて。潮風がちょっと肌寒い。
(今、何時だろ?)
 時間を見ようと、ポケットからスマホを取り出す。着信のあったことを知らせるランプがピコピコしていた。
「………」
 ぼんやり画面を見つめる。留守録が3件、メールが2通。
 しばらく迷ったけど、溜息を吐いて漣の留守録から確認する。
『この馬鹿モンが、どこほっつき歩いてやがる!? 迎えに行ってやるから連絡よこせ!』
(うわ、電話でいきなり怒鳴らないでよ。音割れてるし!)
『今どちらです? もうこの時間です。枳津くんを迎えにやりますので、連絡をよこしなさい』
(わー……榊の口調が静かなだけに怖い……。あ、そのすぐ前にもユフィルから着信してる。けど留守録はないや)
 いちばん古い留守録は、お昼過ぎのもの。
『未亜ちゃん大丈夫? 今どこにいるんだい? もうあのひと達帰ったし、僕でよければ迎えに行くから。話も聞くし……ともかく、連絡して。今ならまだ榊さん達も怒ってないから。ね?』
(……そか、出てくる時、桂くんには会ったんだよね。やっぱあたし変だったのかな)
 もう1度溜息を吐いて、メール画面を開く。1通はゆきちゃんからのものだった。
『今どこ? 誰かと一緒にいるのかな? 夜になるとこの辺は街灯も少ないし危ないから、早く戻っておいで』
(……ゆきちゃん、フツーだ。あんなキスシーン見られても、別にきっとなんでもないんだ……)
 さっき見たキスシーンを思い出し、途端に胸がズキッと痛む。
(もう1通は誰からだろう?)
『もー、どこフラついてるのさ。屋敷の中がわさわさしてしようがないから、早く帰ってきてー!』
(いつもどっかフラフラしてるあんたには、言われたくないんだけど!)
 めんどくさそうにメールを打つアーシュの姿が思い浮かんで、つい笑ってしまう。
(いやいや、笑ってる場合じゃない。誰かに連絡したほうがいいよね?)
 少し考えて、あたしは榊に電話をした。
 ワンコールで榊が出る。
『今どこです?』
「あっ、あの……ごめん……あたし……」
『今どこかと訊いています』
「あ……えっと、海岸。道路から階段下りて、左に少し行ったところ。あ、でも、もう帰るから……」
『判りました。そこにいなさい』
 切れた。
「えっ? ちょ……あ、切れちゃった……。迎えに来るつもりかな……」
 急にユーウツになる。と同時に、さっきまで気にもしなかったのに、月明かりの下でも真っ黒な海が、とても怖い。
 背後で車のブレーキ音がして。
 振り返ると、階段の上に車が止まっているのが見えた。
「………」
 観念して立ち上がり、あたしは階段をのぼる。車の窓越しに榊へ軽く頭を下げると、榊がウィンドーを開けた。
「乗りなさい」
 あたしは黙って助手席へ乗り込む。
 すぐに帰るのかと思いきや、榊は車を出さずに腕組みをして、前方を見据えた。
「とりあえず……お話を伺いましょうか」
「え?」
「恋人じゃあるまいし、兄弟のキスシーンを見たくらいで、そんなにショックを受けますか?」
 だいたいの事情を知られているっぽい恥ずかしさと同時に、なんでも話せる安心感で、ちょっと心が軽くなる。
 あたしは両膝を抱えると、その上へ顔を突っ伏した。
「ゆきちゃんはあたしだけのお兄ちゃんなのに~~~っ!」
「シートに足を載せないでください」
 怒られた。
「征斉さまはあなたの所有物ではないでしょう?」
「そうだけど……でも……約束したんだもん」
「なにをです?」
「ずっと一緒にいるって」
 もう10年以上前の話だけど……。
「ママの実家に引っ越す時にさ、仲良かった友達と離れるのがいやで、行きたくないって駄々こねて……そしたらゆきちゃんが……」
・・・
「でも……ひとは、いつかはみんな別れ別れになるんだよ?」
「え……? お兄ちゃんも? やだ、未亜、ずっとお兄ちゃんと一緒にいる! 一緒がいい!」
「すぐにお別れにはならないけど……ずっと一緒は、むりかな」
「どうしてっ?」
「うーん……、未亜は女の子だから。いつかは誰かのお嫁さんになっちゃうでしょ?」
「お嫁さん?」
「うん。お嫁さんは、お婿さんとずっと一緒にいるものなの。だから、お兄ちゃんとはバイバイなんだよ」
「じゃあ、じゃあ未亜、お兄ちゃんのお嫁さんになる! そうしたらずっと一緒にいられる?」
「……そう、かもね……」
 ゆきちゃんは困った顔で笑いながら、あたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
・・・
「………」
「生ごみ見るみたいな目で見るのやめてくれるっ!?」
 運転席から向けられる榊の冷たい視線に、ほっぺたが熱くなる。あたしだって言ってて恥ずかしいんだからね!
「いえ、呆れているだけです。まさかとは思いますが、今でもそれを信じているんじゃないでしょうね? いったいいくつの時の話です」
 榊が前へ向き直って、指で眼鏡を押し上げた。
「判ってるよ。別に本気でゆきちゃんのお嫁さんになれるなんて、もう考えてないけど……。あたしはゆきちゃんの1番じゃないんだって、そう思ったら……悲しくなっちゃったんだもん」
「当たり前でしょう、気味の悪い」
「なによ、気味悪いって! あんたになんか判んないわよ! あんたどうせ、ゆきちゃんのことキライなんだし!」
「ほんっとーーーーに、頭の悪いひとですね、あなたは」
「ムカーッ」
「自分の兄から必要以上に執着されたら、あなたは自由に恋愛もできないでしょう?」
「……え?」
 予想外のことを言われて、目が・になる。
 榊が続ける。
「あなたの言う『1番』がなにを指すのかは存じませんが、征斉さまが誰よりもたいせつになさっているという意味でなら、それは間違いなく、あなたです。その上で、征斉さまはあなたを自由にさせている。あなたを縛りたいとは考えていないのですよ。私見ですがね」
「試験?」
「『わたくし』の『見解』です。重ね重ねバカなんですね、あなた」
「そんな難しい単語で喋るなーっ」
「もちろん、征斉さま自身も縛られたくはないのでしょう。相手をたいせつに思うことと互いに自立することは抵触しませんよ? ああ、『抵触』が判らなければ後で辞書を引きなさい」
「腹立つーっ、なんか腹立つーっ、腹立つわーーーーっ!」
「征斉さまにいつまで心配をかけていてどうするんです? いいかげん兄離れなさい。あなたも征斉さまのことをたいせつに思うのでしたら、精神的に自立して安心させてさしあげるのが、なによりではありませんか?」
「……あたし、やっぱお兄ちゃんに甘えてる、かな……?」
「子供っぽい独占欲で拗ねている段階で、甘えている以外のなにものでもないでしょう」
「ドクセン欲……。そうかこれ、ドクセン欲なのかぁ……」
 がっくりと頭を垂れる。
「そうだよね……あたしだってゆきちゃんには幸せになってほしいし……」
 少しの間の後、あたしは振っ切る口調で話を再開する。
「お兄ちゃんにカノジョができたっていうなら、喜んであげるのがいい妹ってもんだよね。判った! 結婚式には笑顔で出る!」
「……ご結婚は……なさらないと思いますが。そもそもあの方は征斉さまの恋人でもなんでもありませんし」
「えっ!? だってキスしてたじゃん!」
 榊が大きな溜息を吐く。
「後は征斉さまご本人にお訊きになってください。これ以上バカの相手をするのは疲れます」
 車を出した。
「バカバカ言うなーーーっ!!」
 それから家へ帰るまでの間、ハンドルを握る榊の横顔を、あたしはちらちら盗み見た。
 これって心配して迎えにきてくれたのかな? それとも……。

「おかえり」
 帰宅すると、ユフィル達が出迎えてくれた。
「た、ただい……にゃっ!」
 漣があたしの頭頂部に無言でチョップして去っていく。
「けーい、みーあ帰ってきたよ~!」
 アーシュが廊下の奥へ声をかけると、桂くんがバタバタ走ってきて、「未亜ちゃん、お腹すいてるよね? 今、ごはんあっため直すからね」と、それだけ言って厨房へ戻っていく。
 そう言えば、あたしお昼ごはんもちゃんと食べてなかった。思い出したら急にお腹がくぅ~と苦情を洩らす。
 今日の晩ごはんは、茹でたエビが載った野菜たっぷり春雨サラダに、ひき肉とたまねぎをゴーヤに詰めて煮たスープ、そして定番ガパオライス!
(美味しい……美味しいです、桂くん!)
 半泣きでガパオライスを頬張るあたしを向かいの席から見守っていたユフィルが、いつものとおり壁際に控えていた榊のほうへ目をやる。
「鷹弥もメシ喰ったらどうや? 喰ってないやろ?」
「えっ!? 食べてないのっ?」
 びっくりして、思わずスプーンを取り落とすあたし。
「どなたかのおかげで、いろいろ忙しかったものですから」
 ジロリと睨まれた。いろんな意味でゴメンナサイ。
「じゃあ、あたしの世話なんか焼いてる場合じゃないじゃん! ごはん食べなよ。あっ、一緒に食べようよ」
「……は?」
「あ、そうですね。じゃあ榊さんの分、すぐお持ちします」
 榊の隣でやっぱりあたしを見守っていた桂くんが、素早く厨房へと向かう。
「いえ、私は……」
「いいじゃん、あたし、ひとりで食べてるのやだし……ね?」
 ゆきちゃんがよくやる『必殺・上目遣い』をここで繰り出した。
「……っ」
「お、今、射抜かれたぞ、鷹弥のハートが」
「黙れ」
 あっ、榊がキレた。
「なんかとりあえず無事だったみたいだし、ボクもう寝る~」
 定位置になっているぬいぐるみ用の椅子に座っていたアーシュが、立ち上がって自分の部屋へと帰っていく。
 だけど。
 その場にゆきちゃんの姿はなかった。

 食べ始めが遅かったので、夕食が終わるのも当然遅かった。
 もう寝なさいと榊に追い立てられたあたしは、素直に自室へ戻る。
 いつもならゆきちゃんにおやすみなさいの挨拶をしに行くんだけど、今日はそんな気にもなれなくて。そしてそのことにまたモヤモヤしちゃって、すぐに寝られる気もしない。
(ちょっとストレッチとかしとこうかな。ゼッタイ、太るし!)
 とゆーことで、ベランダへ出る。
 都会と違って邪魔な灯りのない夜空には、たくさんの星がきらきら輝いている。
「……?」
 下のほうから話し声が聞こえてきた。
 ベランダの手すりから身を乗り出して覗き込む。庭に張り出したテラスに、榊とユフィルの姿があった。
「今日は朝から大変やったな。お疲れさん」
「まったくですよ。征斉さまには早く自立していただかないと。多紀さんの100か日法要もそろそろ準備しないといけないというのに。……なに笑ってるんです?」
「いや」
 ユフィルが椅子の背に両肘をかけて、夜空を見上げる。
「多紀の凄いところは、誰になにを与えたら一番綺麗な花を咲かせるか、素早く的確に見抜けるところだったんやな、思って」
「……そうですね……きみの研究者としての才能を逸早く見出したのも多紀さんでしたね。研究所をこの島へ移したことも、きみにとっては良かったし。その若さで主任研究員です。私も鼻が高いですよ」
「おおきに、おとん」
「誰が父親ですか」
 あたしと同じこと言ったのに、ユフィルに対しては明らかに口調が柔らかい。
(仲いいんだなぁ、あのふたり……)
 ちょっと羨ましい。
「俺はね、ゆきがヴィラの主に納まってくれて、ほんまによかった思うてる」
「なんですか? 藪から棒に……」
「多紀がのうなって、正直俺は、おまえさんが後追うんやないかと気が気でなかった。でもここ最近のおまえさんは、なんだか楽しそうやから」
「………」
 榊が考え込む。
「いえ、あまりにもトラブル続きで、悲しんでいる暇がなくなっただけです」
「はは、ゆきと一緒に台風みたいな子が来たしな」
 あたしのことか。なんかゴメン。
「で、お偉いさん達の反応はどうやった?」
「でき得る限りの口添えはしました」
 榊が立ち上がって、リビングのほうへ戻り始める。
「あとは征斉さまご本人しだいですね。ですが……」
 室内へ入ったのか、その先は聞き取れなかった。

・・・つづく


第8話 嵐の夜

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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