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感謝を忘れない生活

#日々の大切な習慣

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私には大切にしている習慣がある。それは何にでも「感謝をする」という事だ。
当たり前だと思う人もいるだろう。だが、これは意識して癖つけないと意外と忘れてしまう事なのだ。
誰かに何かをして貰ったら「ありがとう」
これは誰しもがやっている事だが、私は少し違う。

消耗品を使い切ったあと、捨てる前に「お疲れさん、ありがとう」と言って捨てるのだ。周りに人がいる時は額にその物を持っていき、心で唱えてから捨てている。
ここで言う消耗品とは、ボールペンの変えインクや化粧水のボトル、目薬、日焼け止めなどである。
もちろん、カバンや服など、長年自分の生活に寄り添ってくれた物を捨てる時も同様に感謝している。

ある時、職場で消耗品を捨てる時に、職員が普通に物を捨てているのを見て、「使い終わったあとのお礼って誰しもが言う訳じゃないんだな」と気づいたのである。
実際にその職員に聞いてみたが、そんなことしていないとの返答があった。
使って当たり前、なくなったら捨てるのが当たり前。そんな意識なんだと思う。
それが世間一般的には普通なんだろう。

じゃあ、何故私がそんな事をしているのか、無意識のうちに癖ついたのか考えてみることにした。

私は普段から和楽器のお箏を弾いており、名前をつけるなどとても愛着を持っている。湿気や温度、自分の体調、気分などによって楽器との相性も変わる。お箏は木で出来ているため、呼吸をしており、湿気を吸ったり、乾燥などで音がよく変わる。生きているという表現に近い。
舞台前などは脳内で楽器に話しかけている少し変わった人間であった。
「何ヶ月も練習に付き合ってくれてありがとう、今日はいい演奏をしよう、最高の舞台にしよう、頼むぞ」と自分に喝を入れつつ、楽器の気分も上げるようにしていた。
演奏後も片付けながら、その日の演奏の反省会を一緒にし、何か人生で悩んだことがある時は、私の人生の軸となっている楽器の前に座って、お話するのである。

物には九十九神が宿る。それを信じている。
高校生の時から、気がつけばそんな事をしていたため、社会人になった今も色んなものに感謝するようになっていた。
特に私は貯金が趣味と言っていいほど、財布の紐が固く、お金への執着が凄くある。
使えば直ぐになくなる消耗品を自分で買うようになると、親に買ってもらっていた時より更に大切に使うようになり、自分のお金をかけて買ったものだから、捨てる時に感謝するようになっていた。

すると、ある時、凄くタメになる話を聞く機会があった。引き寄せの法則などを教えて貰い、その中に「感謝は返ってくる。だから、色んな事に感謝しよう」というものがあった。
これを聞いて、なるほどな となったのである。社会人になって7年。消耗品に感謝をし続けた結果、自分も色んな人に感謝して貰える人間に、そして、それを素直に受け入れられる様になってきたのである。
物や人に感謝した程度で、と思うかもしれないが、不思議なことに色んなことに感謝出来るようになると、昔のひねくれていた自分はいなくなり、素直に何でも受け止められるようになるのだ。口から陽の言葉を沢山発すると、周りも中身もいい方に向かうのである。
そのため、マイナスな発言をする人も私の周りからはどんどん離れていき、プラスの発言を沢山してくれる人が囲んでくれている。
ごめんなさい と謝り続ける人生より、何にでも ありがとう と感謝し続ける人生の方がきっと明るい。
類は友を呼ぶ。感謝する人間になれば、周りも感謝を忘れない人達で溢れるのだ。
自分自身も、人に何かをして、「ごめんね、こんなことさせて」なんて言われるより、「ありがとう!助かる!」と言って貰える方が気持ちがいい。

これを読んで、きっと、変な話だなとか、物に感謝する意味が分からないとか、あると思う。だが、目の前にあるその使えるという当たり前に気づいて、感謝出来るようになったら、自分の心も暖かくなり、周りの人間も大切にして感謝出来るようになるだろう。
この話を素直に受け止めるか、実践してみるか、それは読み手の貴方に任せる。私は長年やって来て、もう癖ついていて、続ける理由しかないため、ずっとし続けようと思っている。

なんでもかんでも、色んなものに感謝をする。きっと1ミリの損もなく、人としての質を上げられる習慣になる。
小さな事から自分の内面を一緒に磨こうではないか。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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