自己紹介 過去 これまでの仕事

こんにちは。ゼロです。医療法人で働いています。
1ヶ月経ったので自己紹介やプロフィールを書いてみましょう。

昨日は、現在を書いたので過去のことを
手前側から書いてみます。
仕事のことから 学生時代やそれ以前はまた今度

とにかく、移り気なのか継続できなくて、色々なことをやるけど一つ一つはそれほどでもない。

ユーティリティープレイヤー

といえば、聞こえは良いけども器用貧乏なのかな。
なんでもできるけどなんにもできない。
仕事のスキル全部60点(及第点)みたいな。
絵に描いたような文系サラリーマン課長そのものじゃないかな。
9教科 国語数学英語社会理科技術音楽体育美術 オール75点 全部4
↑学生時代のイメージはこれに近い。

オールラウンダーでも体操の内村選手(床、鉄棒)や水泳の萩野選手(背泳ぎ)、瀬戸選手(バタフライ)のようなオールラウンダーでNo.1かつスペシャリストでもあればカッコいいけどね。

元巨人の故木村拓也コーチとかね。憧れるよね。
プロ野球であのレベルだからめちゃくちゃスゴい。それの一般人バージョン。

極めて普通

仕事は現職で5社目
医療法人   
生命保険会社 
医療法人   
介護の株式会社 
経営コンサルベンチャー 

就職活動の時は、バブル崩壊直後の就職氷河期で
大手も安心じゃないベンチャーが熱いみたいな時代だった。

というわけで、聞いたこともないような経営コンサルのベンチャー企業に新卒で入社した。

コンサルはできるけど経営はできん

という名言とともに解散。
新卒入社の4ヶ月後に無職になった。
けど、その時の社長は素晴らしい方でコンサルタントとしては有名な方なので名は伏せます。

その先生のホームページにも自己紹介に書いてあるんだけどね。↓

たった2名で2年間で年商1億円の企業にする。
ソリが合わず副社長に会社を譲り、別事業立ち上げ。
新会社でも短期間に業績を上げ一躍寵児と呼ばれるが3年で撃沈。廃業

とにかく、同時の1999年という世紀末感もあいまっておもしろかったですよ。

朝9時30分~終電まで
だったので、終電が23時20台だった僕はみんなより早く帰れた。まあ、乗り遅れていろんな友人の家に泊めてもらったな。

そんなだから朝が9時30に設定されてたけど、それでも誰も来てないとか会社に泊まるとか。

同期は私ともう一人女性がいたけど入社後すぐに東京に転勤になって一緒に働いた記憶が全くない。

やってたことはウチのコンサルうけませんか?
という飛び込み営業をひたすら朝から晩まで
19時以降はキャバクラに同じ営業をかけてた。
キャバクラのコンサルとか目の付けどころ最高じゃね?
ってほんまに新卒で全く気づいてなかったけど、半分ぐらいのメンバーキャバクラで遊んでただけよね。今、書いてて気づいた。

まあ、結果は社長の紹介の通り撃沈。その三年目に入社してあっという間にニートとなった。

これからは介護じゃね?

まあ、無職になったのでヒマでニートでぷらぷらしてまして、コンビニでバイトしてました。

何かしないとと思っていたらヘルパー2級養成講座のチラシを見つけて、とりあえずここに行けば出会いでもあるんじゃね?
というクソみたいな思いで参加して1ヶ月間の講座をうけた。40人受講生がいて一人だけ今の年賀状のやり取りしてるトリマーの人がいる。介護関係ないじゃん

まあ、その次の年から介護保険が始まるってことで介護業界が盛り上がってたのかな。

ヘルパー2級も受けたし介護業界なら就職あるかな(氷河期だけど)と就職活動したところ大阪府(南河内地域)の会社に就職が決まった。

当時、介護業界なら遺産相続とかで何かもらえんじゃね?って本気で思ってた気がする。
この業界に13年いるけどまだ遺産はもらったことはない。まだまだだなあ。

2000年だからミレニアム感や介護保険スタートで業界全体が浮き足立ってて、気がついたら老人ホームに住んでて部屋が埋まるまで住めば?
という謎展開で同期(女性)と老人ホームの個室にそれぞれ住んでた。
このあたりは毎日のんだくれてたためにやっぱり記憶がない。

仕事は福祉用具の専門相談員をしてたけど
同時に老人ホームの営業もしてた。

介護保険自体ができたばかりでデタラメだったので
先輩職員が3人中3人とも失踪したり下請けや取引先が飛んだり、色々デタラメでした。

そんな中、会社の先輩が取引先の病院が介護事業立ち上げるから一緒にいかね?
という誘いがあり転職

一年もたたず口をきかなくなった

立ち上げたのは訪問看護、ケアプランセンター、福祉用具レンタルの3つ。24で責任者をすることになったけど、立ち上げといっても人のお金
責任者だから好き勝手やる。
訪問看護の看護師さんが美人ばかりで集中できない。というクソな態度のせいで先輩は激ギレ

一緒に夢語ってたはずが一年もたたずに口をきかなくなり先輩は独立した。

完全に自分が悪いし、先輩がいなくなったのだからチャンスだったはずだが、視野が狭すぎて人を呼んでおいて逃げたと解釈していた。
※来ると判断したのは私自身なにを人のせいにしてたんだか。情けない。

一番やさぐれてた時期かな。
出勤するのに動物園前とか新今宮で乗り換えててよく日雇いの人に

兄ちゃん仕事あるで と声かけられた。
悪いオレ定職あるねん と答えて
ほんまに?? って会話をよくした。

天王寺MIOとか近鉄、天王寺美術館が好きで当時はよく行ってた。(平野区に住んでた)

キタでもミナミでもなく僕は天王寺だね。
言うてたけど、今はハルカスできて天王寺公園がめちゃくちゃキレイになって激変したよね。

もう知ってるところじゃなくなってしまった。
チン電に揺られて出勤するのが楽しかった。
何回かチャリひく!とかクルマにあたる!!ってビビったことあったけど実際にそんなことはなかった。ちゃんとギリギリでチャリ避けてた。

住吉大社はパワースポットだと思う。

そんなこんなで生命保険会社に転職

そんなこんなってなによ?結局先輩が抜けて経営陣との間にたつ人がいなくなりオーナーとも仲が悪くなってしまった。

まあ、27、8の若造が知った風に経営に口出ししてその前にお前は自分の部門で結果だせと言われキレちゃった感じ。

結果出すにはああしてくれ。こうしてくれ。
自分がやりますというといてからに。ほんまに。
オーナーが協力してくれないというまた人のせいにする思考が爆裂してしまったというお話。

ほんまにタイムマシンがあったら自分のせいじゃ!
と殴ってやりたいが、それを気づけたのはそれらの経験があったからこそで。

当時の皆さま本当にすみませんでした。
感謝しかありません。

外資系かっこよくね?

と転職するわけです。これ以上は長くなるので
今日はこのあたりで。後編にわけてかくね

ハッピーな一日を
楽しもうね
ではまたね。

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