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コーヒーは私とあなたを繋ぐもの

コーヒーって
この世とあの世を繋ぐものなんだよ

と、教わったことがある
もともとはコーヒーを探求していた私が
茶の世界にどっぷりはまっていた時の事だった

茶の精神はまさに禅の精神
「茶禅一味」という言葉があるくらい
茶は禅を体現したものだ

道元禅師が始めた「茶礼」がその始まり
もともと仏教や禅が大好きだった私が
この世界にはまり込むのに、そう時間はかからなかった

煎茶道のお稽古に通い
中国茶から神仙道、錬丹術を学び

歴史、仏教、密教、神道と
茶で禅の精神を学び、体現するという
あまりにも面白いお仕事をいただいていた時

私にとって、コーヒーはちょっと・・・
軽視するものになってしまっていた

そんな私を見透かしたかのように
師匠はこういった

「コーヒーはこの世とあの世を繋ぐものなんだ
此岸と彼岸、此(こ)と彼(ひ)でコーヒーなんだ」

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コーヒーの「ことだま」

日本は「ことだま」という精神性が根付く文化
だから、言葉をすごく大切にしている

そんなことないよ?
と思いますか?

でも、もし結婚式にお呼ばれしたら?
「切れる」「別れる」などの言葉は禁忌として口にしません

受験生が目の前にいたら?
「すべる」「おちる」などの言葉は避けますよね

それこそが、「ことば」に何らかの影響力があるという事を
問答無用に信じているからこそ、おこる気遣いです

では「珈琲」は?というと
まずは、漢字を見ると

「珈」はかみかざり
玉をたれさげたかんざしの一種

「琲」は玉を連ねた飾り

の意味になりますつまりどういうことかというと・・・
(上島珈琲の「コーヒートリビア」より)

幕末の蘭学者 宇田川榕菴(うだがわ・ようあん)が
コーヒーの木に実った赤い実の様子が
女性の髪飾り(かんざし)に似ていることから

女性の髪飾りに使われる玉飾りを意味する「珈」と
玉飾りの紐を意味する「琲」を組み合わせて
「珈琲」と表記したそうなのです

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確かに、髪飾りに見えますね

では、音の方ではどうでしょう?
この、「音」の意味が
師匠の言う「この世とあの世をつなぐもの」だったのです

こちら側とあちら側

まず、こちら側とは何でしょう?
それは、「私」です
または、「現実」だったり「物質」だったり「文字」などの
形のあるモノの事

では、あちら側とは?
お彼岸と言ったりしますよね
遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりで
今ではそれが、先祖供養の日になっています

つまり、見えない世界、あの世が「彼岸」ということ

じゃあ、あの世と此の世を繋ぐというと
なんだか突拍子もない事のように聞こえますが
案外、そうでもないのです

というのも、見えない世界というのであれば
目の前にいる人の心の中、頭の中も
見えない世界です

例え、口では強がっていても
心の中では不安でいっぱいだったり

余裕をかましているように見えても
頭の中では必死で打開策を考えていたり

頭、心の中の見えない世界から
物質の世界、この世に形として現れたものが
「ことば」「文字」「表情」「態度」「作品」「料理」
だったりしますが、これらは全部
「思ったこと(考えた事)」を100%表現できているモノではありません

自分では、普通に言ったことが
相手を激怒させてしまったりした経験はありませんか?
「そんなつもりではなかったんだけど・・・!」
と、言い訳したことは?

頭の中にある事、胸の内で思っていることを
100%言葉にすることが難しい
さらに、それを受け取る人が、勘違いをする可能性もある

となると、私の「想い」を相手の心に届けるという事は
かなり難易度の高い作業になるという事です

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フルーツか?大徳寺納豆か?

先日東京のコーヒー屋さんで
とてもフルーティーで、まるでお酒のようなコーヒーだ
という事でおすすめいただいた豆がありました

実際に、ワインを作る時の製法で作られているという
一風変わった豆ではありました

飲んでみると、実際にフルーティーで
お酒のような熟成した香りがフワッと、あたりに広がりました

これは美味しいぞ!!
と思って、豆を購入してシロフクに帰ってきました
そして、今日、その豆を挽いて、ドリップしていた時

湯気と共に、香りが立ち上り
私の鼻に、その香りが届いた時
「こ・・・!!この香りは!!?」

コーヒーの香りが、ある香りと一致したのです
豆を熟成させて馥郁とした香りと、フルーツを絞った時のような
爽やかなすっぱい香り

これ・・・「大徳寺納豆」やん・・・(;゚Д゚)

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大徳寺納豆とは、いわゆるネバネバの納豆ではなく
塩味の強い古来の製法に則って製造された食品です
麹菌を使用して発酵させ、乾燥後に熟成させたもので
味としては、味噌・醤油のようなものです

でも、コーヒーと共通するところはいくつかあって
もともとが豆で、熟成させているところ(笑)

なんにせよ、私は脳内で
この独特な醸した感じのコーヒー豆の風味を
「お酒みたい」ではなく

自分の身近にある「大徳寺納豆」をイメージしてしまいました
(お茶のお店でお茶請けとしてつかっているので)

なので、そこからは、フルーティーな酸味ではなく
味噌、醤油のような酸味

ワインのような風味ではなく
赤味噌のような風味
としか感じられなくなってしまいました

そして、スタッフからも
「そういうこと言うから、自分たちも
大徳寺納豆にしか感じられなくなったじゃないですか!!
そういう誘導やめてくださいよ・・・
せっかくのコーヒーがもったいない(笑)」と非難される始末・・・

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自分の感覚と相手の感覚のすり合わせをする

「私にとっての大徳寺納豆を
あなたの言葉に置き換えたら何になるのかを知りたい」

と、スタッフに伝えました
同じものを飲んでいるのですが
自分の持っている五感は、生活習慣や食べるもの
これまで食べてきたもので、違います

インド人にとってはフツーに食べれるカレーでも
日本人にとっては辛すぎるとか

日本人にとってはちょっとツンと来るくらいのワサビも
外国の方にとっては脳を指すような刺激に感じたり

同じものを目の前にして
10人入れば、10通りの感じ方をしていて
それを言語化するときに、また、表現の仕方や受け取り方で
摩擦が生じる

自分が「言った(言語化した)」から正しく伝わる
という事は9割がた無いのだと思います

とにかく、同じコーヒーを飲んで
スタッフはどう感じているのか?を聞いてみました

結果、私にとっての大徳寺納豆は
スタッフにとってはイチゴでした

言語化したら伝わらない

これは、おどろきでした
同じものを飲んでいるのに、私は大徳寺納豆みたいと思っていて
スタッフはイチゴみたいと思っていた

これって、もし何も考えずに
「このコーヒーおいしいね」とか話していたら
表向きに会話は成立していたとしても
まったくコミュニケーションは取れていないという事になる(;゚Д゚)

自分の心、思考という見えない世界と
相手の心、思考という見えない世界を繋ぐために
「ことば」「文字」「表情」など、この世という場所に
見える化するということ

端的に言うと、コミュニケーションをとる時に
その間に、コーヒーという飲み物があると
スムーズにいくのかもしれない

コミュニケーションとは、一方的な発信ではなく
相互に想いを伝える事

どちらも否定するのではなく
どちらもが含まれる新しい共通項を見つける事
自分の想いを表現するために学ぶことが
本当の学びだと聞いたことがあるが

自分自身が学びながらも
相手を慮る配慮が必要なのだと思う

コーヒーの香りが漂うテーブルで
互いの想いと繋ぐコミュニケーションをしようと思った

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