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【翻訳してみた】「存在しない世界のために子育てをしていませんか?」by Love and Logic®: "Are You Preparing Your Kids for a World that Dosen't Exist?"


これまでの【翻訳してみた】はこちら↓

翻訳してみた

冒頭

子どもたちが過ちを犯した時に責任を取らせても問題ないでしょうか。それとも、もはや子育てには当てはまらない時代遅れな考え方なのでしょうか。Love and Logicではいつも同じことをお伝えしています。それは、「乗り越えられる程度の間違いであることを信じ、強く誠実な愛情のある共感を与え、論理的あるいは自然な結果を教訓とする」ということです。

私たちは無条件の愛や、尊厳、そして子どもたちが小さな間違いを経験するための機会を与えています。それが、Love and Logicでいうところの「愛(Love)」です。そして、自分の選択の質が人生の質を大きく左右することに気づいたとき、子どもの心と頭の中で「論理(Logic)」が発達します

選択の重要性とは?

(※本文に登場する「consequences」という言葉を、本文の趣旨から「悪いことをした時にもたらされる結果」という意味で「お仕置き」と訳しています。)

「お仕置きを経験させることで子どもたちを動揺させることが、恐ろしく、まさに意地悪であると考えている人がいる」と初めて聞いた時のことを話しましょう。私はあるセミナーで講義をしていて、あるお母さんが16歳の娘のセラピストから勧められたことについて困惑しているという話をしてくれました。

彼女の娘は携帯電話で不適切な画像を送信しており、そのお母さんはその結末として携帯電話を取り上げることがとても重要だと考えました。しかし、そのセラピストは両親の判断はやり過ぎだとし、「これは娘にとってあまりにも腹立たしいことになってしまう」と言いました。

ここ数年、「no-consequences(お仕置きなし)」というムーブメントが奇妙にも人気を集めています。それがたとえ大きな愛をもって提供された合理的なものであったとしても、お仕置きを経験させることは禁物だと言います。こうした主張は、我々が子どもをよりうまく愛し、子どもたちが感情的に欲しているものを満たしてあげることができれば、お仕置きは必要ないと信じているようです。あなたも聞いたことがありますか?

今報いるか、未来で報いるか

私たちは子どもたちが小さいうちに、自分で決めることが重要であり、その結果は(うまくいかなっかったとしても)些細なことであると学ばせることもできます。あるいは、大人になってからこの教訓を社会に教えさせることもできますが、その結果はしばしば悲劇的なものになるでしょう。

ところで、上記の例のお母さんは娘から携帯を取り上げましたね。彼女は娘に、彼女をとても愛していることと、不適切で危険なことをするために携帯を使われると、携帯を使わせることにいい気持がしないということを伝えました。彼女は、(自分が)責任を果たすことを知らずにどうやって子どもの責任感を育てることができるのかわからなかったから携帯を取り上げたのだと、私に説明しました。

私たちが提供している「Real Talk on Technology」というオーディオでは、今日のデジタル社会において直面する子育ての課題を乗り越えるための、実践的な手段について紹介しています。具体的には、子どもたちがインターネットや、SNS、ビデオゲームなどについて適切に判断できるように支援するための方法が収録されています。

Love and Logic一同、みなさんの安全で、健康で、幸せな休暇をお過ごしできますよう祈っています!
読んでくれてありがとうございました!

チャールズ・フェイ博士

おわりに

「叱らない育児」の誤解

子どもが悪いことをした時に、ついつい怒鳴り声をあげてしまう、きつい言葉で叱ってしまうというお母さんは多いでしょう。
私もその1人です。
その度に後悔し、自分を責め、私はなんて我慢のできない母親なんだと自己嫌悪に陥っています…
でも、だからと言って私は子どもを注意するのをやめようと思ったことはありません。

日本で見聞きする情報では、「怒鳴り声をあげるのは子どもの脳の発育によくない」とか「ほめて伸ばすことの方が大切」という、断片的なメッセージが強調されて広められているように感じています。
このどちらも、きっと間違いではないのでしょう。
でも、これは「間違った選択をした子どもを野放しにしていていい」という意味ではないと、私は信じています。

もちろん、こうして明確に書き記せば多くの保護者は「そんなの当たり前じゃない!」と思うのかもしれませんが、隠れたメッセージとして誤解してしまうと不思議と違和感なく、「子どもが悪いことをしたとしても、叱らずに良いところを見つけてあげよう」とか「間違いを犯すのが子どもなのだから、いちいち目くじらを立てても仕方がない」といった選択をするようになってしまうのではないでしょうか。

そう、これ、誤解なんです。
筆者たちはきっとそんなメッセージを送ろうとしたつもりはないと思うのですが、「でも善悪はつけれるようにならないとね」という前提が共有されていないとこうした誤解につながったりするのです。こうした誤解を解いてくれるのが、今回のメールだったのではないかなと思いました。

保護者はどうすべきなのか

残念ながら、有料で「Real Talk on Technology」を聞かないと「じゃあどうしたらいいの!?」という部分を教えてくれないのですが(笑)
でも、ヒントは「彼女は娘に、彼女をとても愛していることと、不適切で危険なことをするために携帯を使われると、携帯を使わせることにいい気持がしないということを伝えました。」という、この1文だと思っています。

娘は、今この段階では1度の過ちで済みました。
まだお母さんに注意されて終わりで済むレベルです。
これを指摘してきせずにやり過ごし、娘が不適切画像を送ることを繰り返すようになり、大人になってからどんなことが起きるのかを想像したら…
というのが、「今報いるか、未来で報いるか」でのお話です。

こんなに長々と話なんて聞いてくれるわけないじゃない!という声が聞こえてきそうですが、ポイントは「私はあなたを愛しているんだよ」「あなたのことが大好きだから話しているんだよ」と最初に伝えることだと思います。少なくとも、以前の父親に関する翻訳メールに書いてあった「共感」を示すことで、子どもの聞く態度は大きく変わってきます。どうかお子さんを、子どもたちを、信じてあげてください。

実例がほしい!という方のために…

参考になるかわかりませんが、甥っ子の話をさせてください。
小学校4年生の甥は、それはそれは元気いっぱいのやんちゃな田舎の男の子です。根はやさしく、年下の子の扱いも上手です。
コロナの関係で、先日何年かぶりに会って数日間を過ごしました。

しかし、彼の言動は、少なくとも教員である私にとっては許容できない、人を傷つける恐れのあるものもあったのです。

その子の両親はとても大らかで、エネルギッシュなタイプのため、多少のことは「ケガしても仕方ないさ!」というスタンスですが、危ないことをした時は一言「危ないだろ!」「やめなさい!」と言ってくれます。
最近甥っ子が口答えをしたり、注意されても言い返したり、まじめな態度で応じてくれなかったりするということを言っていました。
確かに、お父さんお母さんに怒鳴られてもどこ吹く風。反抗的な態度をとることも多かったです。
(年齢的には、まあ、あるあるな話です)

そんな前情報もあったので、「久しぶりに会う叔母だし、ガツガツ注意しても効果ないだろうな~」と思い、危険行為があった時には意識的にLove and Logicの手法を使って話をしてみました。

例えば、
・ボール投げで幼児相手に強すぎる力を出した時:「そんだけ強く投げれたら、そら楽しいよね~!でもごめん、4歳児(息子)はまだその強さじゃケガしちゃうわ」
・マジックハンドで目や顔を狙って挟みにきた時:「それ、楽しいのはわかったから!顔だけは狙うのやめよう。あとはどこでも!かかってこい!」
・強風で波が高い時に海に行きたいとごねて叫びまくっていた時:「そっかあ、そんなに海に行きたかったのか~。でもこの波で甥っ子くんが行方不明にでもなられたら洒落にならんわ~wさっきお父さんが昼過ぎには収まるだろうって言ってたけど、それまでに宿題でもやらん?(笑)」→そして嫌がられる(笑)
などなど…

もちろん、一瞬でいい子になる魔法なんてどこにもないので、すぐに忘れて危険行為に走ることもあるのですが(笑)
でも確実に、こうした声掛けの後は表情が穏やかになったり、荒ぶる感情を自分なりに整理してきたりするようになったのです。

しかし不運にも、彼のいたずらで大人一人が目にけがをしてしまったのです。
私はけが人の対応で、その時周りの大人がどんな声掛けをしたのかを観察することができませんでしたが、けがした人を気にせず楽しく遊んでおり、あまり深刻にとらえていない様子だった彼に私がかけた声掛けはこうでした。
・「昨日、顔は狙ったらいかんって言ったと思うんだけど、どうして狙っちゃった?(んー、楽しかったから。つい。)ケガが起きてからごめんなさいと言ったって、そのケガは治らないんだよ。目にケガをするってことは、目が見えなくなることだってあるんだよ。」
・「今、君にできることはなんだと思う?(・・・)いますぐ、○○さんのところに言って、きちんと謝っておいで。」

そして、実際に目の痛みに苦しむ様子を見た彼の表情は、ことの深刻さを理解したようでした。
ことの顛末を見せるために、これから病院に行くことを伝え、きちんと勇気を出して謝れたねと伝え、その日はそれで終わりました。

翌日、彼は遊びの最中にまた人の顔を狙ってしまいました。
これはもう癖なので、1日2日では治りません。
が、「昨日、何が起きたか覚えてる?」と声をかけると、ハッと気づいたように遊び方を変えることができるようになったのです。
危険行為をまず止めるためにこの声掛けから始めましたが、先に挙げたように遊び方に応じて楽しい気持ちを認めたり、すごい技を見せたかったことを受け入れたりする声掛けをすることでフォローを入れました。

そして何回か繰り返すうちに、顔を狙いそうになった瞬間ピタリと止まり、思い直したように別の場所を狙って遊ぶことができるようになったのです。
すかさず、「今、顔は狙っちゃダメって思い出したね!」と声をかけると、とても誇らしげにほほ笑んだあと、「うん!だから腕を全力で狙うわ!」とニヤリ。
その日はほとんど大人から注意されることなく、楽しく過ごすことができたのでした。

おわりに

共感されることで安心を知る、自分が下した判断の顛末を知る、そして間違ってしまっても乗り越えられる方法を知る。
これがLove and Logicの良さだなと、勉強を始めてから強く思うようになりました。

こうして書き出してみて、私はまだまだLoveを伝える量が足りてない!と反省するのですが、子どもに対する気持ちの持ち方が非常に楽になったと思います。

1日でも、1秒でも長く、子どもたちと笑いあっていられる時間を持てますように。

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