見出し画像

モチベの下降気流に入り

2022年に入り、昨日は明確に「あ、なにもしたくない・・・」という状態が来ました。とはいえじっとしているのもうまくできない性分で、眠くないのに寝ることもできず。その結果、2時間散歩した土曜日。

やることはたくさんあって、本当なら小さく潰していくのが一番の特効薬なのですが、気持ち的にはそうでもないらしい。実際は動けばやる気なんざ後からついてくるのも、もう経験的に頭ではわかっても、やはり初動時の抵抗の大きさたるや。走るのも疲れるしとわがままな気持ちを汲みながら、では当てもなく歩いてみるかと、幸い寒くなかったこの日は通ったことのない道を選んで歩き回ることに。

歩いてみて気づいたことが2つ。
「最近、遠くを眺めてなかった」
「意外と近くに綺麗な景観が存在している」ということ。

写真を撮るまでは行かずとも整った住宅街は心くすぐられ、地名で「池」がよくついている地域だと思っていても、これほどちょくちょく池に出会うとは知らなかったし、そのほとりに雰囲気の良さようなカフェは大通りからちょっと奥に存在していたという。

丘を上って向かいの山は近いようで遠くに見えて、普段のディスプレイ、本、スマホの画面とは違う距離に頭が痺れた。

雑木林の横を通った時の腐葉土の匂いも懐かしく、そっか、しばらく五感を使わずに生きてきたみたいだ、と外の認識を広げることができた。

そもそも外の世界こそがリアリティのある本来の「世界」なのだけど。

ひとり、てくてくと歩いてみると、徐々に自分が空気と同化するように自分と外界をなくしてゆき、いま思いかえすと肉体を感じず、頭の中の感覚だけの放浪を楽しんでいたように思える。

人から離れる=自分と感覚を一致させる

それができた、あてのない散歩だった。

明石多朗はペンネームです。たっぷり朗らか、と書いて「多朗」です。太郎と間違えられますが画数がとてもよいので間違えないでください。 多朗です。