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「編集」と「創作」の違いがわからなかった話

最近、お仕事で寄稿コラムの編集をする機会が増えた。

寄稿コラムの進め方は、書き手にテーマだけを伝えて自由に書いていただいたり、構成を組んで認識を擦り合わせた上で書いていただいたりとさまざま。

ただ、一般的なインタビュー記事とは大きな違いがある。それは「編集の自由度」である。

コラム記事には「余白」が少ない

通常、インタビュー記事は1時間くらいの話の一部を抽出してつくられる。文字起こしでは20000字あっても、記事では4000字にまとめられていたりする。そのため、「何を切り取るか」という編集作業が重要で、これは言い換えれば、「編集の自由度が高い」とも言える。 

一方、寄稿コラムは書き手の考えがそのまま4000字にまとまった状態で、編集者に回ってくる。だから、多少要素を足したり、表現をわかりやすくしたりすることはできても、切り取るための余白が少ないため、大きな変更はできない。

もしもイメージ違いのコラムが上がってきたとしても、「イメージと違うので、イチから書き直してください」はまずできない。それは、イメージのすり合わせができていない編集者側の責任なのだから。

当然、編集者側で勝手に書き換えることも許されない。それはもはや、書き手の記事ではなく、編集者の記事になってしまう。仮に「勝手に書き換えてくれてもいい」と書き手が言ってくれたとしても、それもそれで読者に対する裏切りになりかねない。

「編集」と「創作」の違い

コラム編集を始めた当初、ぼくはこういうことが全くわかっていなくて、大きな失敗をした。失敗を通じて気付いたのは、「自分は"編集"と"創作"をごちゃまぜにしていた」ということ。

辞書的な意味とは違うと思うけれど簡単に言ってしまうと、

■編集
「こういうことが書きたかった」という書き手側の意図を汲み取り、記事に反映させること

■創作
「こういうことを書いてもらいたい」という編集側の意図を、記事に反映させること

である。

インタビュー記事の場合、インタビューイーが全てを語れるわけじゃない。その場で適切な表現が出てこなかったり、わかりやすい具体例が出せなかったりと、言葉足らずが必ず発生する。

だからこそ、ライター・編集者は「言外の意味」を汲み取り、表現を変えたり、言葉を足したりして、原稿を編集する。言い換えれば、事実をよりわかりやすく伝えるために「演出」をするのである(※)。

一方、コラムの場合は前述の通り、書き手の考えがまとまったものをそのまま受け取る。そもそもの材料が少ないため、「言外の意味」がつかみにくい。

加えて、書き手はロジックの通った文章を書いたつもりでも、読み手目線に立つと伝わりにくいケースが少なくない。だから、編集者は読み手にとってわかりやすい文章にしようとアレコレと相談・提案をする。

しかし、ここで書き手とすれ違ってしまうケースが少なくない。編集者が「言外の意味」を正確に読み取れないがゆえに、演出のつもりで伝えたことが、書き手にとっては過剰な創作になってしまうからである。

特に相談・提案の数が多い場合、無意識的に「編集者側のロジック(言ってしまえば、シナリオ)」を通そうとする気持ちがだいたい働いてしまっている。そのロジックは美しいのだが、書き手がそれを望んでいるとは限らない。もしも書き手と編集者の意図が合致しなかった場合は、「こんなことは書いていない」と大目玉を食らうことになる。

※演出についてはさまざまな人が同じインタビュー音源で、記事を作った「ほぼ日の塾 発表の広場」を見てもらうとわかりやすい。

きれいにまとまった原稿は本当に良いのか?

編集者としてはやっぱり「きれいにまとまった記事にしたい」という気持ちがある。そう思ってしまうこと自体はまぁ仕方がないだろう。しかし、その気持ちを優先させすぎると、どうしても視野が狭くなってしまう。

だから、視野を狭くしないようにするために、自分がやっていることが果たして「編集」なのか、「創作」なのかを意識的に考える必要がある。

特に一定レベルの執筆力・編集力を持っている編集者は、なんとなく記事をいい感じにまとめることができてしまう。たくさん朱を入れていい感じにまとめて満足している時にこそ、「これって創作じゃないか?」と疑うことが大切だと思う。

そう考えると、そもそも原稿がきれいにまとまること自体、本当に良いことなのかという疑問も。ひょっとしたら、読者はきれいにまとめすぎた原稿を見て、辟易としているかもしれない。「あー、またこのパターンね」と。

ときには「わかりにくくても、インタビューイーの意図がしっかり反映された言葉」とか「書き手があえて使った難しい表現」とかを残してもいいのかもしれない。

わかりやすい表現が好まれる時代だからこそ、大切なことを何でもかんでもわかりやすい形に収めて、読者を何となくわかった気にさせるよりも、どこか引っかかりを残してモヤモヤさせる。そういうのもまた、編集なのかもしれない。

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