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わたしというひとりのために:日々のあれこれ

最近、自分の感覚とは違う方と話をする機会が増えました。
そこで生まれた気付きについて、需要はあるのかどうかわからないけれど、今後の自分のためにメモをしておこうと思ってちゃかちゃかとキーボードを叩いています。

なんとなく、自分の心根に従うとどうなるのだろうというのも気になったので、せっかくなのでと掘り下げ中です。

需要と供給

ちょっと前までの私

自分のアカウントの運用をそうしているせいか、占いを介して話をすることが好きなのかも、と気付いた昨今。

テキストベースでももちろんですが、youtubeでの三択動画であったり、対面鑑定や講座であったり、オンラインであったり。
いろいろな方の見方を学んでいる最中でもあります。

その中で、自分の創作についてを問いかけ続けている毎日です。比喩です。
確認しているのは、方向性だったり、現状の二者択一まで絞れた問題への判断材料を求めたり、その場のタイミングによっていろいろです。

オンラインの難しさ

対面であればいざしらず、録画で大多数に向けての動画であれば、「コレを選んだあなたは~」の内容に「納得ができなーい!」「全然前提違うかも!」となることもまあ普通にあります。
配信されている方は「ほかの選択肢も〜」という言い回しをしておられるように思う。のですが、そこまでしてポジティブ解釈をしたいわけでもないので、だいたい視聴をやめてしまうのです。結局自分のことは自分で決めたい

テンプレのように型枠に嵌められているように感じて「本当にそうなのか」と、疑問に思った結果、自分でも星読みであったり、カード占いの方法を勉強するようになったのが昨年だったのかなと思います。
なんとなく、まだまだコロナの気配を強く感じていた、ということもあるのかもしれません。

けれど、2024年になってからはそこまで大きくそちら側にはいかず。使ったほうがいいのか、を聞いているのですが、みなさんから聞いている感じでいうと「そしてどうしたいの」と問いかけられている用に思います。

なんとなく自分自身のことばかりを考える日々です。

自分にとっての「ほしいもの」と「出せるもの」

特段起業を意識しているわけではないけれど、やっぱり自分を「選んでもらうには」について少しずつ擦り合わせをする時期に近付いているのかもな、と思う事柄が増えました。

その中で、自分はどういう答えが嬉しくて、何を難しいと思っていたのかをひらめく瞬間がありまして。

それも意図せず、たまにしかないので、次の瞬間別のことを考えたときには閉じてしまうこともある中途半端なひらきなのですが。
なんとなく「こういうものがほしい」けど、自分の「ほしい」じゃないんだよなあ、と思うことが増えてきたのかも、と考えているところです。

いっちょかみなので「とりあえずやってみたい!(ドン)」で走り抜けるので、その先が100メートルなのかマラソンなのか考えていないというのがありそうです。結構瞬間で動いてしまうという悪癖ですね。

よくある経験則を引き出すにも、自身の経験が浅すぎるなあと思っていることはあります。いろんな本を読めば読むほど、自分の観測範囲って狭いよなあと改めて。

自分と他人との距離感

新しいことをやるにあたって、お試しなり、練習させてもらえる環境があるかどうかという部分を考えることがあります。まだ、チャレンジに対しての恐怖心がでかいんだなと気づき始めたところです。
失敗してもいいよー、と言われたいというか。

というか一歩踏み込んで入るとどうなるのだろう、と想像がつかないから、ということもあるかと思います。

今考えていることがちょっとニッチな分野なので、そういうオープンな場に飛び込んでみたいような、そうでないような。
冒険心と無謀は違うよなあと思いつつも、どこか破壊衝動に委ねてしまいたくなる自分を、ある意味抑えてくれているのは社会構造なのかなと思っていたりします。

親族に迷惑かけたら~とか、職場のひとに迷惑が~とか。
そんなことを考えていても、誰も助けてはくれないのでしょうが、勝手に考えて、勝手に期待して、勝手にへこんでいます。笑

この「勝手に」という部分に気付けたのも、ある意味自分を俯瞰して見られるようになったからなのかも、と思います。

画面の向こう側にいる人間に、全部を知ってもらおうとしていた時期があり、やはり、そういうのは健康的でないんだなと、ふと思ったのです。

お気持ちの用法用量

自分の書く文章がきっと好きなのだろうなと思うんです。
たぶん。おそらく。

だからわりと、書き直しのきかない手紙よりも、こういうブログ的な記事の方が好きなんだということに気付きました。その時々の自分の感情が、たとえば漢字のひらきなんかで分かってくるところがあるので。

今だからわかること、なんかも時系列と一緒に出てくるのが面白いところ。書き直しを何度した、というのはないかもしれないが、自分のなかの「こう」に近い残像。

人に伝える文章と、自分に書いている文章の違いも、もちろんあるはず。あとは小説にするか、エッセイにするか、はたまた日記にするか。
このnoteはちょっと日記寄りな書き方をしているから、ちょっとだけ甘えた書き方になっているのかなとも思います。

小説なんかだと特にそうなのですが。

不定形の自分として、文法的には正しくない日本語なんかを使っていたとしても、私として書き続けたいのだろうと思うんです。いわゆる、一般的なただしさってやつに、自分の気持ちを歪められたくないんだよな、という、ちょっとしたわがままです。

そういう意味でも、やはりターゲティングって大事なんだろうなと思います。依頼や募集のテキストだけを見てもわからないことが沢山ある。

そういう世界があることを知れるのも、また、楽しい。自分のちっぽけな世界を広げていけることを、楽しみに生きています。

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