創作落語 ~深層組編なまほしちゃん回~ 『時かけそば』

※これは落語名作200選上巻の14%しか読み進んでないエアプ勢の書いた落語みたいなものです。(実際今回途中で、落語っぽい語りなくなりますし)

※深層組出身VTuberのなまほしちゃんのデリケートな話題に多少触れますので、察した方は見ないようにお願いします。

※語られる過去は、フィクションなので間に受けないで下さいね。


   〇     〇      〇



後悔というものは、誰にでもあるのは勿論でしてね。

特にこのVTuber界隈、そういうものが絶えなかったりします。
こんな良いグッズが、後から入った自分には買えなかったってのもあるし、見たかったアーカイブが消えてしまうことすらよくあります。
まったく、配信でトラブルならともかく、演者がアーカイブなくなるかもと言った時には、何をしても駆け付けたいものですな。

普通、後悔しても過去には戻れないものですからね。
まぁ、戻れたところで、力のない身で何ができるって考え方もありますがな。


まぁ、それで。実はこういう話がありましてな。

昔々ある所に、Sという男がおりましてな。
そいつは、大層VTuber好きでして、面白そうな女がいると聞けば、あっちの配信に行ったりこっちの配信に行ったりと、ふらふらしてたわけですわ。
大層惚れっぽい上に、行動力のある男でしてな。大した給料も貰ってないのに、その稼ぎの多くを彼女達に費やしたり、コメントしたり、配信で役立ちそうなメールを送ったりなどをしていた。
それでいて、ラインは越えてこないわけですから、まぁ模範的なリスナーってやつですな、この男は。

で、この男が今なぜ、天ぷら付きのかけそばを前にして、お店でずっとうなだれているのかと申しますとな。

推しが――死んでしまったんですな。

その推しというのは、なまほしちゃんってVTuberでしてな。

白い肌に白い髪、こちらを見上げてくるような可憐な瞳で、すばらしき薄い胸のロリであるに関わらず、ズバズバときっつい事を言ってくるし、そうかと思えば真面目になって、何年生きてるのかわからないような言葉で、こちらの悩みに真剣に乗ってくれるんだ。毒親に育てられて、それからいろんな大変な目にあってきた彼女の、深い経験が生み出す、誰にも真似できない素晴らしい配信者だったそうな。

その男も、彼女のそんな面白さに夢中になって、毎回配信を見に来て、無理せず限界まで投げ銭をしていたんですわ。

そんななまほしちゃんが死んでしまった――栄養失調によって。


まぁ、知っていたんですな。彼女が限界暮らしをしていたことはね。このSって男は。
だって、配信でそう雑談してるのを何回も聞いてましたしね。その男ばかりじゃない、他のリスナーもみんな知ってることですわ。
でも彼女があまりに笑いながら言うものですからね。応援の言葉と投げ銭でまだなんとか暮らせているとばかり思ってしまってて、俺はおめでたい男だと自分を責めていたんですな。
言葉とはした金で、腹が膨れるわけもないんですけどね。まったく。

そんで、彼女の暮らしは、とうに限界を迎えていたんです。

彼女は難病にも指定されるような弱い身体で、ろくに働けず、その上国からの支援も受けられなかったわけでしたからね。だから、こんな配信なんて明日も知れないような場所で稼ぐしかなく、そしてその金額も十分ではなかったそうな。

ここ3週間程、配信してなくてこの男を含めリスナー全員でずっと心配してたわけだったが、ふと急に入った掲示板での情報で彼女の死がさっき証明されてしまったってわけです。


なまほしちゃんが、そんな生活の中で孤独に死んでしまったことを。

そんで今このSという男の頭の中では、「生活保護をずっと受けられなくて、ほんとにほんとに欲しかったから、なまほしちゃんってつけた」って、かわいい声でちょっと豪快に笑う彼女がずっと、離れなくなってしまってるってこと。

いやー、こんなの後悔してもしきれるものじゃありませんよ、旦那。こうなったら何を言っても無駄、自分を責めて責めて止まるわけがありませんや。
もっと彼女に何かを送るべきだったのではないか、彼女の為に直接何かをすべきだったのではないか、そんなふうに呟かずにはいられないってものですよ。本当に。
そんで、Sって男は、実際この店でぶつぶつと呟きながら、青白い顔で天ぷら付きそば定食を見つめていたわけでして。

で、そんな悲しい男を前にして、かける言葉があると思いますか?お客さん。えぇないでしょうとも。


でもね。そこで不思議なことが起きた。


誰も話しかけられるはずもないのに、まぁ声を掛けてくるものがいたってわけですな。
そいつが誰かって?
いや、不思議なことにそいつがどこの誰かもわからない。
だって、そのSって男、そいつの顔を見てないわけですし、その声も男だか女だかわからないような不思議な声をしてるって有様じゃあ、天下のアキネーターでもわからないでしょうや。
えぇ? ならお前さん。そいつの顔でも服装でも見ればいいじゃないかって?
それはそうで当たり前なことでござんしょが、ここはまぁそれができなかった理由はひとまず、隣にでも置いていただきまして、ここはそいつが話した言葉について注目していただきましょ。
で、そいつは何を言ったんだい?って。

そうだ。そいつは、その可哀想な男に向かって、こう訊いてきたんだ。
「今、何時(なんどき)だい?」というふうに。


不思議なことでしょ。
見るからに落ち込んでいる男に時間を聞く奴が、どこにいましょうな。
まだ、店員から出てってくれって言われた方が、この話に信憑性でも付きましょうが、でもまぁその時確かにそいつはそう言われたんだ。
「今、何時(なんどき)だい?」というふうに。

で、実際その男もその言葉に怒りましてな。
まぁ無理もありません。推しが亡くなったんです。こんな時にそんなこと聞いてくる場合かと、
「こんな時に、何を聞いてくるんだい!」と男は、そいつに振り返ったわけですな。
すると、不思議なことが起こった。
店員や客の連中が、こっちを見て来たってわけじゃあない。
そりゃ、いきなりそんなでかい声出すやつがいりゃあ、当然振り返るってもんで当たり前のことで、不思議なとこはどこにもトトロの森にもない。
だったら、その声かけてきたやつが、どうかしてたのか?って。
それもそうなんだけども。実際、声をかけてきたやつの姿が振り返った時には消えていて、そりゃ真っ先に気が付くべきことではあったんだが、そのSって男は別のことに気を取られて、そいつのことをすっかり忘れてたってくらいでして。

もったいぶるでない?って。
まぁ、そうですな。言ってしまいましょう。

なんと――その店の内装が、変わっていたんですな。

あんた、急にですよ。急に。
呆けている間に内装工事をしてしまったんだろって、そう馬鹿なこと言ってくる人はさすがに今日来てくれたお客さんの中にはいないだろうが、これを聞いたら、さすがにそんなことは普通ないそうですねと答えてくれるだろう。内装だけに。

おっと帰らないでくれ。話はまだ序の口宵の口この店は池袋北口なんだ。

でだ。この内装になぜこの男が驚いたかというと、この男はこの店によく来る客なんだが、この内装実は、1年前と同じものだったんだ。金遣いの荒い店主の、その奥さんがようやくお金を貯めて内装工事を実現する前のぼろい内装だったんだ。
せっかく素晴らしい内装工事ができたのに、昔に戻すバカな奴はいない。そうだろ?

そんでだ。

青白い顔してたら、急に大声を出した客を心配そうにする店主の妻に勘定を払い、狐に包まれた気持ちで、外を出るともっと不思議なことに気づいた。
1年前に潰れていたお菓子屋が、今そこで普通に営業してるんですな。
他にも辺りを見渡すと、前に流行った曲が新譜として売られてるし、前に放映したアニメのポスターがそこに貼られてたわけだ。
これはいったいどういうことだとスマホを見ると、びっくり仰天。なんと、日付が一年前を指してるじゃあありませんか。

それからいろんな場所で試してみたが、どうやら自分は過去に飛んできたしまったらしいことが、わかったわけですな。

そんで、そう気づくと男の中に一つの考えが、猛烈に湧いてきたわけですな。
そう。死んだなまほしちゃんを、今度は救うって考えに。

そう決めた男が動くことの、早いこと猛烈なこと。
配信の中の節々の情報と、雇った探偵から、彼女がどこに住んでいるかを導き出し、その彼女に食べ物を差し入れたり、滞納していた家賃や公共料金をポストから払ったり、絡んだら後に面倒なことになる相手とのコラボにやめろと言ったり、健康が悪くなった原因の無理な運動や偏った食事に良いアドバイスを差し出すことにしたわけだ。

配信者に直接関わらないって行動を捨てたSは実に行動的で精力的で、彼女を救うって気持ちに溢れたものではあった。

とまぁ、ここまで話してきたVTuberリスナーは勿論一般人にすらわかることでしょうが、この男がしたことは、明らかな迷惑行為でしてね。
それが彼女の慰めや救いになるどころか、より一層病んだ気持ちにさせてしまった挙句、家だとくつろげなくなったんで気晴らしで外出する羽目になった先で、事故で死んでしまったそうな。

そんで男は落ち込んでるわけですが、これは自業自得ですな。でもまぁ悩んでるのは本当ですよ。現に今もよくよく考えてみたら、自分のしたことはなまほしちゃんを苦しめただけじゃないか、と苦しんでるわけですし。
そうして今度は罪悪感でいっぱいのまま、別の店でまた天ぷら付きかけそばを頼んで男は落ち込んでいるってわけです。

すると、どういうことだろうかね。
また、どこからともなく
「今、何時(なんどき)だい?」って声がする。
その声がまた聞こえてくる不思議さに、落ち込んだ男は全然気づかず、ただ
「自分の馬鹿さかげんに死んどきたい」って思わず答えたんだ。

で、また不思議なことに、時が遡っていた。

この男、馬鹿なことをやりもするが、そう頭の回りは悪くない。これは天ぷら付きかけそばがきっかけとなる、時かけそばタイムリープで、これを利用すれば、なまほしちゃんを今度こそは助けることができるのではないか?
そして、今度こそは後悔しない選択ができるのじゃないか?

そう気づき、男は何度繰り返すことになろうが、絶対になまほしちゃんを助けるって決意したわけだ。

それが、この先長く続く苦しみとなるとは知らずに、男は燃えていた。

閑話休題。

そうして男が今度はどうしたら救えるかと考えた結果、やっぱりお金が一番大事だろうってことになった。
それはそうだ。
結局、なまほしちゃんはお金がなかったから、栄養失調になったのだから、お金をあげてしまえば栄養も取れるし、家賃も公共料金にも困らず楽しく暮らせると気付いたわけだ。
わざわざ自分が直接渡したり、世話しに行かなくても、金を払うことも食事もなまほしちゃん一人でできるんだから、配信に投げ銭さえすればよかったんだと、ごく当たり前のことに気づいた。
こうすれば、前みたいに近づきすぎず、リスナーの本分を越えないまま彼女を救うことができるぞと、そう思った。
幸いその男のカバンの中には、仕事で使って放置してた1年前の古新聞が入っており、くじの当選番号が書いてあった。
そんでロト6でもTOTOでも買えば、大金が手に入るって寸法だ。

とまぁ、それで今度こそなまほしちゃんは救われると思ったわけですな。

なんでこんなに金くれるか不気味がられたが、実際彼女の生活は豊かになって、おいしいものが食べられるようになった。
家賃も公共料金に悩むこともなく、悩みと言えば、登録者の割にスパチャランキング圧倒的1位になってやっかみ扱いされることくらいだが、それでも楽しくやれてたので、今度こそ大丈夫だと思ってた。

このループの悪質さがわからず、Sは単純に喜んでいたのだ。

そしてある日、なまほしちゃんが殺害されたってニュースが流れて来た。
あまりに驚きすぎて、息の根がとまりかけた男は、震える手でマウスを動かす。
金持ちになりすぎたか、有名なアンチのせいかと思いつつ、記事を見て見ると、落ちぶれた彼女の毒親が、彼女の金をせびりにきたって書いてあった。

なまほしちゃんは、みんなから貰った大事なお金だから渡さないと拒んで、激昂した相手に殴られ死んでしまったそうだ。

その記事を見て激怒した男は、お店に行って天ぷら付きかけそばを頼んでじっくり待った。ある恐ろしい決意を秘めてね。
そしたら、また
「今、何時(なんどき)だい?」って声がする。
今度の男は堂々と答える。
「なまほしちゃんの毒親に、復讐の時だい」と。

すると、どうしたことだ。
今度は一年どころか、十数年もとんでるじゃないか。

そのことを知った男は、心からの笑みを浮かべた。

自分がこれからすべきことは、なまほしちゃんを苦しめた両親を、彼女がトラウマを受ける前に排除することだということに、気づいてしまったわけですな。

そして、男はなまほしちゃんの実家を探した。

大変そうだって? なぁに。この男には簡単なことだ。
今回の事件で顔と本名は出てたし、当人の配信で関西のどこかって話も周囲の細かい情報も得てたから、あとはタイムリープで金と時間があるこの男が片っ端からしらみ潰しで突きとめれば、良かっただけだ。

そうしてSはなまほしちゃんの実家と親を見つけたわけだが、男はできるだけ苦しめるようにして彼女の両親を殺した。

これで彼女は救われると、男は自首して刑を受け20年後に外に出てきた。するとどういうことだ。今度こそ幸せになってると信じていたなまほしちゃんは、またしても死んでしまっていた。

どうやら、両親を殺した自分を目撃してトラウマになって、それで病んでしまった果てのようだった。
それからも男は繰り返したが、結果は全て同じだった。
目撃されないように殺し方を変えても、今度は幼いなまほしちゃんを誘拐して大切にして暮らすやり方をしても、どうしてもなまほしちゃんは死んでしまうのだ。

天ぷら付きかけそばを前にして、
「今、何時(なんどき)だい?」って何度も何度も聞かれて、
「うるせぇ、ここが踏ん張り時だい!」と毎回答えて、
自分がしてきた結果を待つのを何十年繰り返しても、それでもなまほしちゃんは救えなかった。
悲しいことに、どう頑張っても、毒親からなまほしちゃんを救う方法はないと、男は思い知らされてしまったんだ。

Sは血の涙を流しながら、やり方を変えざるを得なかった。


今度のやり方は、なまほしちゃんを、サポートする側に回ることだった。
それも、タイムリープの知識と金を使って、完璧になまほしちゃんを助けようとしたのだ。

それからの男は、凄まじいの一言だった。

家から出た彼女が生きていけるように、社会福祉の知識を当人が得る流れを作ったり、
彼女が自分でケアを受けれるように、社会福祉制度や施設を政治家に働きかけたり起業して整えていったり、
彼女が配信者となった場合に、それを支えられるようなネットや芸能プロの経験と人脈も得たのだ。

元手は宝くじから得た金で、途中からは事業で得た金で、未来の知識も駆使しながらだ。それを聞けば与えられたものでやっただけじゃないかと言う奴もいるだろうが、そうじゃない。こいつの成功のほとんどの部分はタイムリープで積み重ねた技術と、彼女を救いたいという根性で成し遂げてる。見上げた男だよ、こいつは。

で、なまほしちゃんがどう動いたかだ。彼女は毒親の家を出て、生活保護に頼り、良いケアマネジャーを見つけ、そしてSが立ち上げたVTuberのプロダクションに入ってきて、なまほしちゃんは大人気になった。

これでSは、なまほしちゃんを親身になって支え、励まし、後ろで笑ってられる存在になった。
しかもなまほしちゃんに心から頼りにされ、皆に内緒で結ばれたりなんたりして、これこそ元Vリスナーの最高峰の結果だと、男は思ったってわけだ。

無理もない。ここまでくれば、さすがに悪魔でもこいつの頑張りを認めて、許すとこでしょうな。

でもな。悪魔の上には、大悪魔って存在があるんだ。

これでようやく報われる、そんな男の前に、なまほしちゃんがスイスで安楽死したって連絡が入ってきた。

呆然とする男の前に、本人が投稿した一つの動画が配信された。

ずっと自分の人生を終わらせたかったと、
皆からお金を貰って必要とされた最高の瞬間で終えたかったと、それが自分が安楽死した理由だ、という内容だった。

今度こそ、男は折れてしまった。
そりゃ無理もない。あんだけ苦労して整えた先でも救われなかったんだ。もうどうしたらいいかわからないことだろう。
どんだけ環境をましに整えた所で、相手の心の奥の奥まで救えるとは限らない。
だって、今の幸せを幸せって思うには、過去の自分を捨てなくちゃあいけない。
どんな時でも一緒に苦しみ一緒に悲しんで一緒に頑張ってきたのは、どこまでいっても自分で。何より苦しんできた過去の自分を置き去りにすることなんて、誰にもできやしないことだろうからさ。

そりゃ、どんなに頑張ってきたとはいえ、S一人なんかより、ずっと大きなものさ、自分ってやつはね。ひどく呪わしいことだけれども。

そして男は可哀想に、また自分を責めてしまう。

自分じゃダメだったのか。彼女の支えになれなかったのかのと、責め続けてしまったのさ。

どこにも行けない苛立ちと虚しさが頭を回り、意味のない言葉が繰り返され、行く宛もなくさ迷い、飢えて倒れた先に、男はまたしても、蕎麦屋に来てしまった。そこで男は、また天ぷら付きかけそばを頼んで、それが目の前に運ばれてきてしまっていた。
でも、そこにはなまほしちゃんを救いたいって気持ちはない。自分には無理だって気持ちがどこまでも続いていて、ここにいるのはもはや習慣の亡霊みたいなものでしかなかった。

無限に等しい時間が過ぎただろうか。

男はかけそばをじっと見ていたことに気づく。そりゃそうさ。目の前にあるんだから。
でも、今自分が消えた男にとって、今そこにある世界は目の前の、天ぷら付きかけそば一つだけだった。
音が消え、周りの視界が消え、さらに世界がかけそば一つしかなくなった頃、天ぷらから湯気が立っているのを発見し、自分の目の前にあるそばが輝いて見えてきた。
それは麺だけじゃあない。そばを入れるせいろも、そばをつけるつゆも、添えられた天ぷらや薬味やそば湯も、はしですら輝いて見えてくるほどだ。
男は思わず箸を取る。
麺を取り、つゆにつけ、ずずずとすすり、飲み込む。
天ぷらに手を付け、そのカリとした触感とたまねぎの柔らかい甘さが口の中に広がることに浸る。
薬味を入れて味を変えてそばをすすり、最後にはそば湯をつゆに入れて、最後の一滴まで飲み干した。
そして、男はそばを食べた。
あぁ、そばはおいしいなと男は言う。
何十回も注文してたくせに、結局一回も食べてなかったことに、男は今更気づいた。

そして満腹の幸福感の中で、男は頭の中に天ぷら付かけそばが浮かんできて、それは宇宙や理想そのものだったと思うほどだった。
そこに別の完璧な存在である、なまほしちゃんが登場した。なまほしちゃんは、かけそばがあったせいろの上に腰掛け、足をぶらんぶらんし始めた。

男には衝撃が走った。

ずっと完璧な存在だと思ってたなまほしちゃんの他に、完璧なものがあるって事実に。
今完璧な存在だと思えた天ぷら付きかけそばの他に、完璧なものが必要なことに。
そして、その二つでようやく本当に完璧なものが作られるってことに。

どれだけ完璧な存在であろうとも、一つでは完璧になれないのだ。

待てと男は一瞬思う。

なら、どうして自分はなまほしちゃんを救えなかった?と。

いろんな力を持ってる自分が、天ぷら付きかけそばなら、完璧にできたはずだろと。

そして男は頭の中にある理想の天ぷら付きかけそばを見ていると、大きな思い違いがあることに気づく。

天ぷら付きかけそばとは、それぞれの素晴らしさの積み重ねた先にあるものだ。
どんなに素材や値段をこだわろうとも、そばは麺である。
つゆのような味も、天ぷらのようなさくさくにもなれやしない。

そばは一つじゃおいしくない。いろんなものが合わさっておいしくなる。

自分は一人で、彼女を救おうとした。
実際、良いところまでいった。でもそれじゃあダメなんだ。

こっから彼女をまた救うには、彼女の心を救ってあげられる仲間が必要なんだ。
例えば

一見普通ではあるが、様々な味と混ざっても存在感を持つ、蕎麦のような中心人物が
鎧のような衣の中に、様々な食材と柔らかさを持つ、天ぷらのような華やかな人物が
この狂った世界で深い色に沈んだとしても、そこに沈んだものに彩りと味を与える、つゆのような味のある人物が
そこまで目立ちはしないけれど、存在感のある辛さで、味を豊かにする薬味のような小さい人物が
いろんなことがあって疲れた後で、何も考えずに呑む温かなもので、そば湯のように自分から言葉をなくさせる人物が
そんな彼らを慕って、楽しそうに全力で支えるせいろやトレーのような節操のない人物が

そう思うだけで世界は、どこまでも広がっていった。
かけそばを越えて、お店を越えて、街も日本も地球も越えて、宇宙へと、全ての時間へと広がっていった。

なまほしちゃんはその中で、仲間とも外にいる友達ともリスナーともいろんな人と出会って、楽しそうにしていた。

その天ぷら付きかけそばの中に、Sである俺はいない。
だけど、それでいい。俺はこのそばを運ぶ店員でいい。


この天ぷら付きかけそばという精一杯の花束を、ただあなたへと届け、あなたがこれを受けとり、箸を使っておいしそうに味わって、幸福だと言ってくれさえすればいい。

俺はなまほしちゃんと一緒にいなくてもいい。
俺はなまほしちゃんを支えられる裏方でいい。

それが、俺がすべきことだったんだ。

「今、何時だい?」って声がどこからか聞こえる。
この店を出た、この男ならきっと、こう答えるだろう。
「今こそあげるべきは、勝どきの声だい」ってね。


え、話は終わりかい?だって。

考えてもみなよ。必要ないだろ?もう後はお客さんが知る歴史そのものなんだからさ。
なまほしちゃんが生きていて、深層組の姉妹と見習いセバスちゃんと養子がいて、楽しそうに配信してるだろ?
それでこの話はめでたしめでたしなのさ。

え、おまえさん「今、何時だい?」って聞くのかい。
そう聞いても、ここにいる誰も時かけなんてできやしないだろ。まったく。そばにいる人がいないからだって。やかましいわい、ボケ。

そうさね。ここはたくさんの時かけを経て、あの子を救った男S――セバス長の気持ちにでもなるとするかね。

コホン。


みんなと楽しそうに笑ってる、なまほしちゃんにどきどきだい






おあとがよろしいようで


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