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我が子を亡くした私が思うこと

自分より小さく、無力で、命に代えても守らなければならない存在の我が子を亡くした。 

初産、臨月の私は、ベビー服をこれでもかと山積みに揃え、衣装ケースに保管していた。

毎日あれこれ引っ張り出しては、頬擦りし、予定日を心の底から楽しみに待っていた。

ある日の昼、実家を訪れた私は気怠さから発熱に気付いた。

妊婦にあるまじき38度オーバーの高熱。

運転が不安だったので、父に頼み込み産科に行った。

診察で医師から「陣痛がきています」と言われた。

あの瞬間の胸の高鳴りは忘れない。

「やった!もうすぐ会えるんだ!」

ワクワクしながらエコーの画面を見て、医師が次に発する言葉を随分長いこと待っていた。

沈黙を破った医師は、小さく言葉を発した。

「赤ちゃん、なくなってますね‥」

能天気にもその瞬間

「あれ?どこかでもう産んできたんだっけ?」

と考えた。

人間の脳は不思議である。

身体の反応としてしっかりと涙が流れているのに。

そして言語もちゃんと応答する。

「熱でですか‥?」


お産というのは、とても痛い。実際、聞いていた以上に痛かった。

両手に点滴を繋がれ、全く開いていない産道を開くためにラミナリアを何本も使われた。

子宮をアイスピックで刺されるような痛みの度に叫び声をあげて泣いた。

本来なら、夢や希望があるからこの痛みに耐えられるのではないか。

可愛い我が子のため、不自由な10ヶ月を過ごし母となる。

そしてこの試練の最中も、母は痛みと闘いながら、我が子を案じ、更に母となる。

生まれてきた我が子に早く蘇生術をして欲しいと願った。

血の気のない我が子を抱かせてもらった時、脳と言語は一致して言葉が出た。

「可愛い!!!」

どんな状況でも誰しも、この不自由や、お産の形は様々あれど痛みを乗り越え、母になっているのだ。

お産中だけじゃない、産んだ後も声を大にして言いたいが、後陣痛は痛い。

忘れない、あの痛み。私は「お母さん」になった。

あなたも、不自由な10ヶ月を経てお母さんになった。

もう一度言う。忘れないで。

命が宿った時、決断をして乗り越えた貴女は素晴らしい。

そんな素晴らしい貴女を放って置く事は出来ない。

お母さん。

お願いだから、子供を犠牲にしないでください。





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