作文を書かされた時の話

関西地方にお住まいの方、ご無事ですか。
朝の通勤ラッシュに揉まれながら、Twitterのタイムラインを眺めていました。幸いにも、関西に住む自分の知り合いはみな無事だったようです。
これを読んでいるみなさんが、みなさんのご家族が、ご友人が、大切な人が無事であることを祈っています。

***

自分は東京在住の若僧なもので、大地震と聞いて浮かぶのが3.11。

丁度イヤホンから、「僕が僕のすべて」が流れてきて思い出した。震災が落ち着いた頃に、当時イメージキャラクターを務めていた嵐が歌っている曲で、auのCMソングに採用されていた。まだiPhoneはソフトバンクしか使えず、Androidスマートフォンさえその走りが出てきた頃だったと思う。パカパカとした2つ折りの、ガラパゴスケータイをみんなが使っていた。

自分はあの頃、まだ小学生だった。
小学生と言えど6年生。卒業式を間近に控え、やれ声が小さいだの、お辞儀の角度が悪いだの、1人だけ起立するタイミングを間違えたから全員やり直しだの、しょうもないことで体育館で怒られている最中に、それは起きた。東京都内、多くの地域で震度5強から5弱。

幸いにも母が迎えに来てくれ、帰宅することが叶った。金曜日のことだったので、土、日とひたすらにニュースを眺める休日。繋がらない携帯電話がやっと繋がるようになったと思えば、届くのは同級生からのしょうもないチェーンメールだった。本当なのかと返信すると、

「らしいよ!気を付けようね😢」

と返ってきた。幼いながらに同級生のリテラシーには疑問を持ちつつ、回さない選択肢を1人取った。

月曜日。気を付けて登校して下さい、の一斉メール。もうすぐ役目を終える、傷だらけのランドセルを背負い、学校に向かった。

全員は集まらない教室。そりゃそうだ、と思いながら先生を待つ。

先生は、大量の原稿用紙を持ってきた。

「大変な地震が起きました。今思っていることを、作文にしてください。1人3枚は絶対に書いてください」

何を言っているのだろうか。

12歳ながらに、意味がわからなかった。

どうして今、地震のことを作文にしなければならないのか。

当時の自分は、いわゆる優等生だった。
学級委員を務め、代表者委員会の委員長で、少し漢字は苦手だけれどもテストは比較的高得点で。もう少し深く掘って言うならば、大人から好かれるような子供だった。

そのぶん、先生の思惑を考えて行動することが多かった。

先生は、この地震をネタにして、意味の無い作文を書かせようとしている。それは8月31日になっても書き上がらない読書感想文や、人権の作文、税の作文と同じものではないか。

これらの作文を否定したいわけではない。
どちらかと言えば、自分は作文を書くのが好きな小学生だった。読書感想文も人権の作文も、税の作文でさえ苦ではなかった。資料を調べる時間すら楽しんでいたくらいには、原稿用紙3枚程度はチョロいものだ。

でも文章を書くことが苦手な子もいるのだ。少なくとも、小学校低学年までの自分はそうだった。どんなに考えても、原稿用紙3枚など到底埋まらない。その気持ちは痛いほどわかる。

来ていないクラスメイトのことも考えた。おじいちゃんとの連絡がつかないのかもしれない。年の離れた兄弟が、東北にいるのかもしれない。来ているクラスメイトだって、それをこらえているかもしれない。

ただ作文にしろ。先生はそれだけ言った。クラスは静まり返った。1人3枚ずつ、原稿用紙が回される。何も書けない子がほとんどで、誰も鉛筆を走らせようとしなかった。題名と名前だけ書いて、考え込んでいた。

「先生、3枚も書けないです」

誰かがそう言った。

「これだけの大地震で、休日の間何も思わなかったの?そんなわけないよね?」

ああ、だめだ。
先生は何のためにこの作文を書かせているんだろう。先生の自己満足なのか。辛いことも怖いことも、作文にすれば楽になれると思っているんだろうか。

私は1人、手が痛くなるほど鉛筆を走らせた。とにかくこの重い空気から逃れたかった。でも自分は、優等生。先生が求めているだろう回答──ニュースばかりだったとか、テレビの向こうは驚くような光景だったとか──を書いて、先生の机に1番に提出した。時間にして、30分程だったと思う。とにかく、早くこの原稿用紙を埋めたかった。

その机を叩く勇気も無ければ、書かないという選択肢を取ることもできなかった。ただ、「これで満足か」という顔をするのが、精一杯の反抗だった。

結局、つまらない作文の時間に、2時間使われた。

***

今考えても、その時の作文に、一体何の意味があったのかがわからない。

誰も言わないだけで、心を痛めている子は沢山いたはずだ。

週の始まり月曜日、果たして「作文を書かせること」は正解だったのか。

いくら卒業を控えているとはいえ、もっと別のことに時間はあてられなかったのか。

例えば、ヘルメットや防災頭巾の正しい被り方をもう一度確かめる。学校の備蓄倉庫の位置を確かめる。正しい帰宅ルートをもう一度考える。電話が繋がらなかったけど、他にどんな家族との連絡の取り方があるかな。# 171の災害用伝言ダイヤルって知ってた?家に帰った時に、防災袋はあった?中身には何が入っていた?家の近くの避難の場所は知ってる?家族の人と何を話しただろう。

もしかして先生は、心の整理をさせたかったのかもしれない。だとしたら、作文という方法は間違っている。

作文というのは、どうしても型があるので形式的になってしまう。その上提出の義務が発生する。誰かに見られることを前提として書くものだ。

白い紙を1枚渡して、

「今の気持ちを自由に書いてください。文章にする必要は無いし、絵を描いてもいいし、好きな音楽の歌詞でもいい。絶対に誰にも見せないでください。回収もしません。でも、正直に書きましょう。今書けなければ、帰ってからでも大丈夫です」

こう言ってくれれば、もっと違ったかもしれない。

もう7年前のことになるので、記憶が定かではないところがあるかもしれない。作文を書かせている間、職員室で大事な仕事が先生にはあった可能性もある。ずっと教室に先生が居たという保証は無い。他に優先することがあった為に、作文を書かせていた可能性もある。その真意がわからないので、今は先生を責める気持ちは無い。でも、なぜあの作文を書かされたのかは疑問である。

ただ覚えているのは、作文を書いている2時間の間は、休み時間ですら、ぴんと空気が張り詰めていたこと。間違いなく朝礼前は賑やかだった教室で、誰ひとり口を開こうとしなかったのだ。一生懸命自分で整理を付けていた小学生が、無理に作文という形で地震に向き合わされた。他の向き合い方が、絶対にあったと思う。

どうか、意味の無い「地震を受けて」の作文を書かされる子が他にいませんように。返却されたかどうかは覚えていませんが、手元に無いのですぐに捨てたのだと思います。自分はその時の作文が、自分の書いたどの文章の中でも、1番嫌いです。

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