黒歴史と宙に浮いた話
黒歴史というものは、おそらく誰しもあるものだと思う。
どうしようもなく恥ずかしい日記の存在を今でも思い出して、なんでもない時に「あー」とひとりで叫んでしまいたい気持ちになる。授業中ノートの端っこに書いた落書きとか、ネットの隅に眠る個人サイトとか。
最近黒歴史をネタに話すことがあるのだが、どうやら自分は黒歴史ポエム的なところに才能があるらしい。
意識しなくても、息を吐くように出てくる。
黒歴史が。
いや、黒歴史的なポエムが。
「人に見られたら恥ずかしい黒歴史ポエムの一行目」というお題で大喜利をやったところ、見事に1位を頂いたくらいだ。
ちなみに、自分の書いた「黒歴史ポエムの一行目」がこれである。
欠けたネイルの中で明日も僕は呼吸をする。
冷静に考えてよくわからない。
多分だけれど、自分の意識を凄く抽象的なところに持って行った時期があって、それが影響しているのかなと思う。抽象的という言い方すら抽象的だが、宙に浮いたというか、ふわふわしているというか。
それがある種の「黒歴史的な」ものになっている気がする。
抽象的な話で、「宇宙とは誰かの脳内である」という会話が盛り上がったことがある。宇宙構造が人間の脳内構造と似ていることから、この世界の創造主も人間であり、我々の頭の中にも別の宇宙が創造されているという話。
少し哲学寄りなところもあるかもしれないが、答えのない会話というのはハマればハマるほど面白い。
これを話した彼とは、ずっと地に足のつかない話ばかりしている気がする。
人と話す機会が増えて、その抽象的なところの話ができるのは本当に面白いと思っている。具体性を持たせた話題も、勿論「地」に落とし込めるので楽しい。しかし浮いた話というのは、話す相手と認識の一致が必要だ。食い違っていると話の方向性がどんどん拗れてくるので、つまらない話になってしまう。
その分、ハマれば一晩中話していられる。
どんな恋バナより、どんなゴシップより、抽象的な話が大好きなのだ。
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