書くことにしかおもしろさを見いだせなかった

好きです、書くこと。大好きです。

……と、3年前の自分ならば、胸を張って言っていたかもしれない。

当時の文章を読み返してみても下手くそで、途中で気持ち悪くなって閉じてしまうくらいには、別に得意でもなんでもない。ただ他人よりもマシには書けてたというだけ。それを、好きだとか得意だとか、ちょっと勘違いして生きてきたんだと思う。

学校の退屈な授業のときに、多少なりとも落書きをしたり、手紙を回したり、教科書に隠れて本を読んだりした経験のある人は多いはずだ。自分は、そこで文字を書くことに熱中していただけだった。呆れるほど、どれだけ手が痛くなっても、ただひたすらに書いていた。休み時間を返上して、ずっと文字に向き合っていた。

登下校時間は何を書こうか考える時間で、家は書きたいものについて調べる時間。どれだけ調べても飽き足りず、履歴が何百ページにも及ぶ日だってあった。

あのときの自分には書くことしかなくて、それはもう恐ろしいくらいに書き殴っていた。好きなことを書くのって楽しい。当たり前である。そりゃあ、書くのも好きになる。

何か勘違いをしていたのかもしれない。

書くことが好きなんじゃない。
書くことで生まれるストーリーが好きだったんだ。

言葉にして生まれたもの、こと、作品が好きだった。形になっていく瞬間がおもしろくてたまらなくて、夢中でそのことばかり考えていて。他におもしろいことがなかっただけかもしれない。見つからなかっただけかもしれない。それでも、文字で何かを形にすることはやめられなかった。

書くにしろ、描くにしろ、作るにしろ、生み出すことは本当に難しい。伝えることはもっと難しい。受け取っているだけなんて本当に楽だと、ボードゲームを遊びながら思うなどする。

文字を書くことは好きじゃない。でも文字を書くおもしろさとは、人一倍付き合ってきた。創造を形にする人たちの考える「おもしろい」を、たくさん共有させてほしい。だからこそ、文字で形にできることがあるならば、自分がやりたいなんて考えているのだ。

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