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好きなもので自分を語ろうと思う

 初めまして、Chinamiといいます。noteをアウトプットの場として試してみようと思い立ち、自己紹介を書いてみようと思ったものの、なかなか筆が進まない(文字通りではない)ので、自分の好きなものについて語ってみる。好きなものを語ることでもなんとなく人となりがわかるんじゃないかと思う。
 普段自己紹介も苦手だし、好きなものを語ることもあんまりないので、言語化することで得られるものは大きいかもしれないと信じて、自分のために書いてみる。

 村上春樹の『雑文集』の序文にこんなものがある。
 村上さんが読者からこんな質問を受け取ったという。「原稿用紙4枚以内で自分自身について説明しなさいという問題が出たんですが、できっこありません。村上さんならどうしますか?」そのときの村上さんの回答は「そんなものは不可能だし、無意味に思えます。牡蠣フライについて書いてみてはどうでしょう。」というものだった。突飛なアイデアで笑えるが、自分と牡蠣フライの関係や距離感が表現されて、すなわち自分を表現できるのではないかと言っているのだ。最後には、村上さんの「牡蠣フライの話」も添えられている私の好きな一編だ。ー『自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)』
 このnoteの記事でやろうとしていることは、もっと直接的で美しくないとは思うが、自分の好きなものの言語化も一つの目的にあるので許してほしい。
 ということで、村上春樹が好きだということもお伝えできたかと思う。

映画について

 映画が好きです。シネフィルと名乗れるほど詳しくはないし、不勉強だとも認識をしているが、映画は良い。カメラで撮るという行為に真正面から挑戦をしている素晴らしい監督らの映画を観ると感動してしまう。どうしたらこんなものが撮れるのかと。
 特に好きなのは、好きな監督の作品をみて、その後に監督の撮影の背景の話を読んだり、映画論を読んだり、その映画についての考察・分析などを読み、映画を再観賞することだ。そうすることで、他者の視点を取り入れつつ新しいものとして映画を観ることができる気がするのだ。

濱口竜介監督
 最初の出会いは、大学1年の時に受けた映画の講義「マスター・オブ・シネマ」にゲストとして登壇されたとき。それまで、恥ずかしながら濱口さんのことは知らなかったし、授業の前の時間に放映された映画「天国はまだ遠い」をみても、正直俳優さんたちの演技が下手だなくらいにしか思わなかった。
 ただその時の講義の濱口さんのお話は印象的で、4年間ひまな土曜日にこっそり受けていた全講義の中でも一番覚えている。たしか長谷先生がインタビュアーだったと思うが、濱口さんの頭の良さと知的な話し方が強烈な印象を残したのだ。
 その後、濱口さんのほとんどの作品は商業映画ではないため、なかなか観る機会に恵まれず、しばらくは頭から離れてしまっていたが、「寝ても覚めても」の公開の時期に、改めて作品を探したり、文章を漁ったりしていて、現在のほとんど追っかけみたいな状態になった(笑)  

 ここまで理論的に、かつ言語化して映画を撮る人は、たぶん天才映画監督と言われているような人の中でもそういないと思う。私は話し方も好きだ。
 当時の講義の中で、話されていたことで特に覚えているのは、映画は虚構だという話だ。映画は全て虚構・フィクションで、それはドキュメンタリーも同じだ。演技、演出、編集されることによって作りあげられている。濱口さんがすごいのは、そういった虚構の中での現実や偶然を撮ろうとしていることだ。そのための手法も確立されている。
 たとえば、濱口さんの映画製作では「本読み」が特徴的だ。わざと俳優に棒読み、ニュアンスを欠いて台本を読ませ、身体に染み込ませる。その上で、本番に臨むことで、初めて”その人”が発した感情の乗ったその台詞を聞き、俳優の身体がその言葉に反応する瞬間を映そうとしているのだ。これが虚構の中でも「カメラに映そう」という意思をもった濱口さんの映画製作の営みだ。
 また、人についても触れておきたい。濱口さんの映画に、本当に生きているかのように感じられる人とその人間関係が映っている。
 代表作「ハッピーアワー」は、4人の女性の物語だが、一人も職業俳優は出演しておらず、5時間半という超長編の映画だ。この映画は、ワークショップから始まった映画製作だが、濱口さんはここで脚本を書き直しを繰り返すのとは別に、画面には映らない裏の台本も多く書いている。これは映画の中の”人”をもっと理解するために書かれている。"その人"がどういう人生を送ってきたかを知り、"その人"がどんな言葉を発するのか、どういう行動とるのかを想像するのだ。人物を徹底的に理解し、想像することで、現実に"その人"が存在するかのように映画の中で立ち上がる。ドラマや映画をみていると、この人はこんな言葉を発しないはずだ、こんな行動をとらないはずだ、という違和感を感じることがよくある。そこに生きている人が映っていると感じられる濱口さんの映画は本当にすごい。
 濱口さんの映画に対する敬意、姿勢、製作の営為はとても素敵だ。濱口さんの文章は、本やいくつかのメディアで読むことができるし、濱口さんの映画論もユリイカをはじめ見つけることができる。もっと詳しく濱口さんのことを知りたい方はぜひ探してみてほしい。  

 ところで、濱口さんの映画には東北記録映画3部作を撮っているほか、映画で東北の震災のシーンが出てくる。これについて濱口さんは、震災によって、日常は突然失われるものだという認識が人々の中に生まれたと、どこかで語っていた。この新型コロナも震災と同様に、日常をいとも簡単に奪った。
 ただ今回のコロナが震災と違うとすれば、震災は多くの人が元どおりの日常を願ったのに対して、コロナが蔓延した社会では、元の日常に戻りたいと願いつつも、元通りにはならないだろう多くのひとが強く感じていることではないだろうか。

本について

 とにかく本が好きです。本は読むことで何かを得て、行動を変えることができなければ読む意味がないと、どこかのビジネスマンが言っていたが、放っておいてくれと思う。読むこと自体が楽しいし、新しいことが知れるのが快楽なのだ。
 話は逸れるが、映画館といい、本屋といい、やはり東京には素敵な場所が多くあり、そういった文化の多様性が守られていると感じるので、(反対の人が多いとは思うが)私は居心地が良い。

寺田寅彦
寺田寅彦は有名な科学者であり、優れた文筆家だ。寺田について、高校生の時に通っていた河合塾の現代文のテキストに何度か出てきたことで初めて知った。その際に、現代文の先生から寺田についての説明があり、とても面白いから大学生になったらぜひ読んでくださいと言われた。その現代文の先生が大好きで尊敬していたこと(また別の回でこれは語りたい)から、大学に入学してまもなく、私は寺田寅彦全集を手に取ることとなった。
 寺田は、土の話をしていたと思ったらいつの間にか宇宙の話をしていて、三毛猫の話をしていたと思ったら人類の壮大な話をしている。一見くだらない目の前の事物から、一瞬で私たちを引き上げ、納得させてしまう、この抽象化の見事さはもう言葉にならないほど素晴らしい。
 私も具体と抽象の行き来をもっと上手くできるようになりたいと願うものの、寺田の能力があまりにもすごいので、なんだか気落ちしてしまうほどだ。

 ところで、最近の本の読み方で気に入っているのがある。もともと何冊かを並行して読むことが多かったのだが、なんとなく、なるべくジャンルの遠いものを同時に読んでいた。小説、ビジネス書、学術書など。ただ、最近はお構いなしにどんどん読みかけのものが増えていて、5冊以上ジャンル問わず同時に読んでいる。そうすると面白いことが起こる。それは、全然別の本なのにあらゆるところがリンクしてくるのだ。自分の興味で本を選ぶから、ある程度偏りは出てしまうものの、最初は全く別ものとして読み進めていても、「あぁこれはこの話か」とか「これはあれに通じているな」とか、1冊の本を読んでいるだけでは出会えないほど多くの”繋がり”に出会うことができるのだ。頭の中で知が繋がること以上の快楽を私は知らないので、こんな行動の変容で楽しみが増えてすごく嬉しい発見だった。

 ラジオやアーティストなど、まだ書こうと思っていたネタがあるので、それはまた今度にしようと思う。記事にするほどかけるのかなぁと書き初めは不安だったが、結構な分量になってしまった。

ここまで読んでくれた人がもしいたら、それはもうありがとうございます。  

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