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坂ノ途中で働くまでのこと。

2017年1月に㈱坂ノ途中に入社したので、もうすぐ2年半ぐらい。

出身は静岡、大学は東京、坂ノ途中が京都にあったので、京都に移り住みはじめた。
時々なんで京都に来なの?縁もゆかりもないのに。
と言う人がいるけど、それは会社が京都にあったから。
というそれ以上でも、それ以下でもない理由。

だからもしも坂ノ途中が、
奈良にあったら奈良にいたし、沖縄にあったら沖縄に行っていたと思う。
それはわたしにとってそんな大したことじゃない。
むしろ、地方からひとり暮らしをはじめる18歳の方が、すごい!と思うし
なんてったって、ここは日本。わたしは日本語ネイティブ。
(語彙力はすくないけれど。。。)
困ったら誰かに聞けばいいし、知り合いがいないにしても、小さな飲食店に行けば店主さんと日本語でおしゃべりできる。
仕事あって、住むとこも決めたら、どうにかなるもんだ。

そしてようやく最近は、職場以外での知り合いもできつつあって
(髪を切ったら、声をかけてくれる店主さんとか。それぐらいの距離感で充分にうれしい)
感覚的に「どうにかなるもんだ」って思ってたことも確信に変わってきてる。


そんな坂ノ途中で働くようになったきっかけは一人の友人と一つのサイトだった。


大学を1年休学したわたしは5年で明治学院大学法学部政治学科を卒業した。

4年生になってから就活をはじめた。2,3回リクルートスーツを着て、合同説明会というのに参加してみたけど、なんかちゃうくない?ってなって
wantedlyをつかって、就活をすることにした。

興味ありそうな会社にお話を聞かせてもらいに行った。
人事っぽい人が、対わたしに説明をしてくれた。
20〜30社ぐらいは聞いたかな。

でも自分が納得できるような会社はなかった。
その時の自分は、いまよりもっとやりたいこととか興味のあることが曖昧だったのもあったし、そこで自分が働くことも想像できなかった。
とかいう理由はいくつかあったけど
大半は、なんとなく感覚的に合わなかったんだと思う。


そして、なにより、わたしはなんとなくで就職して、すぐに辞める。というのが嫌だった。ものすごく嫌だった。
だからスキルや知識やお給料よりも、自分のそういう気持ちのを優先して就職しないことにした。

幸い、大学3年生の時からオープニングで働いていた居酒屋で、生活できる分は稼げていたし、お店もすきだったので、大学を卒業してから1年半ぐらいフリーターをしていた。


卒業してから1年ぐらい、25歳のときに、もう一回、就活してみよう!って思い始めた。

久しぶりにwantedlyを見たり、日本仕事百科を見たりして、応募した、面接もした、落ちた、落ちた、落ちた。

そんな時に、たまたま京都に住んでいた友人が
こんなサイトあるよ。と教えてくれたのが、京都移住計画だった。

就活は場所は問わないと思っていたけれど、
東京に住んでいたらから関東か、実家の静岡で探していた。
でも、納得できるところがあれば、どこでもいいなというのは思ってた。
関東で就活はしていたものの、ずっと東京にはいないだろうなとも思っていた。
東京は嫌いではないけど、いまの社会のことを考えたときに
東京にいるべきではない、とは薄々感じていたからだ。


京都移住計画のサイトには、他府県から京都に移住できるように
求人や物件の紹介などがのっていた。

そして、そこにたまたま掲載されていたのが、坂ノ途中だった。

わー、めっちゃ興味あるし、こういうのやりたいじゃん、わたし。
ってなって、履歴書とエッセイを送った。


書類選考通った人のみ連絡します。という採用の流れだったので
連絡こないかな、まあ、こないよな、って思ってたら
その日の夜におのさんから連絡がきた!

それから後日東京にあった八百屋で30分ほど話してから
京都くる?と聞かれたので、行きたいです!と答えて
いまわたしは京都に住んで働いている。


つまり、あの時友達が教えてくれなかったら、京都移住計画というサイトがなかったら、わたしは京都にいないし、この会社で働いていることもなかったかもしれない。

本当に感謝。謝謝です。というお話。


おのさんもありがとうございます。
軽々しく、行くと決めた自分にもありがとう!ないすちょいす☆









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