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「最期」や「最後」の瞬間にどう立ち会えばいい?

『グリーンランド 地球最後の2日間』を観に行った。

この作品は
突如地球に堕ちてきた彗星によって人々は
各地で膨大な被害を受け何気ない幸せな日常が失われてしまう様子が描かれている。
彗星発見当時は報道ではそれらは地球に衝突する心配は無いだろうと言われていた為、その段階ではまだ人々はその珍しい星空を嗜むだけだった。
しかし、その後報道陣も予期せぬ突然の隕石落下によって全世界の人々はパニックを起こし
人々のこれまでの経験値を遥かに超える大混乱に陥っていく。
中盤までの何気ない日常とそこから突然の緊急事態によるパニックを起こす街全体との対比が
顕著に描かれており改めて突然の死や異常の怖さを感じる作品だ。

このような作品を観ると
何気ない日常に対してものすごく有り難みを感じる。
人間は失って初めてそのものの大切さに気付くものだが、かといってそれを失うギリギリまで大切な家族や日常を手離そうとはしない。
今日、作中の人間たちの様子を客観的に観る事しか出来なかった僕はただ同じ人間達が必死に生きようとする姿を見守る事しか出来なかった。

映画の副題は「地球最後の2日間」。
まさに突然喉元に包丁を突きつけられるような印象を覚える。
と同時にこのような言葉を耳にすると
そのような状況で一体自分がどのような行動を取るべきか、正解が明確に無い問いに対して最適解を追及してしまいたくなるのが人間だとも思った。

今日は上手く感想がまとまらない。
しかしこの作品の中の人々の生活があまりにも現代の我々の暮らしや生活と遜色無く描かれている為、我々の現実でも起こりうる
緊急事態に対しての見方や捉え方が今日自分の中で更新された事だけは分かる。

自分の人生にタイムリミットがあるならば
その自分の人生に対してどのような意味づけを
日頃から行い、その残りの人生をどう過ごしていくのか、
というのはどうしても時々向き合いたくなるテーマの一つであるように感じる。

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