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飛蚊症からの・・・ぶどう膜炎(失明の危機💦)

これはわたしのぶどう膜炎の記録です。



飛蚊症だと思っていた。

眼科でそう言われたから。

「加齢によるものです。治療はありません」

かなりショックでした。


治療できないって。こんなに見えにくいのに?

このまま見えにくさを抱えて生きていくの?

あー、でも日常生活できるし。

慣れたら平気になってくるんだろうな。


期待しながら生活してました。


でも、発症から半年がたち、日に日に見えづらさが増してくる。


見えづらいから、

周りの人と景色の共有できない。

「空がキレイ」とか「星がキレイ」とか。

そんなことが苦痛になる。


仕事でも「見えづらさ」は理解してもらえない。

今までの慣れでなんとか仕事できていたから

みんな何も感じない。

わたしがどれだけ見えないことにストレス感じているか

誰にも分かってもらえてなかった。

それも辛かった。

「見えにくいからこの仕事、変わってください」というと

露骨に嫌なことを言う後輩たち。


そんなこと承知です。「ごめんなさい」としか言いようがない。


辛い。限界。


そう思いながら、毎日ギリギリ。

いつ見えなくなるか綱渡りのような日々。

心も限界だったから、いつ戦線離脱してもおかしくなかった。


一方で、わたし自身、

「医療で治せないなら、民間療法で」

と考え、勧められるものをやってみることに。


「デトックスが必要よ」


半信半疑。

でも何もしないよりはマシかもしれない。

と、少なくないお金(わたしにとっては大金)をつぎ込んで

勧められるままにデトックスに取り組むことに。


そうしたところ、

よくなるどころか、

急激に悪化していく・・・


この時も、

悪化していることをアドバイザーに言っても

聞いてもらえず、

「このサプリメントで悪くなるはずない」と。

そして

わたしの違和感からの不安は誰にも言えないまま

ついに運命の日が。


・・・


やっと眼科を受診する。


飛蚊症では何度受診しても相手にしてもらえない(ような印象を受けた)から

前回の受診から時間が経っていた。

けど、あまりにも見えないので

勇気を出して受診すると

「ぶどう膜炎です。急いで治療を始めましょう」

「このままいくと見えなくなります」(失明ってこと?)

「治療して経過が悪ければ大きな病院に紹介です」

怖いことたくさん言われたような気がするけど

自分の状態が分かってちょっとほっとしたのは確か。

これでやっと治療してもらえる、と言う希望があったから。


・・・


ぶどう膜炎は自己免疫疾患です。

「どんな自己免疫疾患も、批判、自己拒絶、自己攻撃を反映しています」

(チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される より)


わたしにはもう一つ自己免疫疾患があります。

31歳のときに発症した橋本病(甲状腺機能低下症)です。


31歳の発症時に、自分の生き方を変えていたら

もしかしたら今回のぶどう膜炎はなかったかもしれません。


しかし、

多少は「自分を責める癖がある」と言うことに気付きながらも

それで困ることはなかったし、

むしろ、その生き方で自己防衛をしてきたので、

生き方を変えることの方が、わたしに取っては難しかったの。


ここまでの経過の中でも

わたしの傾向が度々現れているのに気づく方もいらっしゃるでしょう。


「気づいてもらえなかった」

とか

「理解してもらえなかった」

と思っていたことです。


この状況を変えるには

自分の考えを素直に主張して、

周りが理解しようがしまいが、自分の主張を通すのみ。


それができなかっただけなんです。


病気になるには理由がある。


病気を手放そうと思うなら

大胆に生き方を変えないと状況は変わらない。


でも、一旦症状が出てきて体が辛くなると

心はまた負のスパイラルに巻き込まれて這い上がれない。


こんな時は人の手を借りていい


そんな許可を自分に出すしかないよね。


わたしは31歳の時はそれができなかった。

一人で頑張らないといけないと思っていたから。

それでもなんとかやってこれたから

自己否定かかえたまま生きてこれた。


今回は辛すぎた。

もう生きるの、やめようと思った。


どんだけ自己否定抱えてるの!って思い知る。

「わたしなんて、いなくなっても大したことない」


そんなふうに思っていたなぁ・・・。

辛すぎて。


「目だけ、80代です」なんて言われて

じゃあ、もうすぐ死ぬじゃんわたしもう。いつこの世を去ってもいいと

身辺整理しなきゃなぁ・・・と思っていたある日


ずっとそばで支えてくれていたパートナーが何気なく言った言葉

「一緒に120歳まで生きよう」

わたし、生きていいのかな。って

わたしの中で「生きること」に許可が出たの。


パートナーに、全面的に甘えた。

一人じゃ無理って思ったから

助けてもらうことにした。


その日から

世界が変わった。


わたしの笑顔が見たい、と友だちがメールくれたり

「ゆかりさんを助ける」と言う友だちが電話くれたり。

そんなご好意に甘えることができた。


みんなには当たり前のことかもしれないけど


「この世に生きること」

「笑顔でいること」

「幸せでいること」

「元気でいること」

こんなことを自分に許可できた。


そして

心の中にたくさんの自己否定かかえていたことに

やっと気づいて

今はまだ

その自己否定を一つ一つ処理している途中なんですけど。


ずいぶんラクになりました。


ぶどう膜炎は

原因がわからないことが多い。

(わたしもその一人)

その原因は医学的な見方からの「原因」であり、

そもそも病気は


心、生き方、生活習慣が大きく影響している。


だから、

これまでの生き方を根本から

変えていかなきゃね。


□自分の中の違和感に気づいたら放置しない

□イラっとすることは自分の中の本心に気づくチャンス

□自分の本心を見つけたら、それに誠実に対応して(これが自分に優しくするってこと)

□それに気づいたら焦らずにゆっくりと自分を癒す方法を見つける(手っ取り早く付け焼き刃的にやっても逆効果だったりする)


自分を大事にしよう


って、命の授業で生徒さんたちにいつも言っていたことなのに

自分ができてなかったと言う・・・オチ。笑


みんなが自分を大事に生きていけますように。


With LOVE ゆかりん






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