私の人生の【T・P】②



有難いことに、私は今育児休暇中である。
様々乗り越えての〔今〕があるのだが。

ここに辿り着くまで長かった。とてつもなく。

そんな日々をつらつらと。
何度振り返っても同じような言葉、ニュアンスで思い起こされるのだから、ここに書き残して少しでもあの時の辛さを分散したい。毎回思い返すのだってかなりの労力を使っているのだと最近気付いた。



・一人暮らし女子
・一人暮らし女子の冷蔵庫
・一升瓶の日本酒常備
・くすり
・しごと

時々の体調不良だったはずがそのスパンが短くなっていた。2ヶ月に1回くらいは病欠するようになっていた。
それでもまた起き上がっては仕事をして、元気な時には誘ってもらったスノボにも行ったりして。そうやって生きていた。
そして元気だったからスノボ合宿の翌日だったが、合コンにも行った。先輩からの前情報「職業柄チャラいし遊んでるかもやし期待しんといて〜」という言葉と、スノボによる全身筋肉痛のために、本当にやる気のない感じで参加した。
髪も巻かず、メイクもそこそこに。ラフなニットにデニム。脱ぎ履きしやすいようにショートブーツ。

コートだけは。

お気に入りの冬の淡い夜明けの澄んだ青空のような色をしたコート。それさえ羽織っていればなんだか無敵な気がした。

後に夫は「あの色のコート着るやつって、自分に自信なかったら選ばんよな」と言ったが。

今並べてみたら、夫の意見はあながち間違ってはいなさそうだ。


私たちはこうして出会った。ひと目見た時からお互いバチッときていた。会は楽しく終わり、解散。それぞれ帰路に着くも2軒目行くもご自由に!という感じだったが真っ先に近寄っていったし、真っ先に声をかけてくれた。偶然にも帰る方向も同じだった。その途中でもう1軒だけはさもう!となって私たちは2人で夜道に光を照らす店に入った。
互いに翌日も勤務を控えていたために、少しだけ時間を過ごして解散した。
また会おう。

って約束して。

この時の私にはその人の名字が欲しいとさえ思っていた。

そんな高ぶる気持ちを押し込めるために、
この日も眠る前には一人暮らし女子の冷蔵庫から日本酒を出して飲んだ。白い粒も一緒に。
気分はハイだった。そのまま寝落ちた。幸せなままに。



もう運命のベクトルはぶつかっていたんだと思う。

翌日勤務を終えた私は、普段ならお風呂に入って死んだように寝るのに、その日はなぜか運動着に着替えて近くのランニングコースに向かって歩いた。仕事の疲れよりも高ぶる気持ちを冷ますべく、というかの如く。何かしていなければ落ち着かなかった。ただ城の周りを周回出来るようになっているだけの道。音楽を聴きながらとぼとぼと歩いていた。夜ランしている人も多く何人かとすれ違った後だった。

突然「よう!」と声をかけられた。

彼だった。

なんの連絡も取っていなかったが、私たちはすれ違ったのだ。同じ時間に同じ場所に巡り合わせたのだ。

それまで何度かそのランニングコースを1人で歩くことはあったが、誰かと出会ったことなんてなかった。こんな偶然ある?と言い合いながら翌日の夕飯を一緒に食べようという事になった。

そこから付き合うまでそう長くはなかった。
そして私はもうこの人だと決めていた。
こうなると私はワークライフバランスを取るのが下手くそになる。

誘われれば無理してでも会いたいし、
少々スケジュールに無理があっても隙間を見繕ってでも会いたい。気持ちを抑えることはもうできなかった。

深夜勤務と深夜勤務の間の日中にデートに行くことになった。普通なら断るだろう。しかもお弁当を作ってドライブデート、、。
明けで寝ずにお弁当を作り、集合時間までは座って過ごした。お弁当作戦は大成功だった。ついでにアイスコーヒーを入れた2つのマイボトル作戦も大成功だった。(後日夫談)



そもそもベースの体調が万全ではないのに、こんな事をすれば誰が見たって体調は崩れる。
でもこの時はもう看護への愛より、彼への愛が100%だった。呆気ないくらいにその3日後、案の定と言わんばかりに激しい目眩と嘔吐で私は仕事を休んだ。そしていつもなら2-3日で治るはずだったこれが、地獄の始まりにすぎないことはこの時はまだ知る由もなかった。


無条件にハッピーな日々はここまでだった気がする。
ズルズルと転落していくこれからを、書くのも辛いけど、
またボチボチと。

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