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感謝とは


「最近ありがとうってだいぶ言えるようになったよな」
昨日夫に言われた言葉です。


私は夫に感謝のない人だと言われています。

私はこれまでそんなこと言われたことは無かったし、
親に聞いても
「そんな事思ったこともない。
むしろ一番謙虚にひたむきに感謝を伝え続けている子どもだ」と言われた。


私は感謝について考えた。
何が伝わらない原因なのか。
自分がありがとうと言ってないのか。
しこたま考えて、
たどり着いた事がひとつあるので書き残しておく。

はじめに

今回原因はまず自分ではない。
と結論付けた。

原因は夫が「やってあげている」
と思っているからだ。


夫はしてあげた事に対する見返りを常に求めている。

だから夫の中でしてあげた事に対して自分の欲しいと思った言葉が返ってこないと、感謝がない。と結論付けられる訳だ。
(これは思い返せば夫の家族にも当てはまることがわかった。今回は触れずにおいておく。)

まず大事なのは自分のこと。
というか自分しか大事ではない。
だから頼まれたことも自分の事をしてから。
自分さえ良ければいいという人間性である。

自分が大事だから、すなわちしてあげた自分が大事であって、それに対する対価がないとその先は相手が感謝してないことに矛先が向いてくる。

相手が第一で相手のことを思ってやっている人は、
感謝を言われようが言われまいが、相手に何も求めない。


私は気がついた事には感謝を述べ、有難みを感じ、
また夫や家族へ同じように奉仕する。

しかし私は感謝を求めてやっているわけではなく、
やる事が当然であり、奉仕と述べた通り見返りを求めてないため夫がありがとうを言わずとも何も思わない。
これは今後も変わらない。

ただ、夫がそれだけ私に感謝を求めるのならば、自分も同じように全てに感謝を言うべきでは?とは思う。
夫は見えていないこと気付いていない事には何も言わない。
だから洗濯をしておいても、掃除をしておいても、無くなりかけのタンブラーにお茶を継ぎ足しておいても気づいてないので何も言わない。でも私は見返りを求めてないので何も言わない。(俺がありがとう言ってないことないやろ?と堂々と言ってくるが、脳みそ胡麻なんかと言いたい。)

そして感謝は目も合わさずに口先だけで滑らせるように言うのではない。
きちんと有難みを感じ、相手への労いの気持ちを込めた心から言うのだ。
「(自分の家事育児の手を止めて、私の事を観察し、必要なものを揃え、適切なタイミングでお茶を継ぎ足してくれて)ありがとう」だ。

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