いいお母さん。
第一子となる息子が産まれた時、この世のものとは思えないほど可愛く、愛おしく感じた。初めての感覚だった。
私は息子の為に「いいお母さん」になろうと決めた。
2歳頃から魔のイヤイヤ期が始まり、その頃待望の娘を出産した私は、魔の2歳児より天使の新生児に心を奪われた。
この頃からだ。息子への躾が度を超すようになった。
何度注意しても同じことをして私をイラつかせる。ご近所ではヤンチャ坊主で知れ渡るほどとなる。ああ、息子が近所に迷惑をかけてしまった。
「いいお母さん」どころか、子供の躾がなってないと言われているのではないかと人の目を気にするようになり、息子への躾が”しつけ”の範疇を超え始めていた。
そして、息子の寝顔を見るたび「私は今日も一日中怒ってしまった」と反省し後悔し涙を流した。明日は何があっても笑っていようと。
そんな決意もむなしく、また同じ日を繰り返した。
そんな日々を過ごし、息子は小学校にあがったものの、いわゆるトラブルメーカーとなった。毎日のようにケンカや友達に手を出したなどの苦情が舞い込む。
なぜだろう。どこで間違えたんだろう。善悪、マナー、沢山の事を息子に教えてきたのに。私は「ちゃんとした子」に育てるべく全力を注いできたのに。どうしてうまくいかないんだろう。「ちゃんとした子」からも「いい子」からも「普通の子」からもかけ離れている。
「いいお母さん」になろうと必死だったのに。全然「いいお母さん」になれない。
何日も悩んだ。学校にも相談した。育児のベテランさんや児童福祉施設の心理カウンセラーさんにも相談し意見を求めた。
「大丈夫ですよ。息子さんはお母さんが大好きでいい子ですよ。」
じゃあなんで苦情しか来ないの?なんでいいお母さんになれてないの?
そんな堂々巡りを何日も繰り返して気付いた。
「いいお母さん」ってなに?いつも笑ってる人?料理上手?ママ友付き合いが上手?子供を好きなとこへ遊びに連れていける経済的余裕がある?美人?高学歴?私はどんな「いいお母さん」になるつもり?
もしかして私、他人から「いいお母さん」の評価をもらいたかったのか。間違ってるな。
私は息子のお母さん。息子にとって「いいお母さん」じゃなきゃ何の意味もない。息子が大人になった時、「俺のお母さん最高だな」って思ってくれれば、他人にどう思われてもいいんじゃないか。私は他人のお母さんじゃないんだから。
この考えに行き着いてから、息子の些細な事は気にならなくなった。振り返れば、本当どうでもいいような些細なことでイラつき怒っていた。全然、躾ではなかった。ただ、息子を自分の思い通りに動かそうとしていただけのように思う。もちろん、一般常識としての善悪は教えるし、良くない言動・行動は注意する。だが、なぜケンカになったのか、なぜ手が出たのか、そのような経緯をきちんと聞いて息子の気持ちを聞き寄り添うことができるようになった。
そうこうしているうちに、息子のトラブルは格段に減り、学校からもとても成長しましたね。と言われた。
息子の大事な数年間を無駄にはしてしまったが、まだやり直せる。やり直すしかない。
「いいお母さん」はなれるものではない。自分や他人が決める事でもない。
子供自身が感じる事だ。優しいから、笑ってるから、沢山の事を学ばせてくれたから、きれいだから、若いから。理由はその子でそれぞれあると思う。
ただ一つ間違いないのは、自分の思い通りにしようと育てていると、「いいお母さん」と子供が思う日は来ないだろう。
我が子がそれぞれ30歳過ぎたころ、「いいお母さん」だな。としみじみ感じてくれるような親であれたらいいなと、「ウザッ」というセリフを吐く反抗期の息子と今日も闘っています。
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