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食べ物の声を聴く

食べ物が口いれた時から発する声を聴いていますか?聴こえますか?

生ハムはそれ1つだけでも味わい深くて、聴き甲斐があります。

原木の、どの部分を切り出すかで味わいなどが異なることに気づけたのも食べることに集中したからです。

続いて、こちらの一コマを見てください↓

スマホを構いながら生ハムを食べるシーンです。

スマホに限らず、テレビを見ながら、話しながらなどの「〜ながら食べ」は、どうしても食べ物に集中するのは難しい。

食事への後悔を断つ

せっかく楽しみにしていた食事も味わうことなく終えてしまう、何が美味しかったのか思い出せない、というのが無性に切なかった経験が何度もあります。

そんな想いを繰り返さないためにも、本当に集中して食べたいときは、1人でお店に行ってます。

ボクが外食に行く理由

ここ数ヶ月の間で自分の過去5年分の外食数を越える程の外食をしてきたと思います。しかも今まではラーメンばかり。

なぜ外食をするようになったのかというと生ハム職人を目指す上で、ある人に『まずは色々な美味しい物を食べること』と言われたからでした。自分のその舌で美味しい食べ物、生ハムとは何か?を体験しなさい、ということです。

食べる料理の種類や値段も今までより高めの所に行くと、世の中には美味しい食べ物がたくさんあるのだな、と気づかされました。

『口にするものはすべて集中して食え』

↑sio、o/sio のオーナーシェフである鳥羽周作さんのこちらの記事(→「感動した!」と言ってもらえるぼくの料理には、圧倒的な戦略とロジックがある)で出逢ったコトバ。

このコトバに刺激され、集中して食べてみると何と多くの気付きがあることか、と驚きました。それと同時に抱いた感情がもう1つ…

「美味しい物を作れる料理人ってすごいな」

シンプルに尊敬します。自分の心を躍らせるような料理を作れることに。

そんな料理を作れる人のことだから生半可な想いで作ってるとは思えません。なら、それを食べるボクはどうか?

より良い「食べ手」で在りたい

最近、外食に行くたびに思うことです。より良い食べ手って何でしょう?

「作ってくれた料理をちゃんと味わう」
料理人の想いを汲んで、食べる」

食事も1つのコミュニケーションだと思うんです、料理人とお客さんの。料理人の表現に全神経を傾けて食べる。そうすると「こういう想いがあってこうしたのかな?」「なんで料理を始めたんだろう?」「いい顔して作るな〜」とか浮かんできます。

そんなことを考えながらする食事の時はワクワク気分です。

別にそこまで考えて食べなくても良いんだろうけど、ボクはその作り手、表現者の想いを味わいたいんです。

目的に合わせて食事を楽しむ

とはいえ毎回1人で食事をするわけではありません。複数人での食事が、コミュニケーションの機会になることも知っています。

大事なのは目的意識です。その時々の自分の気分や食事相手の気持ちに寄り添い、食事を楽しめたら何よりだと思います。

こんな話をしてたら、今すぐにでもご飯を食べに行きたくなりました…w

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