タルシル中庸∞影と光(3話)

真壁「そういえばさぁ、掲示板見た?来月の春休み中に中国研修あるみたいじゃん。おまえどうする?」

西崎「学校の修学旅行じゃないんでしょ?主催はどっかの出版社みたいだけど?」

真壁「学校とはどういう関係かね?旅行会社じゃないの?出版社?」

西崎「じゃぁ放課後の鍼灸クラブで石川先輩に聞いてみっか」

西崎「ちょっと、石川さぁん、中国研修って行きます?来月の、二週間のやつ。30万円の」

石川「行きますよ。昨年も行きました。旅費大変だけど結構勉強になりますよ。中国の老師級の色々な手技の先生達が毎日入れ替わりで直接教えてもらえます。普段はなかなかお目にかかれない人達ばかりですから。だから研修期間中はかなりハードですけどね。西崎さんも行かれるんですか?」

西崎「うーん、悩んでます。内容は凄い興味あるんですけど、旅費のことも大きくて、それより何で主催が出版社なんですか?」

石川「あぁ、梁瀬社長んとこですよ。西崎さんもお会いしてるでしょ?いつだっけかな?年末に我々鍼灸クラブ主催で勉強会やったじゃないですか。富沢公民館で日曜日に。高橋先生に来て頂いて。勉強会の後に国分町で打ち上げして」

西崎「ん?あ、あー、はいはい」

真壁「ありましたね。有名な高橋先生に直接手解きして頂いて、凄い勉強になりましたよね」

石川「あのとき、幹事の私がちょくちょく話してた人分かりません?恰幅の良いおじさん。お二人は勉強会の後の打ち上げには参加されてなかったんでしたっけ?」

真壁「あのときは私も西崎もバイトがあって勉強会終わって速攻で帰ったんですよ。飲み会行きたかったんですけど」

石川「そうでしたか。あの勉強会のスポンサーが梁瀬社長の出版社なんです。我々の鍼灸クラブの主催ではあるんですが、あの有名な高橋先生をお呼びする資金なんてありませんし。一応参加費は徴収しましたが微々たる額ですし、それらは会場借りる費用と先生やその助手さん達や出版社スタッフの方々の昼食代や飲み物代にしかなりませんからね」

真壁「え?そうですよね。ちょっと変だなって思ってました。あの高橋先生の勉強会があんな参加費でいいなんて。私的な勉強会の割には参加人数も多かったし。鍼灸クラブ以外の人もいたし、別の学校の生徒や学生じゃない人もいましたよね」

石川「で、それら全ての人脈面と資金面は梁瀬社長のお陰なんです。打ち上げ会では高橋先生に更に勉強会で聞けなかったお話も伺えましたが、梁瀬社長もご同席頂いて、その社長の話がまたとてもためになるんですよ。更にはそれだけでは足りず、打ち上げ会お開きのあとに梁瀬社長の泊まってるホテルの部屋まで押し掛けて結構遅くまで皆で話をしたんですよ。でも何も珍しいことじゃなくて、毎回のことなんです。お二人は打ち上げ会もホテルも行ってないですもんね」

西崎「何っすかそれ?ホテルで談話?高橋先生の話よりもや梁瀬社長の話の方がためになるってこと?」

石川「いえいえ、勉強会のことは高橋先生ですけど、勉強会以外のこと、うーん、そうだなぁ、人生のことっていうか、治療院経営のこととか、日本の東洋医学界の将来のこととか、もっとスケールの大きいこと。社長の人間性に惹かれて半ば人生相談的な?社長の経験談も凄くて、そんな話です。高橋先生達は最終の新幹線でお帰りになったし。私がお見送りしました」

西崎「へぇ、凄い人なの?梁瀬社長って。ヤバい人とか?」

石川「壮絶な人生だったって本人から聞いてます。日本各地の鍼灸とか東洋医学の学校を訪問して歩いて書籍販売してる人。その際に折角だから社長の人脈を使って事前に調整して有名な先生を呼んでくれるんです。うちの学校にも年に二~三回位いらっしゃってます。校長や教頭とも昔からの付き合いで、まぁ、実際、商売に来てるんですが、全て容認ですよ。東洋医学界については色々進言もしていてかなり影響力あるみたい」

真壁「あ、何か思い出した。学校の内玄関で書籍販売してた。販売員の中にダブルのスーツ着た恰幅の良い人がいて、校長室にも普通に出入りしてたから『この人何者?』って思ってました」

石川「そう!その人。勉強会にも来てたでしょ?ずっと会場の後ろの方とか室外から見守る感じで」

西崎「うわぁ、気付かんかった」

石川「えっと、西崎さん。ついで話で恐縮なんですが、一つお願いがあるのですが」

西崎「何でしょ?怖いな。」

石川「えーっとですね、新学期から私三年生ですよね。受験生。なので鍼灸クラブの部長退任なんです。そこで次期部長を西崎さんにお願いしたいんですけど」

西崎「えーっ!無理無理!無理っすよー。まだ一年しか学んでないんですよ」

石川「西崎さんも真壁さんもとても熱心に学ばれて研鑽も積んでこられたし。学びは何年学んでも足りるってことはありませんし。学びの出来不出来よりも人間性の方が大事ですから、部長には。部長の引き継ぎのときに、梁瀬社長のこととか、クラブ活動のこととか、校外勉強会のこととか、学校祭の催しのこととか、説明させて頂ければと」

西崎「ほらぁぁ、やっぱ大変そうじゃぁぁん。ダメですよぉ」

真壁「折角のお声掛けだから西崎引き受ければいいじゃん」

西崎「そうだ!真壁の方が適任者じゃん。真壁部長だよ。ね!」

石川「えぇーっと、もう一つ、言いにくいんですが、真壁さんには操体法クラブの部長をお願いしたいのですが…」

西崎・真壁「そうだった!石川さん掛け持ち部長だった!」


期末試験も無事に終わった二人は特に何事か大きなトラブルでもない限り進級間違い無しの余裕をみせていた。

授業とは別に放課後に有志で集まって勉強会をするクラブ活動にもいくつか所属していて、そのうちの一つに鍼灸の知識や技術を追及する鍼灸クラブがあった。
部長は二年生の石川が務めていた。
石川は二人よりも一年先輩だが年下で、日中は鍼灸の学科を、夜間は柔整の学科に通うダブルスクールの努力家で性格的にもしっかりしているので二人も敬意を以て接していた。

無事に進級して二年生となった春、新学期。二人ともにめでたくそれぞれが放課後クラブの部長に就任した。

石川前部長は退任したと言っても三年生として在学しているので会おうと思えばいつでも会えるし、いざとなったらヘルプ要請できるのでまぁ何とかなりそうだけど忙しい一年になりそうだ。
確かに大変だが良いこともある。

学校に公認されている放課後クラブは学校から活動費が支給される。
当然会計監査があるので経費の報告が義務だが、変なことに使わない限りはかなり自由に使えるのはありがたい。

例えば個人ではなかなか買えない高価な書籍や個人所有では待て余してしまうような治療機器など、ここぞとばかりに大きな買い物が出来てしまう。

西崎も真壁も元社会人でプロジェクトリーダーなどそれなりに責任ある立場も経験してきているから予算管理の感覚は持っていた。
年度内の行事をしっかり調べてその上でどの位自由に出来るか既にパソコンで予算管理台帳を作成していた。

ある程度のまとまった予算を持っていたため、医療関係機器用具の販売会社の営業担当者からの連絡もくる。
出版社同様に販売会社も校内で臨時販売会を行ったりしていた。
流石の営業さんはすかさず大きな財布を持っている各放課後クラブの部長さん達に接触を謀ってくる。当然、部長さん達にはそれなりの見返りもある。
梁瀬社長の出版社では有名な先生を無料で呼んで頂けることが見返りと言えば見返りで、部長個人としての見返りは特に何もなかった。

部長引き継ぎの際に石川前部長から梁瀬社長についても色々教えてもらうことができた。長時間に渡るのでファミレスで食事をしながら。
石川前部長も当然全てを知ってる訳ではなかったが、梁瀬社長が何故に一見すると全然儲けにならないような勉強会のスポンサーになってくれるのかなどはとても興味深かった。
梁瀬社長は元々とある芸能プロダクションの社長でそれなりに表舞台で活躍していた人らしくバブルの頃などはご多分に漏れず随分とブイブイ言わせていたらしい。

そんな栄華はいつまでも続く訳もなく、経営的にではなく、ある日突然倒れて病院に緊急搬送されたのだが、原因不明のまま命が危うい状態だった。
生死の境を彷徨ってる病室でお見舞いに来ていた当時鍼灸学校に通っていた姪っ子さんがダメ元でとある施術を行ったらみるみる回復して一命を取り留めたのだとか。

そのことで東洋医学のその可能性に興味を持った梁瀬社長は芸能プロダクションをスッパリ辞めて東洋医学専門の出版社を立ち上げ、将来の鍼灸マッサージ師達をサポートすることを決心したようだった。例え儲けにならなくても。

一命を取り留めて退院できたとは言え原因は不明のままで社長の体はまだ本調子ではなかったため、症状を抑えるためと何とか原因を突き止めようとして社長を慕って集まってくる学生や以前学生時代にお世話になった鍼灸マッサージ師達が入れ替わり立ち代わり集まってきていて社長の治療にあたっていた。

梁瀬社長の出版社が扱う書籍の一番の売りは東洋医学の原点である古典中国の医学書であったが、百科辞典のように分厚く見た目にも立派で、内容は国宝級の凄いものらしい。当然値段も立派で一式で数十万円もしたため、貧乏学生達には高嶺の花であった。学生で買っていたのは借金してでも研究したいというマニアックな者か、家業が代々治療院の後継ぎ程度。

梁瀬社長も学生達にはなかなか手のでない書籍であることは十分承知していて、国家資格を取って立派に鍼灸マッサージ師となった暁に成功した証としていつか書籍一式を購入してもらえれば嬉しいと言っていた。

しかしながらそんな国宝級の貴重な書物を梁瀬社長が持っていたのか?

それは梁瀬社長がまだ芸能プロダクションの社長をしていた頃に、各地方のイベント会社との繋がりもあって、その中に秋田のイベント会社社長が旧家の出で、自宅の蔵に昔中国から伝わった医学書の写しがあるということ酒の席で聞いていたことを入院中に思い出していたのだった。
自分を助けてくれた東洋医学の更なるヒントがそこにあるかもしれないことを。

そこで秋田のイベント会社社長に事の次第を説明して、世のため人のために出版することを承諾してもらったのだった。当然版権は有料で。

ところがある日突然、中国当局から梁瀬社長のところに連絡がきたのだった。
聞くに中国から伝来した医学書の写しを中国に返してもらえないかとのことだった。
当然、それは梁瀬社長の所有物ではないので秋田のイベント会社社長に連絡し、いくつもの国の手続きを経て中国に返還される運びとなった。

中国がわざわざ写しを求めたのには訳があって、当然原本は中国にあったはずなのでだが、幾度の王権権力闘争の戦火に見舞われ、紫禁城内の国宝級の博物館や図書館も大半が燃えてしまったため、当の原本も消失してしまっていたのである。
そこで中国当局は消失した宝物や書籍と同様の物で過去に国外に持ち出されていた物を探し回って片っ端から取り戻そうとしていた。
特に医学書は特別扱いでそれが写しであっても内容は原文のままの古典書籍は喉から手が出る程欲しかった。

今回の中国への返還に尽力した梁瀬社長は中国当局からVIP待遇を受けるまでに至り、中国医学界からも一目置かれるようになっていた。
梁瀬社長は鍼灸師でもマッサージ師でも医者でも無いが、東洋医学を発展普及させるべく、中国での人脈を介して中国各地の老師と言われる名人級の治療家達と直接交流できるまでになり、普段はなかなか会うことさえ困難な先生方を中国当局の後押しもあって勉強会に招くこともできるようになっていた。

因みに春休みに開催した中国研修の際は、数十名の参加学生達が乗る貸切バスの車列と梁瀬社長の乗るVIP専用車には白バイの先導が付いた程だった。
初めて参加した学生達はそんなVIP待遇に驚いた。


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