見出し画像

【日記】4月11日に思うこと

家を売る仕事をしていた頃、お客様と契約を交わす際に必ず契約約款を読み上げていた。何条もある約款の中に「天災、疫病等誰の責めに帰す事も出来ない事情が発生した場合は~」といったような条項があり(もちろん、詳細は覚えていない)、それを読み上げるとき「疫病ってなんでしょうね、インフルエンザとか?まあよっぽど無いとは思いますけど……ハハハ」なんて冗談のように言っていた。

今まさにその「疫病」によって生活が大きく変わってしまった。幸いなことに体調にも変化はなく、仕事は在宅勤務になり、直接人に会うことなくのんびりと日々の生活を送っている。もともと引きこもるのは苦手ではないし、オンラインで人とつながっている感覚は得られるため、今のところ支障はない。むしろ部屋は整い、生活も整い、穏やかだ。

でも、刻一刻と変化していく社会情勢にどうしても不安な気持ちになってしまうのも事実である。ニュースはできるだけ見ない、単語も口にしない、ただ淡々と手洗い・うがい・マスク・引きこもりで自衛する。そうしていても、寄る不安には勝てないときもある。こういうとき、人は家族を求めるのだな、とぼんやり思う。

ドラマ『最高の離婚』。瑛太と尾野真千子が演じる主人公の2人は、震災の日に出会い結婚する。性格も価値観も違う2人が、そんなことで結婚するものかと昔このドラマを見たときは思ったものだが、今だとわかるような気がする(実は昨年の夏の大型台風の時も「わかるような気がする」と思っていた)。ひとりは楽だし楽しいけれど、それと「ひとりきりで非常事態を過ごさなければならない」は別物だ。もし、今の状況でインターネットすら断絶されてしまったとしたら、それこそ絶望である。ひとりでいることは常に、他者と断絶されるリスクを孕んでいるのだと改めて思わされる。

SNSやLINEなどで連絡を気軽に取れる人がいること、遠方に住む家族ともタイムラグなく意思疎通ができる(物理的に)こと、それによって自分が支えられていること。「あんたはいつもひとりで生きてきたような顔をしている」と高校生の頃母親から言われた私だが、10年分年を重ねた今はきっとその傲りも薄れたのではないかと思う。そう思えるまでに、自分は他者によって生かされていると感じられるようになった。これは成長と呼んでも差し支えないのではないか。生活を重ねることで、人の意識も変化していく。


あまり昨今の「コロナ禍」について考えたくはなかったのだけれど、今このときになにかの形で気持ちを残しておかないと、いつか後悔する気がした。いや、後悔というより「あのときの感情を忘れてしまった」と空虚な気持ちになりそうな気がした。ここ最近文章も浮かばず、書いてもおらず、だいぶまとまりのない不自由な文章を拵えてしまったけれど、まあ残しておくことに意味があるのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?