令和・スカイウォーカー

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」映画感想

エンタメを超え神話になったスターウォーズ

 壮大な銀河ドラマから大河ドラマへと変容し神話になったSWは、この時代において大きな影響力を持つと見るべきだ。なぜなら、世界中で多くの若者がSWを何度も観て心に刻み、ジェダイの教えから多くの教訓を学び、自分の価値観に反映させるからだ。

 逆に、世界中から多くの人の強烈な思念が寄せられながら完成した作品である「スカイウォーカーの夜明け(本作)」は、製作者の意図を超えた様々な要素が織り込まれる作品になったと考えられる、と書くとファンタジック過ぎるだろうか。
 SWは、一つの娯楽映画の枠を超えて、今の時代を象徴し宣言する作品に昇華している様に思えてならない。


SWの背後に今の時代が重なって見える

 神話はメタファー(比喩)に富んでいる。SWと今私たちが生きる世界を重ねてみた。

 銀河を長い間カゲで支配してきた暗黒皇帝は、ルークとダース・ベイダーによって30年前に既に倒されていたはずだった。しかし皇帝はおぞましい姿で生き続けており、今だに暗黒面から銀河を支配している事が本作で判明する。年を経た蛇は健在だったのだ。さらに、暗黒面の根源とも言えるシスの本拠地も遂に明らかになった。

 一方、私たちは希望の21世紀を迎えたはずだったが、2001年を超えてからというものむしろ、より衝撃的な未曾有の事件が勃発している。日本では未来が無い社会でハイティーンの死因の1位が自殺である。しかしまたその一方で、私たちの周りでは闇に隠れていたものがどんどん明らかにされていると感じる。インターネットを媒介する情報はテレビ等の旧来メディアの様にはコントロールし切れない。人の世を裏から支配してきたダークサイドの情報もどんどん溢れ出る。一部の利権者・為政者によって歪曲されてきた歴史までが真の姿を表す時代になったのが今だ。
 我々のリアルな社会におけるダークサイドの本拠地が明らかになるのも時間の問題の様に感じる。

ダークサイドは哀れに、自滅する

 劇中で、暗黒皇帝が生命維持装置に繋がれて出てきた時、皆さんはどう感じただろうか。私が感じたのは「哀れみ」だった。「ああ、あんたまだ居たんだ」と。もののあわれ。
 強大な敵が放つ恐怖のオーラみたいなものはもう無い。厄介な老人の登場という感じだった。

 その厄介な老人は、今回、完全に木っ端微塵になった。 
 その厄介な老人、暗黒皇帝に最後のトドメを刺したのは、その皇帝の孫レイだった。カイロ・レンもそのトドメに参戦したが、彼もまた皇帝の育てていた新たな暗黒卿である。ダークサイドの宗主は、いずれも自分の身内によって倒されたのだから、ダークサイド側の自滅とも言える。これがとても暗示的だと感じた。
 ダークサイドはダークサイド故に自ら滅んで行く。それがSW神話で語られたメタファーであると読み取った。
 かつて、日本では「フォース」を「理力」と訳していた。銀河にフォースの安定がもたらされるということは、理法が通り、道理が引っ込まなくなる世の中になるということだと考えるとわかりやすい。

武器を埋め、和をもたらすレイ

 戦いが終わって、レンは自らの手元に来ていた2本の剣、ライトセーバーを地に埋める。
 ライトセーバーとは「善の守護者」の意味だが、善の防衛の為の武力すらもう必要ない時代が到来したことを示すシーンと受け止めた。核の抑止による見せかけの平和などではなく、より根源的な平和。

 SWは令和の始めの年に言霊の国日本にやってきて、「レイが和をもたらす」というクライマックスを持って物語を終えた。
 そして、レイはスカイウォーカーになった。

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