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「あなた」は「わたし」である。(you, as a part of my world)

受精から今に至るまでに見た花の名前をすべてならべる

今日の短歌です。受精から今に至るまでに見た花の名前をすべてならべる…ことなんてできるんでしょうか。きっとできませんね。わたしは受精の瞬間からこうやってパソコンを叩いている今まで、嘘偽りなくずっとわたしであったはずなのに。このからだが感覚した記憶は両手で掬おうとしても、指と指との間の小さな隙間からするすると抜けていってしまう。今までに見た花を全て覚えていることはできないし、ましてや名前なんて。美しいけれど「不必要」な思い出は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、です。

わたしが今見ている世界は、わたしのこれまでの全てを掬い取ってできているわけではなく、いくつかを選び取って、それらを縫い合わせるようにして歪に保たれています。あなたの世界もきっとそうなのでしょう。そのようなわたしとあなたの世界は、いかにして交わり、いかにして結ばれるのでしょうか。

I'll be part of your world

ディズニー映画「リトルマーメイド」をご存知でしょうか。海の上の世界に憧れた人魚・アリエルの恋物語です。わたしはこのリトルマーメイド・ミュージカル版の中毒者なのですが。特に心を溶かされるのは、劇終盤、憧れの王子と結ばれたアリエルが、仲間からの祝福を受けこう歌うシーンです。

ALL: Now they can walk,Now they can run,Now they can stay all day in the sun
PRINCE: Just you and me
ARIEL: And I will be...part of your world!!!

(画像はpinterestから。ひゅう。)

ああ涙ちょちょぎれます。この感動の全体性を共有するにはおそらく全編見ていただくのが手っ取り早いと思うのですが、そういうわけにもいかないので、テキストベースで頑張って涙ちょちょぎれ要素を説明します。

まず、この " i'll be part of your world!! " という歌詞は、劇前半のアリエルのソロ曲 ♪ part of your world に由来します。このソロ曲は、航海をしている王子を見て一目惚れしたアリエルが、海の上の世界を思いながら歌い上げるとっても美しい歌です。日の光を浴びながら砂の上で眠りたい、足を使ってダンスがしたい。
掴めそうで掴めない夢を描くその歌では、"** i wish i could be part of your world...**" という言葉が繰り返されます。日本語にかたく直訳すると、「あなたの世界の一員になれたらいいのに…」とでもなりましょうか。この「あなたの世界」というのは、言わずもがな、王子が住んでいる人間世界のことだと思います。つまり、もっとざっくり訳せば、人間になりたいなぁー、って感じになるかとおもいます。

では話を戻して、フィナーレで歌われる" i'll be part of your world!!"について考えてみることにしましょう。
この歌を初めて聴いたときに、わたしは一抹の違和感を覚えました。それは、この歌詞に未来形willが使われていることに対する違和感です。というのも、この歌が歌われるとき、アリエルは(先に掲げた写真の通り)人間の姿となり、地上で王子と向かい合っています。つまりは、すでに「人間の世界」の一員にはなれているはずなので、未来形が使われるのは不適ではないかと。さらにさらに、元々のアニメ版でも同じようにフィナーレで歌が歌われているのですが、そこでは歌詞が " i can be part of your world!! "になっていました。これは、ミュージカルに書き起こす際、意識的に換えられたとしか思えない…。
" i'll be part of your world!! "を直訳すれば、「あなたの世界の一員になるの!!」みたいに、先の♪ part of your world に比較して願望が未来形に変わった程度となりますが、わたしはこの謎を考えるうちに、「あなたの世界」自体が持つ意味がも変化しているのではないか、と考えるようになりました。

ここでいう「世界」は、もはや「海-陸」というすごく大雑把な二項対立のもとに成立する「人間が住む世界」ではない。「あなた-あなた以外」という、もっと個人的で、具体的な「王子が見ている・王子が創り出す世界」のことを言っているのではないか、と推測してみてはどうでしょう。「これからわたしは、愛するあなたが創り出す世界の、一員になってゆくの!!」と。
だからこその、will。未来形。
人間の姿を手に入れたことは、愛を誓い合ったことは始まりに過ぎない。これからともに生き、物語を編んでいく中で、「あなた」の世界の中で「わたし」が生き始めるのだ、と。

深読みしすぎでしょうか…でもそうかもしれない、と考えると、あまりにも甘美な希望に、私は頭がくらっとします。

「わたし」とは?

話は一気に抽象的になりますが、「わたし」とは一体なんなのでしょう。

社会学の授業で、記号論というのを習いました。この論に基づくと、「わたし」というのは「わたし-わたし以外」という差異の体系のもとに認識され、積極的な定義が不可能だ、とのことです。
例えば、わたしとは、この「みゅう」という名前のことである、と言ったとしましょう。でも、この世にもし「みゅう」という名前を持つ人が他にいたら、その人はどうなってしまうのでしょうか。ということで、わたしを定義するのに名前は不十分である。
それでは、この体がわたしなのでしょうか。でも、腕を切り落としても、足を切り落としても、わたしはわたしとして存在し続けます。臓器を移植されても、それは誰かではなくてわたしとして馴染む。
ならば、他者に認められた行為がわたしなのでしょうか。行為の集積として、わたしは定義されるのでしょうか。それとも、物象化したあれこれが私を証明するのでしょうか。ううん、不十分…
こんな感じで、「わたし」とは、を明確に定義づけてくれる要素は、どこを探しても見当たらないんですね。

「わたし」を主語にして、語り尽くすことは可能か?

このように、「わたし」という存在はあまりにも不確実であります。わたしとは、一体なんなんだろう…そうやってぐるぐる考えていた時、ある閃き・コペルニクス的転回が訪れたのです。

「わたしとは、・・である。」という風に語ろうとするから、いけないのではないか!?つまりは、わたしの必要条件を語ろうとするから、二進も三進も行かなくなっているのではないでしょうか。
「わたし(主語)」「とは(定義を表す助詞)」ときたならば、その後ろにくる単語「・・」は「わたし」によって身動きが取れない状態に包囲されるような感覚を覚えます。「わたし」という概念があたかも静的で、権威的な枠組みとして存在しており、そこに見合う・・という唯一の、明確な概念を探し求めている、というような。そしてそんな概念はいつまで経っても現れません。

では、それを逆転させて、「・・は、わたしである」としたならば、どうでしょうか。つまり、「わたし」を補語におくのです。この瞬間、私は「わたし」という概念が一気に動き始めるのを感じます。「・・」は、「わたし」であると同時に、でないかもしれない。「わたし」は「・・」という概念と、他の「 x x 」という概念の間を、跳ぶようにして生きることができる。たくさんの概念の中に、「わたし」は見出され始めるのです。いくつもの十分条件によって、「わたし」は構成されていく。

こうなると、先の記号論の逆をいくことになってきます。「みゅうという名前は、わたしである」し、「このからだは、わたしである」し、「noteを書くという行為は、わたしである」し、「書いたnoteは、わたしである」のです。名前とか、体とか、行為とか、ものとか、この世に存在する、ありとあらゆるものごとがわたしを構成する一部となる。あらゆる概念の掛け算が、わたしをつくってゆく。

「わたし」の主語を探す旅

(小娘が人生論を語るわけにはいきませんが、)もし、「わたし」を補語として自己を定義づけようとするのであれば、人生とは「わたし」の主語を探し見つけ、増やしてく旅なのだと思います。

受精し、細胞分裂の結果として、私たちは一つのからだを持って、この世に生を受けます。逆にいうと、からだ以外の何も持っていない状態。ここから、私たちはたくさんの概念を「わたし」として見出す旅に出るのです。例えば、ある時歌を歌うことの喜びを知った者にとっては、その瞬間「歌唱」という自己を構成する主語を見つけ、「歌唱は、わたしだ」となるかもしれない。長い年月をかけて一遍の詩を書いた者にとっては「この詩は、わたしだ」となるのかもしれない。

そして究極、具体的で個人的な「あなた」を愛し始めた者にとっては、「あなたは、わたしだ」ということが成立するのだと思います。そう、王子にとってのアリエルのように。i'll be part of your worldという言葉が指し示すのは、「わたし」は、「あなた」という世界を構成する要素の一つとして、主語の一つとして、生き始めるのだ、ということなのではないでしょうか。

おまけ:関連するあれこれ一覧

ミュージカル「リトル・マーメイド」

鮮やかで、眩しくて、それでいてまっすぐ。ああ王道の良いミュージカルだ。ウォルトによって生を与えられたキャラクターは粒が立っているし、アランメンケンの音楽は尊いし、それら全てを引き立てる四季の演出に脱帽。フライング技術使うなんてそんなの反則やん。チケットはこちらから。

歌詞を聴くなら英語版の方が断然いいのでこっちも貼り付けておきます。落ち込んだときに聞けば瞬間に全てを忘れられる。神かな。最強ストレスコーピング。

結び

今週も最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。リトルマーメイドの歌詞における(今宿的)世紀の大発見を皮切りに、いささか夢みがちな論を展開しました。
今これを読んでくださっているあなたも、「わたし」の主語になりうるし、もしかしたらもうすでになっているのかもしれません。いずれにせよ、あなたと一緒に、「わたし」を形作っていきたいですし、わたしも「あなた」の一員となれたら光栄です。それでは。

あなたに言葉の花束を差し上げたいです。 ちなみにしたの「いいね!」を押すと軽めの短歌が生成されるようにしました。全部で10種類。どれが出るかな。