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香山哲『レタイトナイト』 〜テイストとフレーヴァー〜

テイストとフレーヴァー



料理を学んでいると、しばしばテイスト(taste)とフレイヴァー(flavour)の違いについて考えさせられる。

テイストはいわゆる味。舌で感じるもの。
フレイヴァーは味わい、風味。味や香りや食感が渾然一体となった感覚。

SNSでバズり、勝手に流れてくるような料理はテイストに寄ったものが多いと感じる。今は簡単に旨味を重ね合わせていくことができる。「……そりゃ確かに美味しいでしょうよ」という組み合わせ。

岩村暢子さんの『残念和食にもワケがある』によると、煮物は少しずつ食べられなくなり、代わりに温野菜の勢力が拡大しているそうだ。素朴で均一的に味付けられたものは避けられて、温野菜を各自がお気に入りのドレッシングをかけて食べる。

美味しすぎるドレッシングをかけてサラダを食べると、野菜の素材自体が持つ「風味を味わっている」のではなく、「ドレッシングを食べている」ような感覚に陥る。野菜はドレッシングを引き立てるサブキャラ。実際に美味しいドレッシングは「雑草でも食べられる」と表現されたりもする。

自分が作るものを考えても、テイストは無視できない存在だ。舌の上では確かに心地よい刺激があり、しかし短時間で過ぎさってしまうようなもの。

そんな中にあって『レタイトナイト』は、フレイヴァーを存分に楽しめる漫画だ。

物語は魔法が存在している世界が舞台だが、適当なナーロッパ(「中世欧州風ではあるが似て非なる世界の通称」らしい)ではない。中央アジアのようなアラブのような、この世界と地続きではありながらどこにもなく、また確かに存在しているという説得力のある別世界。

ページをくり始めると、異世界の導入に胸がおどる。

鳥山明が描くような、ドラゴンボールの冒頭のようなフレイヴァー。絵そのもの、線そのものに味わいがあって、1コマずつをじっくり眺めていたくなる。
主人公カンカンと、その叔父マル

主人公の少年カンカンは転生して、その世界にやってきたわけでも、無双しそうな気配もまるでない。ものすごい才能があるわけでもなさそうで平凡。今後強さがインフレしていったり、バトルの爽快感といったテイストを楽しめるわけではないかもしれない。

年相応に、現実にもやもやした少年が、村を出ていこうとする。まず展開されるのはそういうシンプルな物語だ。

1巻で活躍するのは、そのカンカンではなく、カンカンのおじさんマル。マルも特殊な才能があるわけでもなく、魔法を使うのも久しぶりだし、初歩的な魔法だけが使える。マルもまた村を出ていくのだが、旅のお供にするのも、ロバではなくカメ(わっしわっしと歩いてかわいい)。

描かれるのは「冒険」というよりも「生活」。

各職業の平均的な賃金や、物価が示される。
宿代から逆算して、いくら仕事で稼がなければいけないのか考える。スポットが当てられるのは、獣との戦闘ではなく、収支出入の計算。

食の説明もすごい。マルが毎日食べる定食の紹介がまるまる6ページも7ページも割かれる。

野菜を中心としたスープや和え物など素朴なものが中心。いかにもな、異国情緒はないが「筆焼き」や「麦ディスク」などのネーミングも楽しい


1巻でもっともドラマティックに描かれるのも定食にまつわる話だ。

当座の仕事、安い宿を見つけ、食べ飽きず満足感のある屋台や定食屋を見つけたら、とりあえずその街で住んでいくことができる(ぼくの大好きな「ビルド」だ)

マルが旅先で受ける、様々な人からの親切。働いた果物屋の主人からは、餞別に果物を持たされ、宿屋からは「きれいに使っていただいて…またいつでもどうぞ」と感謝される。

三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』で、フレイヴァーは様々な体験や記憶を想起されるものであるともされていた。

美しい例が鮎だ。鮮度の良い鮎の腸からは、すいかのような香りがする。その香りは夏の渓流の岩苔に由来する。だから良い鮎を食べると人々は鮎が育った美しい渓流に、意図せず「連れて行かれてしまう」ことがある。

登場人物が移動すれば、その場所のマップが示される。
漫画では珍しい演出。
建物の天井を切り取ったような俯瞰図のコマは、2DのRPGではおなじみのもの。


『レタイトナイト』からはドラクエ、FF、トルネコ、ビックリマン…浴びてきた様々なサブカルチャーが想起される。

自分が異国の旅先で受けた小さないじわるや、親切も想起される。

テイストが絶対値なら、フレイヴァーは文脈や記憶とも結びつくもの。

読み終えてすぐに、二周目を読み始めた。ストーリー展開だけ、要点だけを楽しむ漫画ならこうはいかない。それはフレイヴァーのなせる業。

テイストよりフレイヴァーがより正しい概念というわけではない。1コマずつは、アートのようにも鑑賞できるが、芸術作品でもないし、しっかりとテイストの楽しみもある。

『レタイトナイト』はかなり長い時間をかけて取り組まれるプロジェクトのようである。新刊が出るたびに、少し浮足立ち、ほくほくしながら書店から家に戻る。そんな喜びを長らく味わわせてくれそうだ。


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