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【ファッション】自分らしさは「心」ではなく「体」にある
養老孟司さんが、
人の個性は心ではなく、体にある
といった趣旨のことを話していたと思う。
曰く、心とか頭に個性があったら、社会性がなくなるし、社会はそれを良しとしていない。
しかし、体の個性は言うまでもなく千差万別だと。
それなのに学校や社会は「内面の個性」を求めがち。
一方で「体の個性」を無きものとして話を進めていたりする。
徒競走で順位をつけないのに、学力テストはバリバリの競争。
大人になっても、個性的な人間性を求められる。
むしろ大人になってからこそ、「個性的」とか「特別」といったものに縛られる。(しかし心に個性はない)
社会あり方と、人間の本質がズレている。
そういったチグハグ状況を指摘した言葉だったと思います。
そんな話を聞いた時わたしが思ったのは、ファッションのことでした。
わたしが最近になってファッションが好きになったのは、この体の個性と向き合うことができるからだと思う。
まさに体に身に纏う服と自分の関係を考えた時、必然的に体の個性と向き合うことになる。
それはコンプレックスと向き合うことでもあるので、ちょっとつらい作業になるかもしれない。
けれども、「(体の)自分らしさ」や「(体の)個性」を発見することは、人生を良くするのではないだろうか。
毎朝、大谷翔平選手の活躍をチェックしている。
彼が魅力的なのは、
与えられた自分を満喫しているから
かなと、ふと思う。
彼にもともと(体の)才能があったことは間違いない。
しかしその才能=個性を磨き上げて、自分という存在を満喫しているのは、やはり彼の意思だと思う。
その真っ直ぐな姿が、魅力になっているのではないかと思う。
そう思うと、ファッションとは、
与えられた自分を満喫する訓練
ではないだろうか。
おしゃれな人の条件に、
「自信を持っている」
ことを挙げる人が多い。
自信を持っている人はやっぱり、与えられた自分を満喫しているはず。
だからこそ、自信が出てくる。
今風に言えば「自己肯定感」
しかし「いいね!」や「再生数」「PV数」から与えられるような付け焼き刃の自己肯定感よりも、ファッションを経て体の個性と向き合い獲得する自己肯定感のほうが、なんだか強そうだ。
自分で自分の個性を楽しむ、満喫する。
そんな姿を思い浮かべながら、コツコツとファッションをやっていきたいと思う。
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