50歳からの人生
私は今月、めでたく50歳になりました。
誕生日はふつうに過ごしましたが、よく考えると、「半世紀」生きてきたわけですから、盛大に祝えばよかったかもしれません。
実家の姉は、「50を過ぎると、気力も体力もガタガタ崩れてくる」、と言ってましたが、私は今のところ、いたって元気です。
個人的には、50歳ってまだまだ若いと思うんですが、なかには年金の試算をしだす人なんかもいて、人それぞれだなぁと思います。まぁ準備は大切ですが。
ちなみに、イギリスでは、国民年金の受給開始年齢は、現在は男性は65歳、女性は63歳ですが、これは段階的に引き上げられる予定になっています。
先月あらたに発表された政策では、2039年には68歳になるとか。
私はそれに先だって68歳になりますから、「受給開始年齢 67歳」が適用されるはずですが、受給年齢引き上げが前倒しでおこなわれる可能性もありますから、あてになりません。
とりあえず、現行のイギリス政府の年金計画にそって、受給年齢開始は67歳と仮定しましょう。
そうすると、今わたしは50歳ですから、あと17年あるわけです。
17年ってかなりの年月です。
人生はいくつになっても可能性に満ちている
大したことは何もしていない人生に思えますが、自分の過去17年間を振り返ってみると、
イギリスの大学で修士号とって
博士号も取得して
ポスドク(Postdoctoral Researcher:「博士研究員」)やって
最初の講師職について
その後、イギリスで別の大学に移ってテニュア(tenure:「終身雇用資格」)もらって、
そして現在に至っています。
その間、イギリスの5つの都市に移り住んで、イギリス国内だけで合計10回引っ越しました。
私生活では、イギリスに帰化して英国籍をとり、小さいながらも現在の住まいを購入し、ローンも無事に支払い終えました。
これだけのことをした期間と同じだけの17年という時間が目の前に広がっているわけです。元気に働き続けられれば、それ以上の期間、あるいは生涯現役だって夢ではありません。
ちなみに、イギリスでは定年制度は2011年に撤廃されました。
わー、なんかすごい。
なんかもっといろいろできそうな気がします。
「残りの人生」なんて表現をしたら、向こう17年間から「うちらは残りもんとちゃうで!」と、どやされそうです。
年金の皮算用をするよりも、これから将来に向けて、どんなかたちで働き、どう社会と関わっていけるかを考えた方がよほど生産的です。
孔子は「五十にして天命を知る」と言いましたが、それって別に50歳でなくてもいいんじゃないでしょうか。
天命を模索しつづけたいと思います。