「ブーム」としてのミニマリズム
ミニマリズムって、日本では「ブーム」なんですかね。
私も一応、ブログ名に「ミニマル」と銘打っているだけに気になります。
生活面でのミニマリズム・ブームは日本で顕著ですが、もともとはアメリカで先行していたように思います。
また、前にも少しふれましたが、イギリスにもミニマリストはいますし、メディアでも忘れかけた頃に記事にとりあげられたりします。でも、ブームにはなりません。
なぜ日本ではミニマリズムが「ブーム」になるのかについては、社会・経済面での要素がいろいろありますが、それについては他の方々が書いておられるので、あえて言及しません。
ここでは、日本独特の風潮に焦点を置いて、独断と偏見をもとに2点ほど書きたいと思います。
商業ベースに乗ったミニマリズム
日本のミニマリズムが欧米と決定的に異なっているのは、物質主義から距離を置くことを主眼としているはずのミニマリズムが、日本においては、商業主義と密接にかかわっている点です。
日本では、ミニマリズムは商業ベースに乗せられて、ひとつのビジネスになっています。そのうちの一つが、無印良品です。
無印は、1980年代に西友がプライベート・ブランドとして立ち上げたものですが、当初は、「見ためよりも低価格・実質をとる」という本来の姿勢をつらぬいていました。
しかしながら、最近の無印は、低価格よりも明らかに見ため重視です。また、現在の無印は自他ともに認めるブランド商品です。
念のために断っておくと、ブランドとしての価値が上がることは、売り手・買い手の双方にとって、ビジネスの観点からすれば良いことです。
必要なものがあって、無印ブランドが好きなら、どんどん買ってもらって何の問題もありません。
ただ、忘れてはならないのが、無印の販売戦略は、もっと安くですむもの、あるいはいっそ別になくてもいいものを、「無印ブランドで、あえて少し買わせる」、という点です。
この「最小限の所有欲」を満たすというところに、買い物願望がぬぐい切れない自称ミニマリストがまんまとひっかかります。100均もこれと同様です。
また、さいきん顕著なのが、ソーシャル・メディアを使ったマーケティングです。某ポータルサイトとのタイアップはその最たるもので、ミニマリストなら無印をもっているべき、といわんばかりの勢いです。
物を持たないのがミニマリストの特徴であることを考えると、なんだか矛盾している気がします。
日本人はブームに乗りやすい
もうひとつは、ブームに乗りやすい日本人の傾向です。
もちろん、どの国の文化においても、いわゆるブームはありますし、それが一概に悪い、というわけではありません。
ただ、日本人は「みんなと同じでいたい」、「多数派に倣う」、「抜きんでていなくてもよいが(あるいは抜きんでるのは無理だが)、標準値は満たしたい」という、いわば、一億総「中庸主義」が非常に強い国民です。
「ブームに乗って何が悪いの?そんな上から目線の態度って子供じみてるっ」、などという意味不明の意見もありますが、そういう考え方自体が、子供じみています。
なぜかというと、誰かが旗を振って扇動している何かを後ろ盾としないと不安である、という、自主性の無さがブームを助長しているからです。
そもそも、わざわざ「私はミニマリストです!」と声高に言わずとも、普通に質素かつ堅実な生活をしている人は沢山います。
実際、うちの実家の姉はいま絶賛断捨離中ですが、「断捨離?あぁ、そんなこと言ってる人いたねぇ」程度の認識です。ミニマリズムにいたっては、「なんでもカタカナで言うたらええっちゅうもんやないで」と、にべもありません。(ちなみに姉は、私がブログを書いていることを知りません)
質素倹約という概念は昔からあったわけですし、それが「ミニマリズム」というコンセプトで呼ばれたとたん一気に流行りだす、という点も、作られた感が強いです。
まぁ、ブームというのは、えてして意図的に作られるものですが。
ブームだからやるわけではない
そもそも、ミニマリズムが日本では「ブーム」になる、ということ自体、考えてみれば不思議な話です。
ブームである以上、いつか終わるでしょうし、商業化された似非(えせ)ミニマリズムは、早くすたれた方がいいのかもしれません。